第五十三回 人たらし王倫(後編)

 王倫おうりんは言った。


「この梁山泊りょうざんぱく水上戦すいじょうせん上手うまく戦えれば勝ちます。そして水上戦は弓が有効といにしえの軍師も言っておりましてな」


 呉用ごようはすぐに三国時代に活躍かつやくした軍師ぐんし周瑜しゅうゆのちしょく軍師ぐんし諸葛亮しょかつりょうとのやりとりが頭に浮かんだ。


(本当に気の回るお人だ)


「ああ、酒がからになっておりますな。湯隆とうりゅう花栄かえい殿についであげてくれぬか?」

「はい首領しゅりょう。では花栄殿」

「花栄殿の腕前うでまえに」


 王倫が言うと喝采かっさいがあがる。花栄も照れながらその一杯いっぱいを飲み干した。


「さて花栄殿?」


 皆王倫の姿を見て固まった! なぜなら王倫は両手で持った果実かじつみずからのあたまうえかまえていたからだ。みな意図いとさとって静まりかえる。花栄にあれをよと言っているのだと。


「あ、義兄あにき!」

義兄上あにうえさすがにそれは!」


 王倫の身をあんじて楊志ようし林冲りんちゅうが止めに入る。花栄は立て続けに酒を飲んだ上に王倫の格好かっこう先程さきほどと違い的が急所の頭部とうぶ間近まぢか。そして弓の威力いりょくは先程見た通りである。


 つまりわずかにでも狙いがずれたら王倫が即死そくしするのだ! この状況じょうきょうでは晁蓋ちょうがいだまっている訳にはいかない。


「首領、私が花栄殿に言い過ぎました。あやまりますからその様な事はなさらないで下さい!」


 だが王倫は一言発しただけだった。


「花栄殿」


 ……花栄は構える。王倫から有無うむを言わさない迫力はくりょくを感じたからだ。晁蓋もその迫力に何も言えない。


「うわぁぁ……こわくて見ちゃいられない」


 誰かの小声こごえつぶやきがはっきり聞こえた。


 ダスン!!


「ひぃっ!」


 悲鳴ひめいが上がっても皆しっかりと王倫を見る。果たして王倫は……無事だった。果実だけがしっかりと後ろのかべいつけられていた。


「う、うおおぉ!」

「花栄殿も見事だが首領の胆力たんりょく素晴すばらしい!」


 室内がかってない歓声かんせいに包まれる。


「て、手に汗握あせにぎるってこんな時を言うんだな」

「お、俺もそうなってた」


 皆興奮しているようだった。そんな中、


「花栄殿、まことにお見事みごと! そなたに弓で対抗たいこうできる者など国広くにひろしと言えどもらぬであろう」

「……は! 勿体もったいないお言葉。この花栄、そのお言葉ことば生涯しょうがいわすれませぬ!」


 王倫はふるえていた。感動ももちろんあるが彼は元々もともとそんな大胆だいたんな人間ではない。やはりこわかったのだ。しかし勝算しょうさんがあってあえてやった。その勝算とは?


(もし私がこれで死ぬならそれを夢で見ていたはずだからな)


 そう。夢で見ていないなら王倫は死なないのだから無茶むちゃは出来る。


「ところでその弓の感想を教えて欲しい」


 王倫は湯隆が欲しいであろう情報もきちんと引き出そうとした。


「これはもしかして試作品しさくひんだったのですか? いえ、これは『扱える者』にとってはすで名品めいひんと言ってつかえありません」


 花栄は気になる言い方をしたが、王倫と湯隆はやはりとうなずく。


「し、首領。それはどういう意味なのでしょうか?」


 朱貴しゅきが言うので彼に先程の弓を渡させる。


「言葉通りの意味だ。げんを引いてみよ」

「!?!? か! かたい! なんだこれは?」


 朱貴の反応に驚いた者達が我も我もと弓にむらがる。


「その大きさにあの威力なのだ。引けぬ者がいるのは当然。花栄殿の膂力りょりょく相当そうとうのものだろう。それでいて初めて触った弓にも関わらず狙った所を射抜くのだ。その力量りきりょうして知るべし」


 王倫は花栄に続けて言う。


「どうでしょう? 私はこの弓に『花栄弓かえいきゅう』と名を付け貴殿きでんに贈りたい。受け取っていただけますかな?」


 花栄はこの申し出を喜んで受け、以後彼を軽く見る者はいなくなり、当人とうにんは王倫への信頼を厚くした。

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