第百二十二回 情報の形

 宋国そうこくの皇帝、徽宗きそう宿元景しゅくげんけいの見舞いに訪れる。彼は自分付きの医者が宿元景をている間、応接室から庭を見ていた。


流石さすが殿司太尉でんしたいい。庭の手入れは良く行き届いておる」


 次に室内に目を向ける。


「しかし……庭といい室内といい手入れはともかく全体的に質素な感じが。あやつらしいと言えばそれまでだが、もっとよい調度品ちょうどひんなども置けば良かろうに」


 ふとその視線が部屋の隅に目立たぬように置かれている木箱で止まった。上には布が掛けてある。応接室のその地味な存在。徽宗は好奇心にかられた。近寄って布をとり箱の蓋を開けて覗き込む。


「こ、これは一体……!?」



 一方梁山泊。王家村おうかそん孔目こうもく(裁判官)として働く裴宣はいせんは読んでいた物を机に置いた。


「ふむ。内容に問題はないと言える。これなら首領や姫様達の魅力が再確認できよう」


 裴宣の前には二人の男。一人は蔡京さいけいに睨まれ聞煥章ぶんかんしょうらに助けられた文春ぶんしゅん。もう一人は王家村にはじめの頃から住んでいた新潮しんちょうといい村の情報に通じていた。


 呉用ごようは文春の才を活かそうと裴宣の下に置いて、王家村で飛び交う情報を統制できないか試みようとしたのだ。もちろんこれはのちの布石を生み出す為にである。意を汲んだ文春は村で情報通の新潮を見出みいだす。


 文春は新潮から聞いた村での出来事と自身の体験から「情報紙」なるものを着想。王倫おうりん識字率しきじりつを高めようとした政策で読む事のできる住人は確実に増えていた。そこでひとつの事例を取り上げ詳細に説明した文書を配布すれば、王倫達の人気上昇に一役買うのではないかと考えたのだ。


 蕭譲しょうじょう金大堅きんたいけんにも協力してもらい王倫が言っていた対応する一文などの印も用意。仕事として成立させて雇用も生みだした。


 各頭目達が梁山泊に集まった経緯や村で起きた出来事、村特有の施設や文化など題材になりそうなものには事欠かなかったが、最初はやはり王倫と桃香とうか瓢姫ひょうきを取り上げる意見で一致。


 王倫の政策と活躍。桃香の献身ぶりと水車発案に至る優しさ。瓢姫の芒碭山ぼうとうざんでの活躍や発案し村でも流行している箱庭について。あとは新潮が今後が気になりそうな情報を記載きさいしてみた。


 文春と新潮は情報については事柄ことがらを記すとして「記事きじ」、記したものを筆者とともに「記者きしゃ」と表現する。


 そして一一〇六年、春。梁山泊にてその記念すべき第一号が配布された。


 王倫の部屋でそれを読んだ三人。記事にされた当人達(王倫、桃香、瓢姫)は無言だった。三人とも顔が赤い。


「……恥ずかしい」

「村を歩きにくいよぅ」

「は、ははは。だが好評とあっては口を挟む訳にもいくまい。しばらくはからかわれるのを覚悟しておかねばな」

「「うー……」」


 外からはうぐいすの鳴き声が聞こえた。王倫は席を立って情報紙とにらめっこしている二人に声をかける。


「どれ、外で顔の熱を冷ましてくるか。二人にはついでに菓子でももらって来てやろう」

「……お菓子」

「ありがとう爸爸ぱぱ


 王倫は外へ出ると鶯の声が聞こえた方へと進む。


「……王倫様」


 突然聞こえた声に王倫は立ち止まり独り言のように答える。


時遷じせんか。どうであった」


 時遷の姿は見えず声のみ返ってくるが、これは最初から二人で示し合わされていた行動。あの鶯の声は時遷が王倫を呼び出すための鳴き真似だったのだ。


「はい。あの者は解放後かいほうご青州せいしゅうには戻りませんでした」

「そうか」

北京ほっけいを経由して北へ向かい、そのまま国境を越えました。ご指示通りあっしの尾行びこうはここまでで」

「うむ。となると許貫忠きょかんちゅう殿の話が的を得ていたか?」

「は。向かった先はおそらくりょうで間違いないかと」


 王倫と時遷が話しているのは青州軍との戦いで捕虜にした洞仙どうせんについてである。実は話し方に違和感を感じた許貫忠が王倫だけに宋国の者ではない可能性を指摘していた。


「実は私は以前遼国の者と話した事があります。あの者にはその時話した相手と同じようにわずかながら遼国りょうこくなまりがございます。ひょっとしたら宋国の出身ではないかもしれません」


 この進言を受けて王倫は洞仙に青州側と対立する気はなく助けをわれた為の出陣であったと説明。事を構える気はない姿勢を見せ洞仙を歓待して解放する。もちろんこれは洞仙の出方を見るためで密かに時遷にその後を追わせた。


「北京を経由したと言ったな」

「はい。人目を忍びそこの文官と密会しておりました」


 青州に戻らず北京で人と会い、そして国境を越えて消える。これの意味するところが分からない現在の王倫ではない。が、それと同時に国の内政や外交の方針に口を出せる立場でもないのも理解している。


(国同士の化かしあいとなれば傍観ぼうかんしかできんな。……とは言え柴進さいしん殿の件にこの辺りも絡んできている可能性も考えるとどう説明したものか)


 とりあえず時遷をねぎらい、村での休息を促す。


「もし村で何か気になる情報を仕入れたなら教えてくれ。それと近々また仕事を頼む事になるかもしれぬ」


 時遷の返事を確認し周辺から彼の気配が消えた。王倫の表情が梁山泊の日常のものへと戻る。


「いかんいかん。二人の菓子を持ってきてやらねば」


 時遷は王家村で休息をとるため旅人を装う。彼は王倫直属の密偵。頭目達どころか義弟の林冲りんちゅう楊志ようし、軍師の呉用にすらその存在を知られていない特殊な立場だ。


 桃香は安道全あんどうぜんに認められ、彼の持つ技術を伝授された。梁山泊には無実の罪ややむをえぬ犯行で流罪となり、額に流刑地を刺青いれずみされた好漢がいたが、彼は皮膚整形ひふせいけいによりその刺青を目立たなくなるよう治療したのだ。


 王倫から桃香の出自を聞かされた時は半信半疑だったが、その才能においては高く評価したため、青嚢書せいのうしょを預り医に関しては師の立場になっていた。


 そしてここでは寝転びつつも情報紙を縦にしたり逆さにしたりしながらうなる男が一人。


「梁山泊屈指の色男。あの人気女性と深夜に森で密会か。……これはやはり俺と李瑞蘭りずいらんの事だろうか」


 史進ししんだ。彼は昨冬さくとう、自身がかって東平府とうへいふにいた時の馴染みであった李瑞蘭を梁山泊に誘った。李瑞蘭は既に東平府に戻っているが梁山泊を気に入ったようであり彼女は現地では売れっ子だ。史進もある決意を心の内に秘めていたので、この記事が自分の事を指しているのではないかと勘繰かんぐった訳である。


「森で密会した覚えはないが……これは皆にからかわれてしまうかもしれんなぁ」


 彼はにやにやしながら新潮の記事の部分を何度も読み返した。

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