17

 長年刑事をやっていると、酷い有様の遺体と遭遇することがある。そして、嫌なことではあるが、それにちょっとずつ耐性がつくものだ。しかしながら、そんな倉科でさえ、取り出した資料の写真には、口の中に酸っぱいものが込み上げてきそうになった。


「――こいつは、酷い」


 思わず漏らすと、尾崎が大きく頷いた。そして「さっさとそれを見せろよ」と、坂田から野次が飛んでくる。なんとか格闘しつつも資料をめくるが、三人目の犠牲者の資料は全くなかった。恐らく、事件が起きた直後に、尾崎がこちらへと戻ってきたせいで、資料が間に合わなかったのであろう。写真を直視しないようにして、並んでいる文字列だけを追い、そして頭の中に叩き込んだ。その度に、無防備な状態で目に入れてしまった写真がフラッシュバックのように蘇った。


「人の仕業だとは思いたくないな……」


 倉科は呟き落とすと、今か今かと待ちわびるかのように、鉄格子に両手をかけて揺さぶり始めた坂田に資料を手渡した。催促するなら口で言えばいいものを。


「さっさと渡しゃいいんだよ――。お前らが資料を読んだところで、なんの足しにもならねぇんだからよ」


 とことん警察というものを馬鹿にしている坂田であるが、残念なことに反論はできない。こうして坂田に協力を仰いでいるのは事実なのだから。


 坂田は資料を手にベッドへと腰をかけると、鼻歌混じりで資料に目を通す。鼻歌の音程は外れるわ、時折思い出したかのように笑いを噛み殺すやら――明らかに殺人事件の資料に目を通しているとは思えない態度である。


「カニバリズムか――。日本でこんな事件が起きるなんて、面白いシャバになったなぁ」


 あらかた資料に目を通したのであろう。坂田は膝の上に資料を置いて、子どものような無邪気な笑みを浮かべた。被害者に対する追悼の意や、殺人事件が起きたことに心を痛めるような様子は……一切ない。これが坂田のデフォルトだ。


「蟹は関係ねぇっす。事件は海の沖合いで起きてるわけじゃなくて、現場で起きてるっす」


「蟹じゃねぇ。カニバリズムだよ――人が人の肉を食べる行動を指す。いや、アントロポファジーと言ったほうが、言葉としては忠実かもしれない」


 さすがは九十九殺しというべきか、聞き慣れない横文字を平気で口にする坂田。猟奇殺人に対しての造詣が深く、その知識量も半端ではない。曲がりなりにもこれまでの付き合いがあるため、それは倉科も良く知っている。


「一口にカニバリズムと言っても、それは大きくふたつの種類に分類される。社会的行為としてのカニバリズムと、社会的行為ではないカニバリズムだ」


 こちらのことはお構いなしといった具合で、さながらマシンガントークのように言葉を発する坂田。そこに口を挟む隙を与えないほど、坂田は生き生きとして言葉をつむぎ出していた。どうやら、この事件がよほど気に入ったらしい。無理矢理割り込んで坂田の機嫌を損ねるわけにもいかないため、倉科はあえて黙って話を聞くことにした。口を挟みそうな尾崎には、人差し指を口に当てて「とりあえず黙っていろ」とのニュアンスで指示を出す。それが伝わったのか、尾崎はとりあえず黙ってくれているようだった。


「この社会的行為――というのは、その地域の慣習やら宗教が関与している。つまり、理由はどうであれ、慣習として意義が根付いている食人行為は、社会的行為であると定義できるだろう。例えば、葬儀の時に故人をしのび、その故人の肉を喰らう地域が世界中であったことが確認されている。表沙汰にはならないが、日本でも骨噛ほねがみ――葬儀で焼いた骨を食べ、故人の魂を取り込むという風習が残っている地域がある。これも一種のカニバリズムの名残りだ」


 坂田の言っている社会的行為とは、そこに残っている風習や慣習に従って行われている、それこそ意義と理由が明確に存在している行為のことを指すのであろう。


「では、社会的行為ではないカニバリズムとは何を指すのか。これも細かく分類できる。代表的なのは薬としての服用だな。日本でも過去に肝臓を薬にして服用していた記録が残っているくらいだし、今も胎盤なんかは美容を目的として服用されている。次に出てくるのは緊急事態下でのカニバリズムだろうな。江戸の大飢饉の時も人が人を食べた事例がわんさか残されているし、雪山での遭難などで人の肉を食べながら生き延びた話なんてものもある。ただ、ざっと資料を見た限りじゃ、この犯人はこれらのどれにも該当しない。では、犯人が人を喰らう動機として適切なのは何か――それは」


 坂田はそこでわざとらしく言葉を区切り、こちらの反応を伺っているようだ。いや、それだけではなく、こちらの反応を楽しんでいるようにさえ思えた。


「社会的行為に該当せず、なおかつ素直に人間の本能に従った行為。すなわち、人肉嗜好ってやつだ。緊急性もなく、そこに社会的な意味も持たない。もっと簡単に言えば、単純に人の肉が食べたくて犯行に及んでいる可能性が高い」


 なんとなく分かっていたことではあるが、人肉嗜好という言葉を聞いてゾッとした。つまり、犯人は人の肉を喰らいたいがゆえに殺人を犯し、そして犠牲者の肉を食しているということか。しかも――調理法を明記したレシピで料理をしてだ。


「それで坂田――これらの資料から何か分かることはないのか?」


 ようやく坂田が喋り切った頃合いを見計らい、ここしかないと口を開く倉科。坂田は改めて資料を手に取り、そしてステープラーでまとめてあったにも関わらず、資料をバラバラにしてしまった。


「犯人は――とにかく几帳面。異常なほどになぁ。自己顕示欲も尋常じゃねぇ。普通の心理なら、殺人を犯した人間は事件の発覚を恐れる。しかしながら、この犯人はわざわざ別のところで殺害した遺体を人目のつくところに放置してんだ。レシピなんてものを残すくらいだから、自己顕示欲はかなり高いものだと思われる」


 ざっと資料を読んだだけであるが、犠牲者の遺体が発見現場とは異なるところで殺害されたことが分かっているようだし、何よりもわざわざ現場にレシピなんてものを残していることから、犯人は自らの犯行をアピールするタイプであると考えられる。ただ、犯人が几帳面であるという推測を、坂田はどこから弾き出したのであろうか。


「その、自己顕示欲が強いってのは、なんとなく意味が分かるっす。でも、どうして犯人が几帳面だなんて分かるんすか?」


 銃口を改めて坂田に向けつつ問う尾崎。明らかに人にものを尋ねる姿勢でないことは倉科だって分かっているが、これはある種の慣習のようなもの。尾崎だって本気で引き金を引くつもりはないのだと思うし、鉄格子の向こうにいる坂田が、こちらに危害を加えるのは物理的に不可能だ。九十九殺しの殺人鬼という名前が一人歩きした結果、このような慣習ができあがってしまったわけだが。


「いたるところで、その傾向は散見されるが――馬鹿なお前達には現場に残されたレシピで説明するほうが早いだろうなぁ」


 さらっと毒を吐きながら、どういうわけだか資料を何枚か二つ折りにする坂田。何をするかと思ったら、資料でふたつの紙飛行機を作り、それを鉄格子の隙間から投げてきた。ふわりふわりと不安定ながら、ふたつの紙飛行機は鉄格子の間をすり抜け、尾崎と倉科の足元へと落ちた。


 それを拾い上げて開いてみると、どちらとも現場に残されていたレシピのコピーだった。

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