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【4】
署内の小会議室。外はすっかりと暗くなり、警察署前にある大通りの交通量も多くなってきた。降ろされたブラインドの隙間から外を覗くと「警察署前くらい法定速度を守らんもんかねぇ」と、独り言を漏らす倉科。今日も日本は平和である。まるで殺人蜂のことなど他人事であるかのように――。
まだ彼らとの約束の時間までは、ほんの少しばかり余裕がある。煙草の一本でも吸ってくるか――。そんなことを考えながら、倉科はポケットからくしゃくしゃになったソフトケースを取り出した。世の中と同じく、警察署内も喫煙家には肩身の狭いものとなっている。煙草の一本を吸うのにも特定の、ごくごく狭いスペースに向かわねばならない。ひと昔前は捜査資料と睨めっこをしながら、よく灰皿を煙草の吸殻で山盛りにしたものだが。
喫煙所に向かおうと
「ご苦労さん――」
会議室の中央に用意した長テーブルとパイプ椅子。倉科はパイプ椅子に腰をかけ、その対面に二人が腰をかける。本日、ここに集まる予定なのは倉科を含めて三人。つまり、尾崎と縁が来たことで全員が集合したことになる。
「それでは、今から殺人蜂連続通り魔殺人事件、特別捜査本部の会議を始める」
咳払いをしてから言うと、二人は小さく頷いた。どうして、本家の捜査本部があるというのに、たった三人でこんなことをすることになってしまったのか。それは、尾崎と縁が下した決断ゆえのことだった。
時間をおいてみたものの、二人の答えはアンダープリズンで出した答えと変わらなかった。すなわち、二人が選択したのは0.5係を志願するというものだったのである。その時もその時で、二人をなんとか説き伏せようと努力したのであるが、尾崎は妙なところで頑固であるし、縁はキャリアという地位を捨ててまで0.5係の命を受けたいと言い出す始末。尾崎とは違って柔軟な考えかたができるであろうに、この時ばかりは尾崎より縁のほうが頑固だったような印象がある。そこに何か固い意志があるようにも見えた。
ただ、二人が答えを出したからといって、即日0.5係に配属になるほど、警察組織というものは簡単ではない。そもそもが秘密裏の役割であるため、色々と時間がかかるのである。警察組織の人間にすら中途半端に機密にしようとするから、こうなってしまうのだ――と思うのは倉科だけであろうか。
叔父である法務大臣様に報告を上げた時は、自分の面子が保てたからなのか大層喜んでいたが、そこで倉科は意地の悪いところを見せて、こう問うてみた。兼任と専任の違いは果たして何なのか――と。
そもそも0.5係は対凶悪犯罪交渉係である。交渉する相手は坂田であり、主たる業務は事件と坂田を橋渡しすることだ。つまり、0.5係に任命されたところで、尾崎と縁は現場にたずさわり続けねばならない立場になるわけだ。それならば、兼任と何ら変わりがないではないかと思ったのだ。
案の定、叔父は検討中だとか、大まかな見通しがついてから話すだとか、適当なことを言ってごまかそうとしてきた。0.5係の話が、どれだけ適当な理想の上に成り立っているのか分かる反応だった。結局のところ、お上の連中は現場のことなんて知ったことではないし、もしかすると0.5係の存在意義すら分かっていないのかもしれない。とりあえず放っておけば、殺人鬼と提携して事件を解決してくれる便利屋としか思っていないのだろう。
なんにせよ、正式に辞令が降りるまで、尾崎と縁は間違いなく倉科の部下であり、また捜査一課の人間でもある。ただ、二人は殺人蜂の捜査本部には組み込まれていない。よって、坂田から情報を与えられたというのに、何もできないという立場にあった。一応、倉科も捜査本部に坂田の考えを提案として上げたが、それが反映されるには時間がかかる。これもまた、0.5係を機密としたがゆえの弊害であると言えよう。
辞令が降りるまでは動けない。降りたとしても、どこまで0.5係が権限を持ち、どのように動けるのか見通しもつかない。その結果、二人が自主的に倉科に進言してきたのが、業務時間外を使っての特別捜査本部の立ち上げだった。たった三人の小さき捜査本部。それは正式に認められているものではないし、捜査に影響力も持ってはいない。いっそのこと捜査支部とでも言ったほうがしっくりとくる。
「それじゃあ、ここ一週間の捜査の成果を教えて貰おうか」
時間外にしか動けない上に、刑事という職業は勤務時間がきっちりと決められているわけではない。尾崎と縁は暇を見つけて捜査に挑んだようだが、果たして一週間程度でどれだけの成果が上がったのか。正直なところあまり期待はしていなかった。捜査本部でさえ手を焼いている事件なのだから、雀の涙程度の機動力では、何もできないだろうと思い込んでいたのかもしれない。それを尾崎が一言で覆した。
「では、自分から報告っす。坂田が言っていた通り、犠牲者にある共通点があることを見つけたっす」
それには縁も驚いたのか、尾崎を軽く二度見した。捜査本部とは違って明確な指揮系統が確立されておらず、また捜査方針も統一されていないため、捜査は各々ができる範囲で行っているのであるが、たった一週間で捜査に成果が出るなどとは思っていなかった。ただ、発言をしたのは尾崎である。内容を聞いて精査してからでないと、本当に成果があったかどうかは分からない。
「被害者の遺族の方々に話を聞いて分かったことなんすが、事件当時在籍しているしていないに関わらず、犠牲者が共通のコミニュティに関与していたことが明らかになったっす」
尾崎の言葉に倉科は頭を抱えたくなった。被害者遺族に対しては最大限の配慮をしなければならない。捜査本部でさえ、デリケートな扱い方をしているというのに、どうやら尾崎はそこに大きく踏み込んだようである。
加害者は国の制度によって保護される点が多いのだが、被害者および被害者遺族に対しての配慮が欠けているのが、この日本の現状である。未成年が起こした事件になると、加害者のプライバシーは法によって守られてしまうのに、マスコミは平気で被害者の実名報道を行う。加害者はどこの誰なのかさえ分からない状態なのに、被害者のプライバシーに関しては丸無視というのが、残念ながら今の日本なのだ。よって、警察は捜査を行う上で、被害者遺族に対しては最大限の配慮を行うように徹している。それでさえ被害者遺族を深く傷付けてしまうことがあるというのに、尾崎はとんでもないところから事件に切り込んだらしい。
「――尾崎、被害者遺族の方に失礼のないようにやったんだろうな?」
ホワイトボードへと歩み寄り、マーカーペンを手に取った尾崎へと問うと、彼は自信あり気に大きく頷いた。
「大丈夫っす。土下座して熱意を伝えたら、話を聞いてくれたっす」
なんとなく、その光景が目に浮かんだ。尾崎は実直で馬鹿正直な男であるため、被害者遺族も熱意に負けたのかもしれない。なんにせよ危ない橋を渡ったことに違いはないが、尾崎だからこそできたことなのかもしれない。後でクレームの電話がかかってこないことを祈るのみだ。
「――続けていいっすか?」
尾崎は手帳を取り出し、マーカーペンの先端をホワイトボードにつけたまま問うてくる。倉科は溜め息を飲み込むと、代わりに小さく吐息を漏らした。
「あぁ、構わん。続けてくれ」
行動力があるのは結構であるが、考えなしに行動に移す尾崎は、少しばかり気をつけねばならないかもしれない。下手を打てば大問題に発展しかねない案件なのだから。
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