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 坂田仁は、九十九殺しの猟奇殺人鬼――。何を考えているのか計り知れないところがあるし、人として大切な部分が色々と抜け落ちてしまっているのは事実。けれども、これまで0.5係として坂田に関わってきた縁と尾崎は、いまだに坂田仁という人物像は掴めなくとも、その傾向のようなものは、なんとなく掴めているのだ。


 恐らくだが、アンダープリズンにとっては一大事の緊急事態だったとしても、坂田からすれば、退屈な日常を繰り返しているところに、突如として面白そうなイベントが打ち立てられたようなものだ。だから、間違いなく彼の興味は解放軍のほうに向けられるであろうし、恒常的に顔を合わせる縁達のことなど、見向きもしないだろう。


「私もそう思います。これまで、彼が様々な事件を解決してきたことは、中嶋さんはもちろんのこと楠木さんだって知っているでしょう? では、何が彼を駆り立てていると思いますか? 彼がどれだけ事件を解決したって、その見返りが常にあるわけではない。せいぜい、倉科警部が用意するお菓子くらいしか、見返りはないでしょう。でも、彼は文句を言いながらも事件を解決に手を貸そうとする。それどころか、自分の知らないところで事件が動くとヘソを曲げることだってある。なぜかと言うと――」


 これまでの坂田を見てきた縁は、プロファイリングの知識と照らし合わせて、彼の本質を読み取っていた。正しいと断定できるわけでもないし、間違っていると言い切れるものでもないようなものだが、初対面の時に比べれば、それなりに坂田のことを理解したつもりだ。


「彼は恐らく、事件そのものに嗜好性が強いんです。もっと簡単に言ってしまえば、単純に好きなんですよ。しかも、事件が猟奇的であれば猟奇的であるほど、残酷であれば残酷であるほど、その嗜好性も強くなる。そして、彼のそれは、一般的な人間の趣味的な嗜好と同一のものだと思われます」


 これまで坂田を見てきた尾崎ならば、きっと縁の言いたいことが分かるだろう。坂田は事件に興味を抱き、その謎を解き明かすことに、ある種のカタルシスを感じている。自分ならばもっと上手くやる――なんて言葉が口癖だから、恐らく猟奇事件を起こした犯人に対抗心を抱き、事件を解明することによって優越感すら得ているのかもしれない。


「自分はあんまり難しいことは分かんねぇっすけど、猟奇事件は坂田にとって滅多に食べることのできないご馳走みたいなもんだと、自分は思うっす。しかも、そのご馳走は坂田の大好物っす。大好物の脇に、ごくごく普通の食材があっても、まず真っ先に大好物を食うっす。しかも、滅多に食べられないならなおさらっす。つまり、何を言いたいか自分でもよく分からなくなったけど、ニュアンスで察して欲しいっす」


 本人は上手く例えようとしたのであろうが、途中で何を言っているのか、自分で整理がつかなくなったらしい。けれども、尾崎が何を言おうとしたのかは、しっかりと縁には伝わった。もっとも、中嶋と楠木――特に坂田と接することが皆無である楠木には、いまいち伝わっていないようだったが。


「もうちょっと、俺にも分かるように話して貰えないか?」


 案の定、楠木のほうから突っ込まれてしまい、縁は言葉を探りながら、簡潔に分かりやすく楠木へと伝えることを試みる。坂田と接点のない楠木に、坂田の人間性がどうのこうのと話したところで伝わりにくいだろう。もう少し客観的に、結果論だけ並べてやったほうがいいのかもしれない。


「――つまり、坂田を独房から出しても、彼の意識は事件のほうに向きます。そして、私達に危害を加えることはしないと想定される。事情を把握できていない彼からすれば、その情報源は私達しかいません。ですから、その場で私達に危害を加えることは、彼の中で合理性を欠いてしまうことになる。よって、彼を独房から出してしまっても、問題はないと言える。それに、彼の意見を聞いておきたいというのもあります」


 坂田を独房から出す――。これは、アンダープリズンが世に生まれてから、一度たりとも前例のないことであろう。いわゆる前代未聞というやつだ。だからこそ、楠木も坂田を独房から出すことに迎合できないのであろう。


「それは分かった。しかし、坂田に意見を聞くだけなら、鉄格子越しでも可能だろう? 事実、これまで坂田はそうやって事件を解決してきたんだろう? だったら、わざわざ独房から出す必要はないと思うんだが――」


 中嶋は場の判断に任せるといった具合に、縁と楠木のやり取りを見守っているようだが、どうにも楠木は譲る気がないらしい。どんなに理屈を並べ立てても、楠木の中で坂田は九十九殺しであり、危険であるという認識が拭えないのであろう。


「普段ならば、それで事足りると思います。ですが、普段は事前に資料を用意し、坂田が事件を推測できるだけの条件を揃えてから、私達も面会に挑んでいます。けれども、今回ばかりは突発的であり、当たり前ですが資料もありませんし、事件の情報も私達の頭の中にしかありません。よって、坂田が事件を推測できるだけの材料が圧倒的に不足しているんです。ならば、彼を独房から出し、同行させたほうがいいように思えるんです」


 坂田を独房から出すことが、無謀であるということは分かっているつもりだ。そして、坂田を独房から出してしまうことで、解放軍の要求を飲んだことになるのも理解している。しかしながら、この状況に坂田を投入することにより、事態の好転が望まれるような気がするのだ。


 人数的な面、火力的な面を考えても、今の段階では解放軍に対抗することはできない。特に多くの人間が拘束されている食堂に、この面子で突っ込んだところで、返り討ちにされるのが目に見えている。武器はあれども、自分達を守るのが精一杯で、何もできないというのが現状だった。


「楠木さん――。確かに山本さんの言う通り、何度も坂田のところを訪れて、事件の話をするなんてことができる状況ではないと思います。彼の頭脳を借りるのであれば、同行して貰ったほうが手っ取り早い。それに、坂田は九十九殺しの凶悪殺人犯です。こんな状況だからこそ、彼は戦力にもなってくれるんじゃないですかねぇ? この状況で坂田が味方になってくれるという根拠が、山本さんと尾崎さんにはあるようですから。ここはひとつ0.5係を信じてみませんか?」


 どんなに説得をしても、やはり納得がいかないといった具合の楠木に対して、中嶋が加勢してくれた。縁達よりは坂田から遠い場所にいる中嶋ではあるが、しかし坂田が普通ではないことくらい、嫌でも気付いていただろう。頭が切れる上に凶暴性を兼ね備えた化け物――。敵に回すと面倒であろうが、しかし味方に引き込むことができれば、これほどに心強いものはないだろう。そして、坂田の性格上、この状況下では縁達に力を貸すという公算が強い。


「……もういい。好きにしろ。何があっても俺は知らんぞ」


 縁だけでは駄目だったが、それに中嶋が加わったことで、ようやく楠木が折れてくれたようだ。ここで揉めていても仕方がないと、楠木のほうが大人になってくれたのかもしれない。


「決まりですね――。準備をしたら坂田の独房に向かいましょう」


 中嶋が楠木との間を取り持ってくれたおかげで、ようやく事態が動き始めた。坂田を独房から出すことに100パーセントの合理性はないだろう。誰もが納得するような根拠だって薄い。パンドラの箱を開けずに済むのであれば、きっとこのまま開けなくても良いのだろう。けれども、この硬直しつつある状況に切り込むためには、例え幾つもの災厄が降りかかったとしても、その根底に希望が残っているパンドラの箱を開けるべきなのであろう。何が起きるのかは未知数ではあるが、坂田が起爆剤となってくれることを、心のどこかで期待している自分がいた。

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