10
「こいつを持っていてくれ。後、軽く中嶋にもスルーされてたけど、そのエビチリはここに置いて行け。心配しなくても誰にも盗られないからな」
尾崎にケーキ箱を手渡す。いまさらになって気付いたが、尾崎はしっかりとエビチリをここまで持ち込んでしまっている。法規措置がとられた特別な認可者であるため、チェックが不充分だったのか、それともエビチリは検閲の必要がないという特殊な規約があるのか。はたまた、尾崎のエビチリ愛が、エビチリを見えないものにしていたのか――。なんにせよ、万全のセキュリティーを誇るはずのアンダープリズンが、エビチリの侵入を許したのだ。検閲システムを見直し、しっかりとマニュアルを決めたほうがいい。
尾崎は渋々とエビチリを手離し、わざわざ検閲ボックスの中に入れる。あろうことかボックスを閉じ「これで認可がないと開けられねぇっすよね?」と、鼻を鳴らした。面倒なことをしてくれたものだ。まぁ、このイレギュラーなできごとに、アンダープリズン側がどんな対応を見せるのか興味もあるのだが――。
大きく深呼吸をして、認可証を最後の認証機に読み取らせた。重たい扉が音を立てて横へとスライドし、淀んだ空気を吐き出した。その空気にはすでに、ピリピリとした微粒子のような含まれているような気がした。
倉科は拳銃を構えた。何がなんだか分からないだろうが、この異様な空気は察することができたのであろう。尾崎と縁は身構える。
拳銃を構えながら、倉科はゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れた。薄暗い明かりに照らされた独房の中は、湿った空気が漂い、そこに独特な威圧感が含まれて循環していた。続いて尾崎と縁が足を踏み入れ、鉄扉はゆっくりと閉まった。地下の奥深くに、倉科達は閉じ込められてしまったわけだ。
これだけの音がすれば、彼だって嫌でも気付くであろう。恐らく眠っていたのであろうが、鉄格子の向こう側でむくりとベッドから起き上がる。
「人がせっかく気持ち良く寝てたってのによ――。相変わらず身勝手な連中だな。警察の馬鹿はよぉ」
気だるそうに頭をかくと、彼は尾崎と縁の姿に気付き、気味の悪い笑みを浮かべた。時間に縛られず、ある程度の自由な生活スタイルを許されている彼のほうが、身勝手であるように思えるのは倉科だけであろうか。
「今日は知らねぇ顔がいるなぁ。まぁいい。とりあえず風呂だ。風呂――。もうちょっと空調をどうにかしろよ。過ごしにくいったらありゃしねぇ」
尾崎と縁は、鉄格子の向こう側の彼の姿を見て、呆気にとられているようだった。トレードマークのトライバルタトゥーに、テレビでしつこく報道された顔。それが坂田仁であることには気付いていることであろう。もっとも、自分の目を疑っていることだろうが。
拳銃を構える倉科。死刑が執行されたはずの坂田が生きていることに、放心状態となっている尾崎と縁。そんな三人を尻目に、坂田はおもむろに服を脱ぎ出した。
独房の隅っこ――。便器とは反対側の奥のほうに、申し訳程度のシャワーノズルが付けられている。これは見たまんま、シャワーである。ただし、仕切りなどはつけられていないし、当たり前であるが脱衣場もない。タンクトップを脱ぎ、ダメージジーンズを履き捨て、挙げ句の果てに三人の前でボクサーパンツまで下ろした。
縁が小さく声を上げて、思わず両手で顔を覆った。倉科は拳銃を下ろさずに、大きく溜め息を漏らす。
「デリカシーってもんがないなぁ。こっちには女がいるんだよ。風呂は後にしろよ……」
基本的に囚人というものは、当たり前ながら一日の行動が時間単位で決められている。もちろん入浴時間だって決められており、全てが時間単位で管理されているのが普通だ。ただ、坂田の場合は少しばかり特殊なのである。
「どうせ監視カメラで見られてんだ。どこで脱ごうが一緒だろうが――。それに、俺がシャワーを浴びたいって言ってんだ。ちょっと待ってろよ」
