第七十回 白秀英という女

 王倫達おうりんたち鄆城県うんじょうけんにやってきた。劇団げきだん一座いちざ芝居小屋しばいごやの前で王倫の到着とうちゃくを待つ者達。雷横らいおう朱仝しゅどう、それにその上司じょうしである時文彬じぶんひんであった。


「王倫殿にもうすぐお会いできるのか」


 時文彬が言う。


「ええ。まさかさそいをもちかけたら逆にこんな形になるとは思いませんでしたよ」


 雷横が頭をかきながら答える。


「雷横が王倫殿を招待しょうたいした結果逆に私と時文彬様までまねいてもらえるとは。梁山泊りょうざんぱく軍師殿ぐんしどのには気を使わせてしまいましたな」


 ひげをしごきながら言うのは朱仝。呉用ごよう費用ひよう全額ぜんがく梁山泊が持つので雷横だけでなく朱仝、時文彬もその場に連れ出して欲しいと頼み、支度金したくきんと時文彬宛の書簡しょかんまで用意して雷横に渡していた。二人も宋江そうこうの時に世話になったのでそれを了承りょうしょうし、雷横はならばと一座の上席じょうせきを全部おさえていたのだ。


 これは県知事けんちじにあたる時文彬とぞく首領しゅりょう王倫が同席どうせきする為、目撃者もくげきしゃとなる人間はなるべくいない方が良いだろうとの判断からである。しかし一座からしてみれば上席を全て貸し切りにするような人物はとんでもない上客じょうきゃくと言って良い。もし支援者しえんしゃになってくれれば活動が断然だんぜんやりやすくなるし規模きぼだって広げられる。当然お近付きになりたい相手だ。


 雷横は良かれと思い選択せんたくした行動であったが、結果は劇団関係者からその人物への興味きょうみを最大限引き出してしまった格好かっこうになっていた訳である。


「お、時文彬様みえましたよ」


 視界しかいの先になごやかな雰囲気ふんいきかもし出している王倫一行が現れた。


「これは雷横殿。本日はお招き頂きありがとうございます」


 王倫はまず雷横に礼をべる。


「いえいえ。わざわざご足労そくろうありがとうございます。王倫様の話を伝えましたら時文彬様も是非ぜひ御一緒ごいっしょしたいと言われまして」

「おお! 貴方あなたが時文彬様ですか。お会いしたいと思っておりました」

「宋江の件ではお世話になっております。挨拶あいさつが遅れて申し訳ありません。私も今日を楽しみにしておりました。お邪魔じゃまでないとよろしいのですが」

「邪魔などととんでもない。朱仝殿もお久しぶりです。ご健勝けんしょうそうで何より」


 朱仝もこたえ王倫達は互いに紹介を済ませた。このきっかけを作ったのは確かに雷横だったが、全てのお膳立ぜんだてをしたのは呉用である。しかしそれを知るのは鄆城県の時文彬、朱仝、雷横のみであった。一行は座長ざちょう白玉喬はくぎょくきょうという男に席へと案内される。それはもう賓客ひんきゃくあつかいであった。


「本日は我が一座に足をお運び頂き誠にありがとうございます。どうかごゆるりとお過ごしくだされませ」


 そう挨拶し皆と少し言葉を交わしてからその場を離れる。座長はそのまま舞台裾ぶたいそでへと足を運ぶ。そこにはまく隙間すきまから上席の様子をうかがっている女が一人。女は白玉喬に向かい手招てまねきをして早く来るよううながす。


「どうだったの父さん」

「鄆城県の知事時文彬様と出来て間もない王家村おうかそんの村長王倫様という方らしい。後はそれぞれのお付きの方々かたがた秀英しゅうえい


 ※白秀英はくしゅうえい

 東京とうけいから鄆城県にやってき女芸人おんなげいにん芸妓げいぎ)で白玉喬の娘。良くも悪くも現実的。芸人気質げいにんきしつだが強気つよきで人の話を聞かない所がある。


「知事と村長? それで上席を全部貸し切ったって言うの? 結構ながくよ? 現実的じゃないわ」


 白秀英は首をかしげた。彼女にも知事の知り合いはいるが今回のような真似まねが出来る程知事の給金きゅうきんは高くない。もちろん不正ふせいおこな私腹しふくやしているなら話は別だが。


「って事はその村長の方? でも一介いっかいの村長が金銭的に豊かだとはとても思えないけど……」

「そうでもないのではないか? 心付こころづけもこんなにくれたぞ?」


 白玉喬はもらった金子きんすを娘に見せた。白秀英の顔色が変わる。


「こんなに!? 相場そうばの三倍はあるわよこれ!」

「良いお客だろ。是非ぜひ馴染なじみになってもらいたいものだ」

「えええ? 一体どういう事よ。……出来たばかりの村が知事に何か便宜べんぎをはかってもらおうとでもしてるのかしら。いえ、それよりも!」


 彼女は幕の隙間から客席を凝視ぎょうしした。


「父さん、その王倫って人はどの人?」

「ん? ……今子供を抱いている方がおるだろう?」

「あのかたね……え!? いい男じゃない! ……ひかえめに言っても私の好みだわ」

「その横に座ってその子達を笑顔で見守っている方だな」

「……あんないい男で金持ちで気前きまえ文句もんくなしか……よし、決めたわ!」


 届いていない。桃香とうか瓢姫ひょうきがはしゃいで鄭天寿ていてんじゅひざに乗っていたばかりに父親の説明はそのむすめにとって途中とちゅうからただの雑音ざつおんしてしまっていたのである。

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