水滸幸伝～王倫・梁山泊にて予知夢を見る～

第百三十一回 桃香、瓢姫を制す

　瓢姫（ひょうき）に対して放たれた礫（つぶて）は全（ぜん）がまだ見せた事のない技法だった。直線的に飛ばす礫では当てられないのでそれを牽制に使い、わざと外すものも混ぜ狙いを絞らせにくくする。そして遂に初めて見せる曲線を描く軌道の礫が瓢姫を襲った。

　格（かく）の攻撃と重ねるように彼の背後左右から瓢姫に礫が迫る。礫に当たればそれで良し。万一対応されても体勢の崩れた所に格の攻撃が決まるはず。これが全の読みだった。

　そしてその読み通り二人の動きが止まったのだ。礫か格か。

　……カラン。槍が地面に落ちる。

「決まったか！？」

　武器を落とし地面に膝をついたのは……格のほうだった。その向こう側に瓢姫は無傷で立っている。

「な、何が起きた？　くっ！」

　全は格の後ろに位置しているので瓢姫の動きは見れていない。しかし礫が効果なかったとすぐに判断し、反射的に次の礫を瓢姫に投げた。が、投げた瞬間辺り一面に何か硬いもの同士がぶつかったような甲高い音が響き渡る。

「！？」

　それは全の放った直後の礫に瓢姫の投げた礫が命中しあらぬ方向へと弾きとばした音だった。

　一方の格は自分の身に起きた出来事が信じられず膝をついたまま動けないでいる。

　彼が攻撃をしようと間合いを詰めた時、瓢姫は礫に対応しようとした。これなら自分の動きに対して後手になる。勝利を確信した格だったが、瓢姫は七節槍（ななせつそう）の柄になる部分を双鞭（そうべん）のように持ち両手を振り抜いた。

　届く距離ではなく鎖が伸びてくる訳でもない。なので突然感じた痛みに驚き、利き手に持つ槍を落とし、同時に呼吸も乱されその場に膝をついてしまった。親指の付け根辺りが赤くなっており鳩尾（みぞおち）に衝撃を受け呼吸が乱れた原因を少し時間を置いて理解する。

(全の礫を……そのまま俺に打ち返したのか)

　瓢姫は勢いをつけて更に格に接近すると彼の肩に足をかけ全に向かって跳躍したのだ。覚悟を決めた格にとっては肩すかしをされた気分だが、同時に全の危機を悟る。が、身体は動かず何もできない。そしてそれは全も一緒だった。

　放った礫に礫を当てられた。その現実を理解するのに全は思考が遅れ動きをとめてしまう。目の前の瓢姫が格を踏み台にし、槍を構えて自分に向けて跳躍する姿がすごくゆっくりに感じた。

(……これは詰んだな)

　全は他の武術は並みの腕前だと自覚しているので礫が封じられたとあっては格と互角以上に渡り合った相手に抗う術はない。彼も時間の流れをゆっくり感じる間に覚悟を決める。

　対する瓢姫に躊躇（とまど）いはなかった。今の彼女を支配しているのは怒りだ。突き動かすその感情が格より先に全を仕留める判断をしたにすぎない。そして全に向かい槍を突き出さんとしたまさにその時。

「瓢姫！　相手を違えては駄目！！」

　その場に大きく声が響く。梁山泊の者達もその人物がそんな声を発したのを見るのは初めてで驚き、ぽかんと口を開けて桃香（とうか）を見ていた。そして驚いたのは瓢姫も例外ではなく、桃香の叫びで初めて躊躇いの反応を見せ動きを止める。

　怒りと桃香の言葉がせめぎあい、相手に槍を突きつけたままぷるぷると身体を震わせていた瓢姫だったが、仏頂面（ぶっちょうづら）で槍を引き桃香の所へと移動した。入れ替わりに手当てを終えていた楊志（ようし）と劉唐（りゅうとう）、燕順（えんじゅん）が四人組に近寄る。魯智深（ろちしん）と武松（ぶしょう）も続いて囲むように位置を取った。

「強いな瓢姫。驚いたぞ」

「……みんなのおかげ」

　瓢姫とすれ違いながら楊志が褒めた。それで瓢姫も少し表情が柔いだ。

　訳も分からず助力したものの負傷させられ桃香に手当てを受けた朱仝（しゅどう）と雷横（らいおう）も楊志達の意図を察して囲みに加わる。

「さて……あの女の目的も含めて洗いざらい吐いてもらうぞ？」

「育てた馬を盗みやがって！」

　燕順の恨み節に馬万里（ばばんり）が反応して言う。

「馬なんて知らないよ！　さっきの女が怪しい男に追われてるって助けを求めてきたから……」

「とぼける気か！」

「あ、いや……本当になんの事だか……」

　劉唐にすごまれ勢いがなくなる馬万里（ばばんり）。格が口を開く。

「俺達は東京（とうけい）から来た旅の者だ。この先にあるという王家村（おうかそん）を目指していた」

　格に真が続く。

「私の供でな。私は真鄭候（しんていこう）。東京にある貧乏商家の三男だ」

「供で護衛の格之攸（かくしゆう）」

「同じく全羽（ぜんう）」

「馬万里（ばばんり）です」

　楊志が燕順、劉唐と顔を見合わせる。

「あの女性に怪しい男達と言われ見た目で判断してしまった事はお詫びしよう。ところでそちらは？」

　妙に堂々としている真に困惑しながら楊志が答える。もちろん真実は伝えない。

「俺達はあんた方が目指している王家村の住人だ」

　だが全と格はその言葉を信じなかった。

「あんた達が村民？　それにしては腕が立ちすぎる」

　しかし楊志は冷静に対応してみせる。

「近くの賊の勢力が侮れなくてな。俺やそこの者達は用心棒として雇われ住み着いているんだ」

「へぇー。そうなんですね」

　馬万里（ばばんり）だけは納得しているが、これだけではまだ説得力に欠けると楊志は考えていたので朱仝と雷横を指差す。

「なんならそこの二人に確認してくれ。その二人は顔見知りで鄆城県（うんじょうけん）の役人だ」

「な、何？　役人？」

「……ああ。現在は非番だがね。それを利用して王家村へ行く所だったのさ。そしたら彼らがあんた達ともめはじめたので助力に動いた。彼らの立場については保証しよう」

　その後の情報のやり取りで謎の女の存在を残して一同の誤解はとけ、桃香は格の手当ても行った。

「そこのお嬢さんに聞きたい。礫が当たらないのにも驚いたが、あれが曲がるとどうして分かったのか教えて欲しい」

　瓢姫は端的に答えはしたもののそれは全羽を絶句させる。

「……礫が見えていた？　それに曲げた時の投げ方にもそれまでと微妙な違いが？」

　本人ですら見落としていたような点を教えられ、全羽は更に瓢姫を質問攻めにしようとしたが彼女はそれには答えず無言で黛藍（たいらん）にまたがりその場を去ってしまう。その心境を桃香だけが読み取り皆に断ってその後を白籟（はくらい）と追った。

「彼女は少し考えたい事があるみたいです。私は追いますけど皆様は村を楽しんでくださいね」

　その言葉で真一向と朱仝一向は目的を思い出す。そして朱仝らから聞いた芝居の話に興味を持った真は自分達も観劇する予定を組み込むのであった。

　梁山泊首領の王倫（おうりん）はこの日を境に同じ夢を何度も見るようになる。