事例2 美食家の悪食【プロローグ】1

 ふと少女は目を覚ました。両手の指先が妙な熱を持ち、それが鈍痛へと変換されたことで目を覚ましたのかもしれない。


 ここはどこだろうか――。起き上がって辺りを確認してみようとして、それが無理であることを知る。両手足に鎖が巻きつけられ、それが部屋の四隅へと伸びていたのだ。まるでガリバー旅行記で、ガリバーが小人に拘束されてしまったかのごとく。


 頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、何が起きているのか、そして何から把握していいのか、少女は混乱に混乱を重ねた。だがしかし、なんだか意識が朦朧もうろうとしていて、どうでも良くなっている自分もいた。ここがどこなのかも分からなければ、どうしてここにいるのかも思い出せない。得体の知れぬ恐怖感はあったものの、どこかふんわりとした恍惚感こうこつかんもあったような気がした。自分で自分が分からなくなるような感覚だった。


 唯一、動いてくれる首を動かしてみると、視線の先に何者かの後ろ姿があることに気付く。その人物は台所らしき場所に立っており、何やら料理をしているようだった。少女は助けを求めようと口を動かすが、出てくるのはかすれた空気だけで、言葉を発することはできなかった。


 包丁がまな板を叩く音、コンロに火が入る音、そして、何かを炒める音――。次第に良い香りが部屋へと充満し始めた。どうして自分を助けもせずに、料理をしているのだろうか。そんなことを考えた少女であるが、妙な感覚の歪みが、またしても考えることをやめさせた。


 調理が終わったのか、その何者かはフライパンの中身を皿に盛り付ける。盛り付けられた料理からは湯気が立ち上り、それを持って何者かがこちらちやってくる。


「え、え、え、え、えっくすぅ、じじょう。ぷらす、えっくすわい。ぷらす、わい、じじょう」


 わけの分からない言葉を吐きながら、ふらふらとこちらにやって来た何者かは、その皿を少女の頭の脇へと置いた。薄明るい豆電球のみで照らされた部屋の中では、それが野菜炒めのように見えた。コショウの香りが嫌でも鼻につくが、不覚ながらも微睡まどろみにも似た感覚の中で、少女は美味しそう――だなんて思ってしまった。


「人の指を使った人肉野菜炒めになりまーす。爪はあえて剥いでいませんから、食す時に気を付けてくださーい」


 その言葉に、少女は野菜炒めの異常さに気付いてしまった。普通、このような野菜炒めには豚肉などが使用されるのだが、その野菜炒めに入っているのは、何本もの細長い人の指なのだ。爪にいたってはネイルアートが施されており、そのネイルアートには見覚えがあった。少し前、有名なお店で自分がやって貰ったのと同じデザインだったのだから。


 あぁ、そうか――と彼女は妙に納得してしまった。人間というものは、予想だにしない恐怖や驚きに遭遇した時、意外と冷静でいることができるなんて話を聞いたことがあったが、それはどうやら嘘ではなかったようだ。ただ、感情の起伏の代わりに、頭から足の先まで、ピリピリと微弱な電気が走ったかのような痺れが広がり、背筋が凍ったかのように冷たくなった。


 指が――ない。本来ならばそこにあるはずの自分の指が、一本残らずないのだ。視線を移した先にあるのは、手の平の残骸だけ。しかも片方だけではない。両方の手から指だけが綺麗に切断されていた。赤い断面が、豆電球のほのかな明かりで際立っているように見えた。切断された指を見た瞬間から、彼女を目覚めさせた鈍痛のようなものが酷くなり、そして両手に広がり始めたのは、きっと気のせいではないのだろう。


 どくり、どくりと鼓動に合わせて鈍痛が激痛へと変わる。それは熱を伴って、彼女が忘れかけていた恐怖心というものを呼び起こした。野菜炒めの中に入っている具材は――自分の指だ。まだ手の先には指先の感覚が残っているのに、皿に盛られて、やや焦げ目がついて焼けただれているのは、間違いなく自分の指である。


 おもむろに口の中に手を突っ込まれた。あまりに突然のことだったから抵抗する暇もなく、口をこじ開けられる。手早く器具のようなものを取り付けられ、口が開きっ放しのまま閉じられなくなってしまった。歯医者さんでこれをやられた経験があるのだが、あの時に抱いた不快感は今や恐怖感へと変換されるだけ。果たして、この得体のしれない人物は、これから何をするつもりなのか。嫌な予感が頭をよぎった。


「さぁ、食せ――。どんなに金を積んでも食すことのできない至高の一品を」


 嫌な予感は当たった。その人物は少女に覆いかぶさるようにして馬乗りになると、おもむろに素手で野菜炒めを掴み、それを少女の口の中に押し込んできた。もちろん、普通の野菜炒めではない。自分の指と野菜が一緒に炒めらたおぞましい料理をだ。


 抵抗しようにも抵抗できず、焦げ臭いくせに生臭い――そんな例えようのない臭いが口の中に広がる。次々と口の中に悍ましい野菜炒めを突っ込まれた。窒息してしまうのではないかと思ったが、なんとか鼻呼吸でしのいだ。


 皿にはまだ人肉野菜炒めが半分ほど――。それを口の中に残らず突っ込まれるのかと恐々としたが、その人物はいきなり立ち上がると、少女の元を離れた。この隙に口の中のものを吐き出してやろうとしたが、ぱんぱんに詰め込まれているため吐き出すこともできない。胃の中から酸っぱいものが込み上げてきたが、それさえも押し返されてしまった。むせることもできず苦しかった。