死刑囚というものは死刑そのものが刑罰である。そのため、刑務作業によって罪を償う必要がない。そんな死刑囚でさえ、基本的には時間単位で管理されているのものだ。だが、坂田の場合においては、食事の時間が決められている程度だ。これにはちゃんとした理由がある。できる限り坂田との接触を避けるためだ。
囚人が風呂に入るためには、必ず刑務官が付き添う必要がある。だが、仮に刑務官が付き添っていても、坂田を檻から外に出すのは相当な危険が伴う。それゆえに、最初から坂田の入る独房にはシャワーが備え付けられているのだ。それだけ九十九殺しには警戒をしなければならないのが現状なのである。
独房の中で食事以外の全てがまかなえてしまう。そんな特殊状況下に坂田は置かれているのだ。中嶋の話によると、配膳の際にも三人体制で行うとか――。
坂田は倉科達の存在などお構いなしに、鼻歌混じりにシャワーを浴び始めた。まったくもって、死刑囚とは思えぬご身分である。独房にシャワーなど明らかに不自然だというのに。
こちらが硬直したまま待つことしばらく。坂田がシャワーを止め、これまた不自然に備え付けられたタオルホルダーからタオルを手に取る。体を簡単にふいて頭にタオルを被ると、素っ裸のままベッドに腰をかけた。縁はいまだに顔を覆ったままだ。
坂田はベッドの下に手を差し入れると、カゴらしきものを取り出した。その中から、ビニール袋で包装されたタンクトップを取り出す。その代りに脱ぎ捨てたタンクトップを拾ってカゴに入れる。続いて下着も取り出すと、またしても脱いだものをカゴに入れた。ジーンズはさておき、上着と下着はクリーニングサービス付きということか。きっと、決められたタイミングで洗濯物が回収され、しっかりと洗濯された上で戻ってくるのであろう。一般人よりもいい暮らしをしていると思うのは倉科だけだろうか。少なくとも、倉科は自分で洗濯をしているわけであるし。
「で、今日はぞろぞろと揃いも揃って何の用だ? まさか、なんだかんだで俺の要求をのんでくれたのかなぁ?」
坂田が未だに顔を両手で覆っている縁を見て、実に分かりやすくいやらしい笑みを浮かべた。
「ほら、約束の宝文堂の焼きプリンだ。一応言っておくが、こいつは風呂屋の女じゃない。これでも刑事だ――。誰がお前なんぞに女を提供するものか」
そう言うと尾崎からケーキ箱を受け取る。拳銃を構えつつも鉄格子そばの床にケーキ箱を置き、その場をすぐさま離れる倉科。縁には「もういいぞ……」と、合図を出してやる。ようやく顔から両手を離した縁ではあるが、その顔は真っ赤なままだった。
「警察の馬鹿どもはそんなに人手が足りねぇのか。こりゃ、犯罪者にとってやりやすい世の中になるなぁ」
坂田はそう言いつつも、しっかりとケーキ箱に手を伸ばした。鉄格子の隙間ぎりぎりの幅であるケーキ箱を引っ張り込むと、それを開く。
「こいつはこう見えてキャリア組だよ。ごくごく普通にしている分には、お前なんかと関わり合いを持たない雲の上の人種なんだ。お前ごときが偉そうなことを言える相手じゃ――」
「ひゃっはー! 甘シャリだ。甘シャリだぜぇ!」
倉科の言葉を遮って、坂田の歓喜の声が上がった。約束通りの甘シャリに喜んでいるようだった。
「おい、坂田。それは後にしてとりあえず人の話を聞け。人の話を」
そんなことを言ったところで、素直に坂田が従うわけがない。ケーキ箱からクリーム焼きプリンを取り出すと、スプーンも使わず手掴みでプリンを食す。まるで腹を空かせた野良犬が餌に喰らいつくかのような勢いだ。
「あー、甘ぇなぁ。おい、これ甘ぇぞ! このプレーンとチョコのクリームだけでも甘ったるいってのによぉ、香ばしく焼かれた表面で口休めができたと思ったら、卵がたっぷり使われたプリンときたもんだ。しかも、挙げ句の果てにクソみてぇに甘ぇカラメルソースだぜ。最高じゃねぇか。相変わらず美味ぇなぁ――」
子供であるかのように焼きプリンを褒めたたえつつ、六個入りであるというのに、あっという間に平らげてしまう坂田。最後のひとつになったプリンのカラメルソースをすすると、満足気な溜め息を漏らした。
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