第九十八回 転機

 下邳城かひじょうの戦い。放浪していた呂布りょふ劉備りゅうびが治める領土を奪う。追われて曹操そうそうの所に身を寄せた劉備は曹操率いる大軍と共に呂布がこもる城に押し寄せた。


 連日れんじつ籠城戦ろうじょうせん、そして今また虎牢関ころうかんの時と同じ様に劉備、関羽かんう張飛ちょうひの三人を同時に相手にする事になり、猛将もうしょう呂布と言えども疲労の色を隠せない。方天画戟ほうてんがげきも重く感じる。


「今までのうらみだ。これでもくらえ!」


 張飛の振りかざした蛇矛だぼうに呂布の反応がわずかに遅れた!


「くっ! ここまでか!?」


 覚悟かくごを決めたその時! 呂布と蛇矛の間に何かが割って入りそれをはじく!


「何!?」

奉先ほうせん様にはれさせません! ここからは私が相手です!」


 蛇矛を弾いた得物えもの玉錘ぎょくすい』を構え貂蝉ちょうせんがそのまま張飛に向かう!


「我等も貂蝉様に続け! 呂布将軍をお助けするのだ!」


 貂蝉に続いて張遼ちょうりょう高順こうじゅんが兵を率いて関羽、劉備に突撃を始めるとその勢いで一旦いったんは劉備達を退しりぞける事に成功する。


「貂蝉! なぜ出てきた!」

「私だけ生き延びる気はありません! 死ぬなら共にいきとうございます」

「我等もお供いたします!」

「お前達……」


 下邳城は敵の水攻めにより風前ふうぜんともしびだ。呂布とそのおもびと貂蝉の悲恋ひれんえがいたこの演劇えんげきも終わりが近い。二人のやり取りに焦点しょうてんをあてるようにいつの間にか張遼と高順も舞台ぶたいから消えている。観客も固唾かたずんで見守っていた。


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「はぁぁ。今日も無事終わったわぁ!」


 公演こうえんを終えた貂蝉役の白秀英はくしゅうえいが舞台裏の一室で息を吐く。


「お嬢さんが考えた貂蝉、受け入れられて良かったですね。最初聞いた時はどんな貂蝉だって思いましたけど」

「当たり前よ! それとなく村の人達から集めた情報から構築こうちくしたんだから!」



※貂蝉

三国志さんごくしに登場する架空かくうの女性(美女)。時の権力者である董卓とうたくとその腹心ふくしん、呂布の仲を引きく為に策をめぐらす。



 白秀英は貂蝉が呂布と共にほろんでいく悲恋の物語を考えた。が、その二人の出会いは呂布の武芸の稽古中けいこちゅうで貂蝉は三国志史上最強と言われる呂布にいどみ引き分ける程の武芸の腕前を披露ひろう。そんな貂蝉に呂布がれ込んで……という設定を加えていたのだった。


※貂蝉(設定)

歌舞音曲かぶおんきょくに加え武芸も達者たっしゃ。呂布と行動を共にし下邳城陥落の際に命を散らす。演者えんじゃは白秀英。


「ささ、お客様がお帰りになる。皆入り口でお見送りを頼むぞ」


 座長であり父親の白玉喬はくぎょくきょうが呼びかけると娘は元気よく返事をして飛び出して行く。


「やれやれ。今日は王倫おうりん様が見に来ているとあって調子の良い事だ」

「でも座長。お嬢さん全く気付く気配ないんですけどいつ話すんですか?」

「そうよなぁ。我が娘ながらあそこまでにぶいとは……」


 一座の者達は白秀英に伝えていない事があった。話題にされている鈍い看板娘かんばんむすめは入り口でお目当ての人物を待つ。


「秀英ちゃーん、今日も良かったよー」

「ありがとうございますぅ。またよろしくお願いしますね?」


 ある客には普通に返す。


「相変わらず美人だったよ。ど、どうだい今度一緒に……」

「いやですわその気もないのに」

「そ、そんな事は!」

「ここに通って気持ちを見せて下さいな。またお待ちしてますから」

「もちろんだとも!」

「ではまたー(誰だったかしらこの人)」


 またある客は適当にあしらう。


「あら? お嬢ちゃん今日も来てたの?」

「……強い貂蝉かっこいいから」

「それはお嬢ちゃん見る目あるわよー」

「貂蝉の動きも最初に比べて随分ずいぶん良くなってる」

「まさかおどり? それとも武術?」

「……私は踊りは分からない。武術」


 話しているのは瓢姫ひょうきだ。村では知られている娘で武術をたしなんでいる(本来白秀英は武術に興味がないので腕前はしらない)とは白秀英も知っていた。だが鄆城県うんじょうけんで見た幼子おさなごがこの瓢姫だとは思いもしていない。


心得こころえのあるに言われると嬉しいわー。お姉さんもっと頑張っちゃうわね?」

「……うん」


 瓢姫は照れて赤くなる。彼女は連日一人で観劇に通って来ていたので白秀英とは顔見知りの間柄あいだがらになっていた。


 今日は王倫(鄭天寿ていてんじゅ)が来ているのでそのお付きの鄭天寿(本物の王倫)と一緒だ。本物の王倫は白秀英にとって邪魔じゃましてくる障害しょうがいとの認識なので、敵意てきいを込めた視線で射抜いぬきながらも当たりさわりない挨拶あいさつのみわす。


「王倫様! この白秀英、今日は貴方の為に演じさせていただきましたわぁ」


 最後に出てきた王倫(鄭天寿)の両手をつかみ熱を含んだ視線を送る。鄭天寿も相変わらず気圧けおされてはいるが、なれてきたのか最初程ではなく受け答えは出来るようになっていた。


 この様子は一座の他の者にとっては日常の光景となっている。普段でも白秀英が彼を追い回す様子を見ていたり自慢気じまんげに聞かされていたりするからだ。白秀英もこの日はあまりしつこくせずに鄭天寿達(視線は鄭天寿から離れなかったが)を見送った。


「さぁ、我々われわれも中へ戻ろう」


 座長の父がそう言った時、白秀英は違和感いわかんを感じる光景を見かける。向こうへ去った鄭天寿達を、物陰ものかげから現れた数人の男がまるで後を追うように素早すばやく離れて行ったからだ。


「……秀英?」

「父さん、私ちょっと出てくる」


 胸騒むなさわぎを感じた白秀英。貂蝉の格好かっこうのまま公演で使う玉錘を手にし、鄭天寿(達)の後を追う事にした。

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