 得体のしれない人物――。いいや、化け物が戻ってくる。それはもはや、少女の目には人の皮を被った化け物にしか映らなかった。


 鼻歌混じりの化け物は、その手に計測用のメジャーと、マジックペンを持っていた。ホームセンターなどで売っている、どこにでもありそうなメジャーだ。マジックペンにいたっては言うまでもない。メジャーを引き出すと、それを少女の顔に当て、マジックペンの先っぽを額に押し付けられた。少し位置をずらして、また同じようにマジックペンを押し付けてくる。額から目頭、目頭から鼻の頭、鼻の頭から鼻の下、そしてアゴ――。頭から下に向かって、何度かマジックペンを押し付けられた。


 果たして何をしているのか……。理解不能なその行動に、少女は恐ろしさを通り越して興味すら抱いた。相変わらず口の中はパンパンで、吐き出すこともできなければ、飲み込むなんて冗談じゃない。呼吸は苦しいし、その呼吸に混じって何とも言えない臭いが肺へと落とし込まれるのが、なんとも不気味だった。


 化け物が再び少女の元を離れる。そして、今度は計測用のメジャーやマジックペンとは比べ物にならないほど物騒なものを引きずりながら戻ってきた。それが床に擦れて出るキィキィという甲高い音は、小さい子の悲鳴であるかのように思えた。――大振りのナタだった。


 声を上げようにも上げることができない。逃げ出そうにも逃げ出すこともできない。人の肉を調理して食べるなんて行為は全く理解できないし、計測メジャーとマジックペンで印のようなものを付けた意味も分からない。ただ、大振りの鉈の存在は、嫌でも化け物の次の行動を予測させた。それは少女にとって絶対にあってはならないことだった。いいや、両手の指が全て切断されてしまったのだ――。考えようによっては、化け物がこれから行うであろうことを歓迎すべきなのかもしれない。


 仮にここで助かったとしても、両方の指がないまま一生を過ごさねばならない。それは到底考えられることではなく、想像するだけでもゾッとした。


 化け物は鉈を床に放ると、残っていた人肉野菜炒めに手を伸ばす。鷲掴みにすると迷わず自分の口の中へと放り込んだ。しゃくしゃく、ごりごり、ぐちゅぐちゅ――と、並べ立てるだけでも嫌な擬音を発し、挙げ句の果てには骨を吐き出した。むろん、それは少女の指の骨だった。人間の骨というのは、思ったよりも太いんだな――。まるで他人事のように思った少女だったが、もはや恍惚感のような不思議な感覚は消え失せていた。あるのは麻痺した恐怖感だけ。


 恐らくは食材となった自分の指からあふれ出た赤い肉汁を、よだれと一緒に垂れ流しながら、狂いに狂った笑みを浮かべる化け物。口角は恐ろしいほどに吊りあがり、まるで口が裂けているかのようにも見えた。次々と野菜炒めを口に運び、そしてあっと言う間に平らげてしまうと、興奮したかのごとく声を上げる。


「う、う、う、うまーい! しんなりとしたキャベツの歯触りと、わざと火をあまり通さずに調理した、もやしのシャキシャキ感。にんじんのほんのりとした甘みが全体の味を引き締める。それでいて全体的に主張はせずに、メインの人肉の味を引き立てているぅ!」


 再び化け物が馬乗りになり、少女は悍ましい光景を目の前にして意識がかすれる。いっそのこと意識を失ってしまったほうが楽なのに、あまりにもショッキングな出来事を目の当たりにして、むしろ神経は過敏になっていた。眠たいはずなのに、なぜだか全く寝ることができない――そんな奇妙な感覚だった。


「何よりも、食材となった人肉が素晴らしい! 野菜炒めには若い女の柔らかい指がいい。ほとんどの部分に火を通しておきながら、ほんの少しだけレアな部分を残すことでぇ、肉汁と一緒に生き血がしたたり、それが野菜炒めの味を全体的に引き締める。それぞれの食材がそれぞれの食材を引き立て、それでいてメインである人肉がしっかりと口の中で主張する。これほどに美味いものが、世の中にあるのか――。ない! これほどの至高の一品は、まず滅多にお目にはかかれなーい!」


 またしても胃液が上がってきた。化け物は、自分の口の中に突っ込まれたものと同じものを口にして、グルメ番組さながらに料理を絶賛しているのだ。聞いているだけでも、気持ちの悪くなるレポートだった。


 化け物が口元を袖口で拭い、そして放り出していた鉈を手に取った。それを両手で振り上げると、歪んだ笑みをさらに歪めた。


「全ての恵みに感謝し、そして人の食に様々な命が捧げられていることに感謝するぅ!」


 覚悟が決まっていたといったら嘘になる。だが、この地獄から解放されるのであれば、死もまた手段のひとつと言えるのではないか。少女はどこか悟ってしまい、振り上げられた鉈の刃先を見つめるばかり。


「それでは、ごちそうさまでしたぁ!」


 それが合言葉であったかのごとく、風を切る音と共に鉈の刃先が振り下ろされた。少女が最期に見た光景は、満面の笑みを浮かべた化け物と、鉈の刃先に反射した、恐怖に歪んだ自分の顔だった――。

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