第十六回 林冲心服 前編

 王倫おうりん楊志ようしをもてなすためのうたげもよおした。

 彼は功臣こうしんの子孫で代々だいだい武官ぶかん家柄いえがらに生まれ、若くして武挙ぶきょに合格し殿司制使でんしせいし近衛隊長このえたいちょう)の地位ちいのぼる。順調じゅんちょう出世街道しゅっせかいどうあゆむかに思われたが、花石綱かせきこう運搬うんぱん監督かんとくを九人の制使の一人として命ぜられた際に、嵐に巻き込まれて船が沈没ちんぼつ任務にんむは失敗。責任追及せきにんついきゅうおそれると、官職かんしょくを捨てて逐電ちくでんした。


 その後、大赦たいしゃが出たことを知り復職ふくしょくを望み都へ向かう途中とちゅうだったのだという。


 王倫は思った。林冲りんちゅう、楊志の体験した事に比べれば自分はただ試験に落ちただけではないかと。同時にそれだけで山賊さんぞくになったおのれ狭量きょうりょうさもみて分かった。本人はそれを恥ずかしく思ったのだが……


梁山泊りょうざんぱく改革かいかくも進め林教頭も仲間に迎えるなど今では自慢じまんのおかしらなんですよ」


 楊志に自分を自慢する宋万を見てますます恥ずかしくなってしまった。この宴は王倫と宋万、林冲に楊志の四人だけだったが皆楽しんでいたようだったので王倫は楊志に提案ていあんける。


「どうでしょう楊志殿。よろしければこのまま此処こことどまりませんか? 林冲殿と共に山寨の練兵にたずさわっていただければ武の質もこの上なく向上こうじょうすると思うのですが」

「……確かにそれも面白そうだとは思いますが、私は先祖代々武官の家柄。おさそいは有難ありがたいですがまだこの身を賊に落とす訳にはいきませぬ」

左様さようですか。ならば無理におめする訳にもいきませぬな。本日は寝所を用意させますゆえ、ゆっくりお休みになってから都へたれるが良いでしょう」

「お心遣こころづか感謝かんしゃします」


 にべもことわられてしまった。梁山泊の双璧そうへきになると同時に林冲と楊志、たがいへの牽制けんせいにもなったものを、と考えてしまった彼は首を振ってそのやましさを否定ひていする。そこで林冲を向いて、


「林冲殿、いや林冲。明日からは寨の練兵について相談に乗ってもらうぞ?」


 席次せきじについては言及げんきゅうしなかったが正式せいしきに梁山泊の一員として認める発言をした。



 翌日。出立しゅったつする楊志に路銀ろぎんしにと金子きんすを渡し見送った王倫。楊志は感謝をべて梁山泊をあとにした。


 また林冲にとっては本格的ほんかくてき始動しどうとなる日であったが、先日まであれほど視界しかいの中にいた宋万をこの日は全く見かけず不思議に思い王倫にたずねる。


「宋万には仕事を頼みすでに寨から離れてもらった」


 なんと林冲が入山してすぐ副頭目全員が不在ふざいになるという展開てんかいになっていた。


「私が死ぬも生きるも林冲りんちゅう次第しだいという事だな。 まかせたぞ? ははは」


 王倫は笑っているが任された林冲にとっては最初から責任重大せきにんじゅうだいである。引きつった笑みを浮かべるしかなかった。


 それから半月ほど王倫と林冲の二人で山寨の運営うんえいに携わっていたが、突然王倫に呼ばれある場所へと案内される。


「首領ここは?」


 林冲が判断はんだんする限り新しいやしきという事くらいしか分からないが……


「林冲に必要なものを用意したのだ。私からそなたにおくれる精一杯せいいっぱいをな」


 今まで林冲は最初にてがわれた仮の寝所で寝起きしていた。ゆえに新たな邸を用意してくれたのだと感謝したが、


「ありがとうございます。しかし私一人でこの邸は広すぎます。最初に用意していただいた寝所で十分じゅうぶんです」


 と本心を口に出す。


「何? その衣装棚いしょうだなを見てもそう言えるか?」


 林冲は衣装棚に近付ちかづいて見る。細かい細工さいくのついた良さそうなものだ。


「はい。これも私には立派りっぱすぎるかと」


 だが王倫はさらに食いさがる。


「そなたが欲のないのはここしばらく常に一緒にいて理解している。だがその中を見ても同じ事が言えるかな?」


 林冲はまるで子供のように無邪気むじゃきに言ってくる王倫に苦笑くしょうした。


「わかりました。最後までお付き合いいたしましょう。ではこの中には何が…… っっ!!」


 初めて林冲が絶句ぜっくしてとびらを開けた姿勢しせいのまま固まる。林冲が見たものは…… 女性。衣装棚の中には口元を両手でおさえ、とめどなく涙を流している女性がいた。


「お前っ!?」

「ああ! 旦那様だんなさま。 ……お会いしとうございました!」


 林冲はまるできつねにでもかされたような表情で、飛び出してきた女性を抱きとめた。

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