21

 この混乱に乗じて、食堂から脱するつもりなのか。とにもかくにもテーブルの上では銃声が飛び交い、そこに雄叫びらしきもの――そして呻き声らしきものまで混じり始める。挙げ句の果てには、新しい遺体が床へと転がった。テーブルの下にいるため、状況はしっかりと把握できないが、やはり銃器を相手にやり合うのには無理があるのか。――いいや、職員がアサルトライフルを奪って、解放軍とやり合っているようだ。数は少ないが、動物の被り物をしている者も床に倒れ込み、遺体と化しているみたいだった。職員がやられっぱなしというわけではないらしい。


 ――なんにせよ、いちいち動揺していたらキリがない。新たに増えた遺体からわざと目をそらすと、尾崎達は頷き合い、流羽の提案に従って行動を開始した。姿勢を低くしたまま移動をして、ひとつ前のテーブルの下で溜め息を漏らした。混乱の最中であるから、解放軍の目につくこともなく、簡単に移動することができた。これを繰り返せば、出入口近くのテーブルの下まで移動することができるだろう。一部、床が血にまみれていたり、事切れてしまった虚ろな瞳と目が合ってしまったりするだろうが、やってやれないことはない。


 言葉などなくとも、尾崎を含む全員に、流羽の意図は伝わっていたようだった。その根底には、ここから脱出するという共通の目的があったからに違いない。そんな尾崎達は、流羽が続いて指差したほうへと移動する。血だまりをまたぐ形にはなったが、移動そのものは誰一人遅れることなく、スムーズに行うことができた。


 やはり指揮系統を失っているからなのか。一方的に解放軍のワンサイドゲームとはならず、まだ混乱は続いている。真っ向から反撃に出て戦っている人――そして、あえなく命を落とした人がいるというのに、自分達はこそこそと見つからないように、ここからの脱出を試みている。そう考えると、なんだか申し訳なくなった。


 テーブルの下からテーブルの下へ――。混乱に乗じて何度も移動を繰り返し、そして尾崎達はいよいよ出入口に最も近いテーブルの下までやって来た。この間――時間にしてわずか数分の出来事。大胆にかつ慎重に、そして迅速に動き、ようやく危機的状況の突破口が見えた。しかし、ここからが鬼門である。銃弾が飛び交う最中、解放軍の足元をくぐり抜けなければ、食堂から脱することはできない。


 尾崎達のいるテーブルから出入口までは、近いとは言えども、それなりの距離がある。どれだけ場が混乱しているとしても、解放軍の目につかないように駆け抜けることは不可能だ。ただ、この予期せぬ反乱によって、解放軍もかなり消耗しているはず。むろん、アサルトライフルの残り弾数という意味でも――。


 事態は一刻を争った。さて、どうしたものかと考えあぐねているうちに、混乱そのものが沈静化してしまうかもしれない。そして、健闘はしているものの、人数の都合から考えても、やはりアンダープリズンの職員側が有利であるとは言えない。彼らが生き延びる術もまた、混乱の中に隙を見つけて、ここを逃げ出すことくらいしかないだろう。例え消耗していようが、指揮系統が乱れていようが、そもそも真正面からやり合うには、戦力が違いすぎる。


「せーのっ……で飛び出してしまいましょう。リスクはありますが、今の解放軍には、足元に気を配るような余裕はないようです」


 ここでようやく、流羽が口を開いた。ここから食堂の出入口に向かい、そして外に出る。何か良い方法――解放軍に見つからずに脱出する方法はないかと思案していたが、流羽の言葉ではっきりとした。もはやこの状況下で、自分達がやれることは、リスクを承知での強行突破のみ。あれこれと策を練っている暇はないし、そんなことをしているうちに機会を逃してしまうかもしれない。覚悟を決めろ。


「るぅるぅ――。私、怖いよ。撃たれちゃったらどうするの?」


 もはや真っ青と言わんばかりの顔色で答えたのは桜だった。先ほどから、ずっと顔色は悪いと思っていたが、この状況に対して精神的な限界を迎えているようだ。仲間が殺され、自分達は奇妙な連中に拘束され、そして平和ボケした日本にいるはずなのに、銃弾の飛び交う最中にいる――。普段は、あっけらかんとしたイメージが強い分、その怯え方が妙に浮き彫りにされていた。


「ですが、このままここに残っていても命の保証はできません。チョンマゲさんや善財さんも一緒にいてくれます。勇気を出して一緒に行きましょう?」


 尾崎と善財の意見は聞いていないが、こんな状況だから無条件で同意見だと思っているのだろう。全くその通りであり、ここにいては何も始まらないし、命の保証もない。ならば、多少危険であっても、テーブルの下を飛び出して、食堂の出入口まで駆け抜けるべきだ。むしろ、他の部分に解放軍の意識が向いている今こそ、最もリスクが軽減されているという見方もできる。


 もはや、ノーリスクで事態を切り抜けられるなんてことはない。虎穴に入らずんば虎子を得ず――とは良く言ったもので、この危機的状況を脱するには、それなりの危険を伴わねばならないのだ。そして、どちらにせよリスクを背負うのであれば、最もリスクの低いタイミングを狙うべき。そのタイミングこそが、恐らく今なのである。


 善財はこくりと頷き、桜は不安そうな表情を浮かべながら、やや震えているように見えた。尾崎は流羽と同意見であるため、テーブルの下から飛び出すことに抵抗はないのだが、善財はともかく、どうにも桜がその気にならないようだ。しかし――言い方は悪いが、他の職員が囮になってくれている今を逃すわけにはいかない。たった一人が首を縦に振らないからと、ここで躊躇ちゅうちょしている暇はないのだ。


 桜の様子を見兼ねた尾崎は、そっと彼女のほうへと手を伸ばした。こうなったら、引きずってでも連れて行ってやろうと考えたのであるが、しかし彼女は首を横に振るだけで、尾崎の手を掴もうとしない。こうしている間にも、チャンスを逃してしまうかもしれない。事態は一刻を争った。尾崎は無理矢理に桜の手を掴かむ。


「――せーのっ!」


 一連のやり取りを見ていた流羽が、唐突に掛け声を発した。これならば、カウントダウンなどをやって貰ったほうが、よほどタイミングが取れたことだろう。そんなことを考えつつ、先に飛び出した善財と流羽に続いて、尾崎は床を蹴る。しかし、ここまでやっても腹が決まらなかったのか、桜が変な抵抗を見せた。汗をじっとりとかいていたせいか、掴んでいた手が滑った。テーブルから飛び出した時には、すでに桜の手は握られておらず、しかし引き返すこともできないと判断した尾崎は、そのまま食堂の出入口を目指すことにした。ほんの一瞬ばかり振り返った際に見えた桜の表情は、寂しそうであり、けれども安堵しているようにも見えた。


 一度飛び出してしまえば、後戻りすることはできない。周囲を見る余裕すらもなく、ただただ食堂の出入口に向かって一心不乱に駆け抜けた。前を走っていた善財の片足から血飛沫が飛び、彼は不自然な形で倒れ込む。それに巻き込まれる形で流羽までもが転倒した。果たして、どのような行動を取るのが正しかったのであろうか。彼らのことを見捨てて食堂を飛び出したのが正解だったのか、それとも立ち止まって彼らに手を差し伸べるのが正解だったのか。食堂を転げ出ながら、ふと視線をやると、ライフルの銃口を頭に突きつけられた流羽と目が合った。彼女が尾崎に向かって頷いたように見えたのは、きっと気のせいではないと思いたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る