第百二十七回 掲陽鎮

 掲陽鎮けいようちん江州こうしゅう掲陽嶺にあるこの場所は現在、李俊りしゅんという男がまとめていた。


※李俊

水泳の達人で長江ちょうこうき回す龍という意味から混江龍こんこうりゅうと呼ばれる。長身で立派な風采ふうさい。生まれは別の地であったがこの地に流れてきてここを縄張りに仲間と船頭をして暮らす。しかし裏では官憲による花石綱かせきこうの費用捻出に伴う塩の値段釣り上げに反発し、その密売を行っていた過去を持つ。


 そしてこの地はある時から劇的な変化を遂げている。


「いやぁ、ここも順調に発展しておりますな」


 李俊と並んで歩いている男が口を開く。


「これも全て先生のおかげですよ」


 李俊は様子を見に来た呉用ごように笑顔でそう答えた。


 ──第二の梁山泊化計画。呉用の発案で白羽の矢が立ったこの地には大量の資金や物資が投入された。それだけに留まらず梁山泊で確立された技術も全てではないにせよもたらされていたのだ。


 最初の頃こそ李俊やその仲間達も半信半疑なところがあったが、すぐに彼らの生活は向上していきそれを実感されられたとなれば揺るぎない信頼を梁山泊に抱くのも至極当然な話であった。


「現在ではこっそり塩の密売などせずとも皆が堂々と生活できておりますからな。皆の表情に暗い影など見かけなくなりました。本当にまさかここまで変わるものとは……」


 李俊は腕を組み感慨深く言っている。


「ははは。私も発展する梁山泊を見て李俊殿と同じ感想を抱いたものです」

「正直なところ梁山泊といえば悪名高いだけの賊だとばかり思っておりましたがまさかその首領がここまでの才を持つお方だったとは……」


 彼は王倫と直接の面識はまだない。この掲陽鎮に集っている者達は宋江そうこうを慕っている者達ばかりだ。子分格の童威どうい童猛どうもう李立りりつは元より、縄張りを接した事で縁のできた張横ちょうおう張順ちょうじゅん穆弘ぼくこう穆春ぼくしゅん


 さらには黄門山こうもんさんの山賊ながら宋江の名声を慕っていた欧鵬おうほう蔣敬しょうけい馬麟ばりん陶宗旺とうそうおうを呉用の進言に従って掲陽鎮へ迎え入れる工作も成功させていた。


 掲陽鎮は初期の梁山泊と同じように頭目の数が少なく、その頭目の質も似たり寄ったりでやや偏りがあったが、呉用はその弱点を埋めるべく代々軍人の家柄出身の黄門山首領の欧鵬の存在に目をつける。彼は長身で立派な風体で身のこなしも俊敏。状況判断力や兵卒の統率にも長け、天を行く黄金の大鷲に例えて摩雲金翅まうんきんしとあだ名されていた。


 蔣敬は何万何千という単位の計算も一分一厘の狂いもなく暗算で解く程の算術の才能から神算子しんさんしとあだ名され、黄門山の軍師として次席を担っていた男。


 欧鵬と同じく代々軍人の家柄出身で、容貌ようぼうはあらあらしくも達者な笛の腕前を持つ事から鉄笛仙てってきせんと呼ばれ、造船技術にも通じていた馬麟。


 貧農の生まれながらも怪力の持ち主であり、槍や刀の武芸にも通じその多芸さを伝説の神亀に例えられ九尾亀きゅうびきとあだ名される陶宗旺。また彼は土木に関する知識にも長けていた。


 彼らは呉用の誘いに二つ返事で大喜びして掲陽鎮へと加わり、この地は軍事面と内政面、そのどちらの発展度合いにも勢いをつけられたという訳である。


 そんな彼らも梁山泊からもたらされた知識、技術には驚きを隠せなかった。掲陽鎮をまとめる李俊は確かに宋江を慕ってはいたが、日をおうごとにこの地にこれだけの繁栄をもたらしてくれた王倫に深い関心を寄せるようになっていたのである。


 梁山泊軍師の呉用はこの掲陽鎮にはあまり姿を見せず、李俊には戴宗たいそうを通じて指示を出す事がほとんどであった。


 指示の中でも特に宋江への対応は徹底している。彼には常に監視の目がついているだろうと考え、掲陽鎮の頭目達が宋江と会う場合は必ず別の地味な場所を指定させる程、この地が官軍関係者の目に触れる事を避けさせた。


 これは普段自身が梁山泊にいる為、掲陽鎮には中々来る事が出来ず臨機応変な指示が出せない点からきていたのだが……


「では李俊殿、今後はお伝えした方針で動いてくだされ」

「わかりました呉用先生。細かい点などは欧鵬や蔣敬達と相談しながら進めます」

「頼みましたぞ」

「それで先生。よろしければ今日は宴の席など用意いたしますが……」


 掲陽鎮についても休まずに動き回っていた呉用を労おうとする李俊。


「ははは。気持ちだけありがたくいただいておきます。私はすぐに梁山泊に戻りますゆえ」


 呉用は梁山泊から共に来た連れの顔を見る。その従者は無言で頷いた。


「では馬霊ばれい殿。帰りもよろしく頼みますぞ」

「はい軍師殿」


 呉用が直接現地に来て指示を出す事が可能になった理由。それは神行法しんこうほうの使い手である馬霊が加わったからだった。同じ神行法の使い手でも戴宗だとその立場が蔡得章さいとくしょうの部下なので梁山泊側の都合を優先させて動かせない。


 しかし白虎山びゃっこざんから加わった馬霊にそんな制限はないので、彼は梁山泊でその神行法を存分に奮って活躍していたのである。


「……やれやれ。ああやって来られはするものの、休まれてから帰った事など数えるほどしかないのをおわかりになっておいでなのだろうか先生は」


 李俊は呉用の忙しさを想像して少し心配になった。


「とにかくこちらも気合いを入れて働くとするかね」


 彼は呉用達が去って行った方角から顔をそらし今後の計画を頭に描く。一一〇六年も終わりを迎えようとしていた。



 ─開封府かいほうふ


 高俅こうきゅうの屋敷に一人の男が訪れていた。男は高俅の従弟いとこ


「来たか高廉こうれん

「高俅の兄貴。急に呼ばれて驚いたよ」

「すまんな」


 高廉は高俅に用件を聞く。高俅は静かに淡々たんたんと答えた。


「どうやら私はある場所へ行かねばならないらしい。お前にはその護衛としてついてきてもらいたいのだ」


 高廉はその高俅の答えに違和感を持つ。


「らしいとは? そりゃ兄貴の頼みならついていくけどどんな内容なんだい?」

「……さてな。まだそんな話すら出ていないからな」

「え? それはどういう……」

「言葉通りの意味だ。近い内に命がくだされるだろう。私にりょうへ出向けとな。……礼を示したいのかそうでないのか。ふ。全く面倒な事だよ」

「遼へ……?」


 高俅は自虐的に笑う。その真意を高廉に読み取る事は出来なかった。

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