気を取り直して――というか、余計な疑問を全て振り払うと、麻田から渡されたレシピに目を通す。その内容は、思っている以上に淡々としていて、それでいて普段のレシピには有り得ない食材が混じっていた。


 紙切れの上部中央には【人肉炒飯】との物騒な文字が並んでいる。そのすぐ下に小さく炒飯らしき写真が載せられていた。モノクロのコピーであり、また縮小コピーしたとのことだから、それはあまり鮮明ではない。むしろ、鮮明でなくてありがたいといえよう。


 その下には料理に使う材料が、これまた中央揃えで並び立てられている。まずは【白米……適量】。その下に【ねぎ……適量】と、レシピというにはかなりアバウトな分量での表記が目立つ。続けて【生卵……1個】、最後に【人肉……2本】とのこと。これは犠牲者の体から切り取られた薬指のことを指しているのだろうか。


 誰しもがレシピに見入っているようで、しばらく口を開く者はいなかった。あまりにも淡々としていてシンプルなものであるのに、文字列からは悪意が滲み出しているような気がした。


 食材と、その分量が書き出された下には、これまた当たり前のように料理の手順――それこそレシピが書かれている。材料はいたってシンプルであり、そして作り方もごくごく普通。そのせいなのか、食材に混じった人肉という文字が、やけに浮き彫りになっているように思えた。


 最後には、恐らくレシピを作成したであろう人物のコメントらしきものが、三段に分けて書かれていた。これもまた中央揃えであるため、いささか読みにくかった。


 ――【人肉とパラパラのご飯が見事にマッチする至高の一品】。


 もう、ごくごく当たり前のように、人肉を食材として扱っているコメントは、全てゴシック体で体裁が整えられているレシピの中でも、一際気味の悪さを際立たせていた。そんなコメントは二段目にはこう続く。


 ――【人肉を口に含むとじわりと肉汁が滲み出てご飯に染み込む】。


 どうやら、読みにくいのは中央揃えをされているから――という理由だけではないようだ。この文章に句読点がないのも読みにくい要因のもひとつなのかもしれない。


 ――【ご家庭でも簡単に作れる一品ぜひお試しあれ】。


 深い溜め息が出た。込み上げてきたのは吐き気ではなく、ただただ嫌悪感だった。


「……もう目をざっと通して貰えただろうか? こいつが、犠牲者の体――ちょうど、胸元の辺りに貼り付けられていたんだ」


 殺人蜂の時は、ポエムが無造作に口の中に詰め込まれていただけ。しかし、今回はご丁寧に犠牲者の胸に貼り付けられていたようだ。これひとつを取り上げても、犯人によって性格は千差万別。殺人蜂を比較に出すのは妙な話だが、いささか今回の犯人は几帳面という印象を受けた。


「補足だけど、このレシピはわざわざ両面テープでしっかりと貼り付けられていたわけ。昼間は車通りの多い道路だから、もしかすると車が走り抜ける際に起きる風で、レシピが飛んでしまわないようにしたのかもね」


 底たまに少しだけ水割りが残るグラスを揺らしながら、麻田が安野の言葉に付け足した。胸にレシピを貼り付けられ、なかば頭をかち割られた状態で見つかった遺体――。しかも、その遺体の両手は薬指が欠損していた。そこには、ある種の整合性があるように思える。それこそ、一種の芸術性のようなものが――。それはなぜなのだろう。


「指の骨は、どういうわけだか犠牲者の口の中に突っ込まれていたよ。あれはまるで、犠牲者の口から牙が生えたみたいだった。つくづく思うが、やっぱり異常な事件だよ。こいつは……」


 先生が作ったと思われる資料にはないが、発見当時の犠牲者は、その口の中に自身の指の骨を突っ込まれた状態で発見されたようだ。牙のように見えたということは、指先が外に向かって、口の両端から飛び出ていたということか。その写真もあるようならば、決して見たいとは思わないが、事件解決のために提供して欲しいものである。その辺りの請求は、話が終わってからのほうがいいだろう。


