第百二十四回 徽宗、蔡京、高俅

 開封府かいほうふ宰相さいしょうである蔡京さいけいは一日の仕事が終わり自分の屋敷で考え事をしていた。最近政務がすんなりといきすぎている。別にそれ自体は悪い事ではない。自分の思うがままに振る舞えているのだから。しかしなぜそうなのかと言えば皇帝、徽宗きそうがますます政治に無関心になっているように感じずにはいられないのだ。


(まるで何かに気を取られてこちらの話を真剣に聞いていないような……)


 そう。大抵の案件に皇帝の意見を聞いても蔡京に任せる。よきにはからえ。となるのだ。


 先にも述べたが、それは蔡京とその一派には都合が良くなるだけなので歓迎すべき事。しかしその原因が分からないのでは落ち着けないのも確か。


(人をつかわして調べてみるか。相手が相手だけに慎重にやらねばならんが……)


 それから数日間、同じように日々を過ごした蔡京に報告がもたらされる。それによると徽宗は公務が終わると宿元景しゅくげんけいの屋敷へと毎日のように出入りしているというのだ。酒や女にうつつをぬかしているならともかく、そういう存在からは遠い位置にいるのが宿元景。また、彼が徽宗をその手の接待でもてなすような性格でないのも良くわかっていた。


(仮に陛下へいか性癖せいへきが間違った方向に走ったとしても彼は……ないな)


 仮にそれで陛下に取り入ったと考えても彼は殿司太尉でんしたいいのままだし領地や褒美ほうびが与えられるでもない。政治について彼の発案した何かが陛下の口を通して出てくるかとも思ったがその気配すらなかった。


(確か宿元景殿が病の為に登庁してこなかった辺りからか。そうだ、陛下御自ら見舞いに行ってから様子が変わられた気がする)


 この時蔡京は把握できていなかったが、時期については鋭い考察をしていたといえる。


 あの日徽宗は宿元景の屋敷で見つけた木箱の蓋を開けた。それは精巧につくられた瓢姫ひょうきの箱庭。徽宗は一目でその素晴らしい世界にひきこまれた。箱庭は梁山泊りょうざんぱくでも流行しておりこれは孔明こうめい達が土産のひとつとして持ち込んだもの。


 徽宗は芸術家肌の皇帝。それの製作にどれほどの技術と芸術的感性が必要かすぐに見抜いたのだ。なのでこの箱庭を芸術品としてすぐに受け入れたのである。


 さて、ここで梁山泊ではある分岐ぶんきが起きた。住人達がこの箱庭に取り掛かろうとした時、個人的感性はさておき、見栄みばええの良い箱庭にするには一定の技術が必要だと気づく。採集してきた小物に手を加えてさらに作品を良くするといった技法だ。


 これにより根気のない者や自身の力量に見切りをつけた者が離脱した。……のだが。


 捨てる神あれば拾う神あり。そういう小物を職人に依頼して一定水準の物を個別に作らせて取り扱い、販売するという商魂たくましい者が現れた。これは新たな雇用を生み出す。その者はそれをさらに発展させて、一式買えばあとは感性で並べて好きな庭を作って遊べる「造園遊戯ぞうえんゆうぎ」なるものを発案。瓢姫のような精巧さはないが、他人の庭と比べる遊び方とお手軽さを押し出した為、一度は諦めた者達の箱庭熱が再燃さいねんした。


 つまり何が伝えたいのかと言えば、その造園遊戯も宿元景の屋敷に置いてあったのである。ご丁寧に取扱い説明書も一緒に。そして徽宗もこれにのめり込み、庭園をつかさどる宿元景と毎日のように感性を磨きあった(正確には宿元景は付き合わされた)。


 箱庭とこの遊戯を持ち込んだ人物を徽宗は当然知りたがったが、宿元景は顔を知らない商人らしき者が金に困っている様子で訪ねてきたので不憫ふびんに思いその荷物を買い取っただけだと誤魔化ごまかす。使用人に対応させ、荷物はそのまま部屋のすみに置いて忘れていたことにしたのであるが、これを徽宗は大変に残念がった。


 宿元景は徽宗がこの者達……孔明に孔亮こうりょうを探しだそうと派手に動きだしても困るので、次があれば自分が対応する事と詳細は必ず徽宗にも伝えるという内容で先手を打つ。


 彼は気苦労こそ絶えなかったが、皇帝である徽宗の気心が知れる感じがして悪い気はしなかった。徽宗がこの遊戯にのめり込み、実際の造園に関して指示を出さなくなった事で花石綱かせきこうにかかる労力と費用、芸術活動の費用を捻出ねんしゅつするための重税から民は解放される可能性が浮上したがこれは残念ながらついえた。


 事情を知った蔡京らがこの政策が行われているかのようにして自らの私腹を肥やしたためだ。民の怨嗟えんさの声は止む事がない。


 そんなある日。蹴鞠けまりを得意とし、その技を徽宗に認められて出世してきた高俅こうきゅうは自分の屋敷の庭でその練習をしていた。大勢の者達と一緒に蹴鞠をする日もあったが、この日は世話役の者達も下がらせ本当に一人で蹴鞠の練習に打ち込んでいる。


 鞠を肩からひざへ、そして脚へと流れるように運ぶ。一旦足の甲で鞠を止め、そのまま頭へ蹴りあげ額で受け止める。しばらくそうした動きを繰り返していたが、彼は突然動きを止めた。両手を後ろで組んだまま視線は庭の茂みに向けられている。


 ふとその茂みが揺れた。と同時に武装した男達が高俅めがけて飛び出してくる!


「高俅! 今日がお前の最後だ! しいたげられた者の恨みを知れ!」


 あっという間に四人の男達に取り囲まれる高俅。


「都合よく一人になった運のなさをなげきな!」

「……」

おびえて声も出ねぇか!」

「……か」

「何言ってるか聞こえねぇよ!」

「四人か。もう一人は出て来ないのかと言ったのだ」

「な、何?」


 言うが早いか高俅は足で適当な大きさの石を拾いあげそのまま茂みに蹴り込んだ。驚きの声と共にもう一人が飛び出してくる。


「お、お前なぜぶはぁっ!?」


 囲んでいた男が高俅に向きなおると同時に顔面には鞠が直撃していた。跳ね返った鞠は再び高俅の足下に。それが開戦の合図となった。


 男達は五人。手に持つ剣で斬りかかる。高俅は後ろ手のまま蹴鞠をしながら攻撃をかわす。


「このぉ! 舐めやがって」


 ある男には鞠を肩に乗せ蹴りを見舞い、またある男には蹴りと鞠との連携攻撃を繰り出す。


 数分後、空中に高く蹴りあげた鞠を背中で受け止めた時には地面には五人の男が横たわりうめき声を上げていた。


「ふん。折角せっかく膳立ぜんだてまでしてやったのにこの程度か。いにしえ江東こうとう小覇王しょうはおう(孫策そんさく)のようにはいかなくて残念だったろう」


 高俅は息も乱さず男達を一瞥いちべつする。そして目線を外して一言だけこう漏らした。


「……こうまで夢で見た内容通りとはな」


 と。

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