第九十回 王倫の備え

 矢がまと射抜いぬく。ゆみ修練しゅうれんをしているのは花栄かえい。そして……


見事みごとです瓢姫ひょうき様!」


 花宝燕かほうえんめられ少し赤くなる瓢姫だった。


「さあさあ。皆様も少し休憩きゅうけいなされては?」


 花栄の妻、さい氏がぼんに茶の道具を乗せてやってきて言う。瓢姫は弓の鍛錬たんれんに通っていた事もあり花栄一家とは個人的繋がりがあった。


「しかし瓢姫様も随分ずいぶんと腕を上げられました。身体からだが成長すれば私も追い越されるかもしれません」


 花栄が笑う。瓢姫は首を振って


「先生の教え方が上手じょうず


 と答えた。すると今度は花栄の方が首を振る。


「いやいや。それが事実であれば我が妹がこんなに下手へたな訳がありません」

「!? ちょ! わ、私だって役に立とうと頑張がんばっています。お二人と比べられる方がそもそも間違まちがっているのです!」


 宝燕が真っ赤になって反論はんろんする様子を崔氏が笑いながら見ていた。皆はしばら談笑だんしょうしていたが、やがて誰かがこちらに向かってくるのが見えた。


「……爸爸ぱぱ

王倫おうりん様!」


 立ち上がろうとするみなせいして王倫が一声ひとこえかける。


「ああいやいや。そのままで結構です。お邪魔でなければ私もご一緒して構いませんかな?」

「王倫様に来ていただけるなど願ってもない事。ささ、姫様の隣へどうぞ」

「爸爸、こっち」


 花栄がいても構わない物を用意し王倫の席を用意した。崔氏もすぐに王倫のお茶を用意する。


「あ……」


 緊張きんちょうしていた宝燕だったがある事に気付く。それを見たら内心おかしくなり身体から力みがとれた。その光景に王倫の優しさを感じたのだ。


「まずは崔氏と宝燕殿。先日は桃香とうかがお世話になりましたな。私へとこれを進呈しんていされましたぞ」


 頭の上には花冠はなかんむりが。


「まぁ! わざわざそんな!」

「……よく似合にあう」

「……ぷっ! あ、いや失礼」

「もう! 兄上」


 思わず吹き出した花栄に突っ込む宝燕。


「瓢姫は今日は花栄に弓を教わっていたのか」

「うん。楽しい」

「そうかそうか」

「瓢姫様凄いですよ。私なんかより全然」

「当たり前だ。お前の才と姫様の才を一緒にするな」


 今度は兄が妹に突っ込む。その様子をみて崔氏が笑った。


「王倫様。王倫様のおかげでこの人も義妹いもうとも、もちろん私も毎日楽しく過ごさせていただいております」

「……瓢姫も」

「いやいや。この平穏へいおんも花栄殿はもちろん皆がはげんでいてくれているおかげ。私はその恩恵おんけい胡座あぐらをかかせてもらっているだけです」


 謙遜けんそんする王倫。その態度に感激する花栄。


「何を言われますか! 王倫様のつめあかを憎き劉高りゅうこうめにせんじて飲ませてやりたい所存しょぞん!」


 花栄の上司でもあった劉高は清風寨せいふうさい騒動そうどうさいめられたものの、一同が宋江そうこうの進言に従い梁山泊に向かい撤退てったいしたため、結果的に難をのがれる形になっていた。その為花栄はいまだ雪辱せつじょくの機会を狙っているのである。


それがし、王倫様のおんむくいたいとつねに考えております。もしご用命ようめいあるならばなんなりとおっしゃって下さい」


 花栄が座ったまま姿勢しせいを正して言うと王倫もうなずいて姿勢を正した。しかし身体は崔氏や宝燕に向けている。


「貴殿のその言葉嬉しく思う。お二方ふたかたにお願いがあります。今の言葉に甘えさせてもらい、彼をしばらく借りて行ってもよろしいでしょうか?」


 王倫は打つ手のひとつに花栄の力が必要だと説明した。崔氏も宝燕も本人がやりたいなら反対するつもりはないと心配しながらも彼を送り出す。


 こうして王倫のめい(頼み)を受け、花栄を筆頭ひっとう孟康もうこう湯隆とうりゅう鄧飛とうひ郭盛かくせい呂方りょほう黄信こうしん周謹しゅうきん劉唐りゅうとう阮小二げんしょうじ阮小五げんしょうご阮小七げんしょうしちと言った面々めんめんが手下を引き連れ梁山泊りょうざんぱくあとにしたのだった。


 梁山泊軍師の呉用ごようは王倫から万一まんいちへの備えの布石ふせきとは聞かされていたが、その詳細しょうさいには言葉をにごされてしまう。以前にも同じような展開てんかいがあった事を思い出した彼は、王倫の持つ何かが働いた影響と考えそれを見守る事にする。


(あの時はこんな感じで梁山泊の人口が倍になったのだ。首領が言うなら何かあるのだろう)


 しかしさいを離れた面子めんつと持ち出された物資ぶっしを見て王倫の狙いに気付く所は流石さすがであった。


(なるほど。これには水練すいれん武装ぶそうに関する練度れんどを上げる目的もふくまれているな。だとするなら滄州そうしゅうと梁山泊の位置を考えて……このあたりへの配置だろう)


「……さすが首領。これなら本命とやらが空振からぶりに終わっても兵の練度は上がって帰ってくるだろうし多少の遠征経験えんせいけいけんにもなる。これはめぐって自分達の計画にも良い影響えいきょうを与える」


 呉用もまた梁山泊の為に次の一手を考えるのだった。

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