「それで、レシピなんて物騒なもんがあったから、念のために犠牲者の指の骨を鑑識に回したところ――」


「犠牲者以外の第三者のものだと思われる唾液成分が検出されたってわけ。遺留品として残されていたレシピ。それと、第三者の唾液が付着していた指の骨。これらを統合して考えて、まず犯人は犠牲者の肉を食っているという結論にいたった」


 安野の言葉を奪うようにして、空になったグラスをカウンターの上に戻しつつ、麻田が小さく溜め息を漏らした。そこに口を挟んだのは、ちょっとばかり出来上がってしまった様子の尾崎だった。


「だったら、そこまで面倒な事件じゃないんじゃねぇっすか? 犠牲者の骨に第三者の唾液が付着していたなら、そいつを調べて照合すれば、犯人が誰なのか分かるっす」


 またしても尾崎のトンデモ発言が飛び出した。それができれば世話はない。尾崎が言っているのはDNA鑑定捜査のことなのであろうが、そもそもDNA鑑定捜査というものは、照合すべきデータベースというものがなくてはならない。そして、警察はデータベースを持っていることは持っているが、日本国民全てのデータベースを有しているわけではないのだ。


 すなわち、現場に残っていたDNAを調べたところで、即座にどこどこの誰々――なんて正確なことは導き出せないのだ。そもそも、DNA鑑定には裁判所の許可が必要であり、警察が勝手に日本全国民のDNA情報を所有していることはあり得ない。


「ある程度の被疑者が上がっているなら、その方法もありだとは思うんだが、不甲斐ないことに今のところ捜査線上に全く被疑者が上がっていない状態だ。仮にそれをするとしても、まずは地盤を固めてからってことだな」


 安野が答えると「そうっすか――」と、尾崎はしおらしくなってしまった。お願いだから、恥をかかせないで欲しい。この辺りの知識くらいは、頭の片隅にでも備えていて欲しいものだ。


「補足するなら、DNA鑑定の定義は、それが一致することを確かめるというより、一致しないことを確かめるために行われるものだったはず。その精度はかなり上がったはずだけど、まだDNA鑑定には不明瞭な部分が多い。だから、実際のところ決定的な材料として扱われることは少ないって聞いたことがあるわ。あくまでも様々な証拠のうちのひとつ程度として捉えることが多いとか」


 ママが口を挟むが、尾崎よりかは間違いなく知識があるようだ。テレビドラマなどではDNA鑑定が決め手になることが多々あるのだが、まだまだ精度がそこまで高くはない技術であるため、そこまで重要視されるものではない。簡単に言ってしまえば、DNA鑑定だけで犯人を決めつけるような真似はできないのである。事実、それで警察は冤罪事件を起こしてしまったことがある。足利事件と呼ばれている事件のことだ。それにしても、こんな知識まで持っているママは何者なのであろうか――。


「――ひとまず、最初の事件に関してはこれくらいでいいだろうか? 何か質問があるなら、答えられる範囲で答えるが」


 ざっと駆け足ではあったが、最初に起きた――この食人事件の始まりとなった事件の概要は、あらかた話し終えたらしい。しかし、質問などといわれても、あまりにも事件の内容がショッキングすぎて、ぱっと頭に浮かび上がってこない。冷静になって考えれば、後で幾らでも出てくるのであろうが、今は後回しにしたほうがいいのかもしれない。むしろ、全てを聞いた後にクールダウンを設け、それからやるべきことなのかもしれない。


「今はとりあえず、事件概要を全て頭に叩き込むことが優先ですね」


 それらしいことを言って安野を促した。こくりと頷いた安野は、まだ少しばかり青白い顔をしている尾崎に向かって「大丈夫か?」と問い、尾崎が力弱く頷いたのを確認してから手帳をめくる。

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