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「ここの岩のりラーメンが絶品なんだよ――」


 安野はそう言うと、さっそく豪快に麺をすする。ボックス席のほうからも麺をすする音が聞こえてきて、看板娘の絵梨子は、それを満足げに眺めているようだった。


 縁も一口すすってみた。たっぷりとスープを吸った岩のりが麺と絡み合い、口の中でジュワッと旨味があふれ出す。思わずもう一口。具のほうれん草が、こってりとしたスープをあっさりと食べさせ、メンマやナルトも決して脇役にはならない。何よりもほろほろになるほど柔らかいチャーシューが、麺に絡まって絶妙なアクセントを加える。――美味い。


「おぉ、これやばいっす! 特にチャーシューとかやべぇっす!」


 酔っ払いの尾崎が、もの凄い勢いで麺をすすっている。あれほど美味そうに食べて貰えば、作った側としては冥利に尽きるというものであろう。


「だろう? ここのチャーシューは美味いんだよ」


 安野はそう言いながらも、麺をすすることは止めない。


「いつも悪いわね。とりあえず、お代はうちに請求して。この人数だから手間だろうし」


 ママが絵梨子に小声で言うのが聞こえてしまった。このように外部から出前をとった場合は、どのような清算システムになっているのだろうか。まぁ、ママの言い方からすると、その場で頼んだ客が支払うパターンと、一旦お店のほうに請求して貰って、それを料金の中に含めて清算するパターンがあるようだ。このように大人数で頼んだ場合は、後者のほうがいいのだろう。酔っ払いを相手に、一人ずつ代金を回収して、お釣りが出ればその都度渡して――というのは、効率的ではない。出前なのだから、用意している釣り銭にも限りがあるだろうし。


「そうだ。お代がまだだったな! 絵梨子ちゃん、ここにいる全員の分で幾らになる?」


 しかし、例外というものはあるようだ。どうやら、ラーメンの代金は、全て安野が支払うつもりらしい。縁達の分だけではなく、ボックス席の常連さん、それと一緒になって麺をすすっているミサトの分までをもだ。


「よっ! お大尽だいじん!」


 常連さんの一人から声が上がり、ボックス席から拍手が送られる。お大尽とは、金銭を湯水のごとく使って豪遊する人間のことを指すわけであり、ラーメン代を出したくらいで大尽とは大袈裟であるような気もするが――。まぁ、安野も満更ではなさそうだし、それはそれで良しとしよう。


「絵梨子ちゃん、釣りはいらんからな」


 すっかり気を良くしてしまったのか、歩み寄ってきた絵梨子に一万円札を差し出す安野。これは――翌日の朝になってから後悔するパターンである。


 けれども、その辺りはしっかりとしているのであろう。安野から「ありがとうー」なんて受け取っておきながら、陰でママに釣り銭を渡す絵梨子。酔っ払いのあしらいかたを心得ている。


「このチャーシューはどうやって作るんすか? こんなに、柔らかいチャーシューは初めてっす!」


 酒が入っているせいなのか、一切の遠慮というものを知らない尾崎。元より空気が読めないというか、このようなことを平気で口にしたりするが、これで商売をしているのだからレシピなんて教えて貰えるわけがない。


「でしょう? でも、作り方は企業秘密でーす」


 やはり企業秘密というものは簡単に外に出せるものではない。確かに、ここまで肉を柔らかくする方法は知りたいような気もするが、まず教えては貰えないことだろうし、聞くこと自体が無粋というものだ。


「じゃあ、どんぶりはまた明日にでも下げに来ますから――」


 もう戻らねばならないのであろう。絵梨子はママにそう伝えると、もう一度「毎度ありがとうございまーす」と頭を下げ、安野やら常連やらにやや引き留められつつも、オカモチを両手に店を出て行った。


 ふと、スマートフォンを取り出して時間を確認すると、もう日付変更時間をすぎている。思っていたよりも長居をしてしまったようだ。残りのラーメンをなんとか平らげると、縁は満足げに腹をさすっている安野に声をかけた。


「あの、そろそろ時間も時間ですし、明日もありますので――」


 もう一度自分に言い聞かせる。そして、尾崎と安野に対しても暗に示してやる。ここに来た理由は、決して楽しくお酒を飲むためではないということを。こうしている今も、どこかで次の犠牲者を選定しているかもしれない猟奇殺人犯を、検挙するためだということを。――酔っ払っている二人に、どこまで伝わったのかは分からないが。


「そうだな。そろそろ、おいとましようか。ママ、チェックで」


 安野が人差し指を交差させると、ママは「ちょっと待ってね」と、カウンターの奥に向かい、そして請求額を記した紙切れを安野の前に差し出す。ここは安野が支払いをし、三人はママに見送られつつ店を後にした。


 こんな感じで大丈夫なのであろうか――。すっかりと出来上がってしまい、上機嫌の安野と尾崎を見て溜め息をひとつ。あぁ、倉科警部にも連絡を入れておけば良かった。もう時間が時間だから、今から連絡を入れるのは悪いだろう。そんなことを考えつつ、ようやく帰路につくことになる縁。


 ――ただ、縁だけではなく、後に安野と尾崎も後悔することになるのだ。この案件は、一刻も早く解決すべき事件であったと。


 この街のどこかで、強大な悪意がゆっくりと動き出そうとしていた。

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