第百二十五回 いい天気の日に

 河北かほく。三国時代では袁紹えんしょう、後に曹操そうそうが治めていた地域である。祝家荘しゅくかそう祝彪しゅくひゅうは武芸の修行のために家を出てこの地を旅していた。ある時、獣害に悩まされている住人の頼みを聞き獣退治に赴いたところ、偶然同じ目的で行動していた三兄弟の猟師と出会う。


 でん兄弟と言い長男の田虎でんこ田豹でんひょう田彪でんひゅうの弟達で、同じ彪の字を持つ田彪と意気投合した祝彪は協力してこの獣を退治。そしてしばらく彼らと行動を共にした。


 この三人は同じく祝家の三兄弟と比べると、長男の田虎は腕力が強く祝竜しゅくりゅうと重なり、末弟の田彪が武芸の腕が一番立つなど似ている点がいくつもあり祝彪は親近感を抱く。世話になる気になったのもこんな所が理由だ。田兄弟も似たような感情を持ち彼らは親交を深めていったのである。


 が、しかし。祝家と違うところもあった。祝彪は祝家荘の代表の息子。田兄弟は猟師。だが彼らが付き合う人物は妙に柄が悪いように感じられた。そう、育った環境の違いから違和感を覚えてしまったのである。


 さらに武芸を磨く目的で旅をしているのが祝彪で、田彪もそれには付き合ってくれていたが、総じて……特に長男の田虎は何かでかい事をやってやろうという考えがあるような言動が目立っていた。


 そしてある日酒を飲んで気分が良くなった田虎からある計画に参加しないかと誘われたのである。


「腐敗し堕落だらくした州県に駐屯する官軍を襲撃する?」

「そうだ。お前さんは腕も立つし信用できる。この計画に一枚噛まないか?」


 水害や旱魃かんばつなどの天候不順に見舞われ荒廃こうはいした人心を扇動せんどうし行動を起こすと彼は言う。祝彪は何も言えないでいた。それはそうだろう。賊になるだけではなく、国に反旗を翻す。つまり反乱を起こそうというのだから。


 だが彼が黙ってしまったのは躊躇ちゅうちょしたからではない。その時の彼は知っていたのだ。田虎が柄の悪い男達を使い徒党を組んでは略奪を働いていた事を。力の弱い者のために立ち上がる義挙ならば唸る部分もあっただろう。だが彼らは弱い者から略奪し、官軍を襲撃と言いながら更なる自分達の栄華を望んでいるようにしか祝彪の目にはうつらなかったのである。


 世話になった恩と友誼ゆうぎを結んだ点からその事は口にしなかったが、自分の目的は武芸の追求であり国家の転覆てんぷくではないと述べ再び旅を続ける決意を示す。


 田虎達も食い下がらずに出世したくなったら地位を与えるからいつでも訪ねて来てくれと見送ってくれた。計画に参加せずとも口外しないと思ってくれてはいたようだ。


 祝彪は一人歩きながら考える。自分達の平和を得る為に戦おうとしている王家村おうかそんの者達の事を。


「祝家荘にきた楊志ようし殿達のような武芸も、話に聞いた王家村の村長のような覚悟や志も、あの時自分が悟り欒廷玉らんていぎょく先生が認めてくれたいさぎよさもない。あるのはただの野心だけ。これではとても結果など残せないだろう」


 彼は自分なりの分析を誰に聞かせる訳でもなく口にした。次はどんな出会いがあるのだろうか。河北に暗雲の種は残ったが別れを告げて旅を再開した日は胸のすくようないい天気だった。




義兄にいさん、義姉ねえさん、今日はいい天気だな」

「あら武松ぶしょう。今日も魯智深ろちしんの旦那と見回りかい? 少しくらい休んでいきなよ」


 王家村にある張青ちょうせい夫婦が営む饅頭屋まんじゅうや。昼間は饅頭を売り夜は居酒屋をやっている。この張青と孫二娘そんじじょうは武松の義兄弟でもあり魯智深も二竜山にりゅうざんでの仲間だ。


「へへっ。こんな天気は酒を飲みたいところなんだがな」


 魯智深が陽気に言う。彼と武松は大の酒好きでそれによる武勇伝と失敗談には事欠かない。


「こっそり出そうか?」

「お、ありがてぇや。……と、いいたいとこだがやめとくぜ。仕事が終わったら飲みにくらぁ。なぁ武松」


 魯智深の言葉に武松も頷く。


「ああ。ここでそういう事をするのは後ろめたい」


 王家村は皆が与えられた役割を全うしているので自分達が規律を乱す訳にはいかないと言うのだった。


「俺達と渡り合える凄ぇやつらがたくさんいる所に住まわせてもらっているからな。腐る理由がない。お前ら夫婦だって夜の客はほとんど他に取られているのに『真面目』に饅頭なんざつくりやがって。うん、うめぇ」


 張青が渡してくれた饅頭と茶を受け取った魯智深がさっそくかぶりつく。


「はん。あたしらだって『まとも』な材料が手に入ってこうも治安がよけりゃ働く時は働くんだよ。ね、あんた」


 孫二娘の言葉に張青も笑顔だ。色んな事情から怪しい饅頭を作っていた過去もあったが、それはすっかり影を潜めていた。


「この肉饅頭。食べ応えがあるよ」

「自慢の一品さ。肉屋の曹正そうせいがいい仕事をしてくれている証拠だよ」

施恩しおんのやつもあっち(山塞)で頑張ってるからな」


 二竜山の仲間も梁山泊で平和な生活をありがたく感じていたのだ。


「そうそう。今度の休みに妻と劇を観に行くつもりなんですけどね。……あっ!?」


 張青の視線が何かを捉えた。それは出来たての饅頭を軒先のきさきで売れるよう置いてある台の下からにゅっと伸びた手。その手は自慢の肉饅頭を二つ掴むと素早く消え去った。


「あ、あ! ど、泥棒!」

「ぶふぅ! な、なんだと!?」


 張青の一言で魯智深は茶を吹き他の者は張青が指差した方向を見る。まさかこの王家村でそんな事が起きると思わなかったのか皆の反応が少し遅れた。


「武松!」

「ああ!」


 二人は一斉に外に出る。対象の盗っ人は少し先を走って逃げていた。


「子供か? だが見逃せん。武松!」

「わかってる!」


 魯智深より足の速い武松が回り込むように走り出す!


「俺達から逃げられると思うなよ」



 数十分後、武松に捕まった男児と話を聞きつけやってきた柴進さいしんが張青の店にいた。盗んだ男児を村の者は誰も知らない。


「薄汚れた格好を見るとどこからか流れてきたんでしょうな」


 張青が見立てを言う。魯智深や武松、屈強な男や大勢の大人達に囲まれて饅頭を盗んだ男児は震えていた。


「全く。場所が場所ならあんたが饅頭の具になっててもおかしくなかったんだよ?」

「……義姉さん、それは笑えないよ」


 柴進が優しく男児から話を聞こうとした時、今度は店の外から同じように薄汚れた格好の女の子が飛び込んでくる。


「ごめんなさいごめんなさい! 彼は私のためにやったんです。悪いのは私です!」


 と。子供の方は大変な事になったような空気をかもし出しているが、この場の大人達からみればこれで動機は理解できた。なので事情だけきいて不問にしようと言う暗黙の了解がすでに出来ている。


金連きんれん! 隠れてろって言ったろ!?」

「彼は私のためにやったんです! 悪いのは私です! 武大ぶだいを許してやってください!」


 その時、武松の時が止まった。

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