第百七回 王倫の失策

 柴進さいしん屋敷やしきが何者かに襲撃しゅうげきされた。王倫の予知夢により難を逃れた林冲りんちゅう達だったが、示された場所には何もなく、一転して追撃者にめられる形になってしまっている。


「く、このままでは……」



 王倫は自室で書き物をしていた。ふと気配を感じ入り口を見るとそこには林冲が立ってこちらを見ているではないか。


「誰かと思って驚いたが林冲ではないか! 何故声をかけぬ。それよりも無事に帰ってきたのだな。心配しておったぞ」


 林冲は静かに微笑ほほえみ王倫の前へ進み出て拝礼はいれいする。


堅苦かたくるしい挨拶あいさつは抜きでよい。それよりなぜ黙ったままなのだ。柴進殿もご無事でお連れしたのか? くわしく聞かせてくれ」


 王倫も笑顔でたずねた。だが……


 何も言わぬ林冲は王倫にもう一度微笑むときびすを返しすうっと部屋から出て行ってしまったのだ。……扉が『閉まった状態』のままで。


「林冲!? まさか……」


 その光景を見た王倫は思わずふるえた。気のせいか耳元で自分を呼ぶ声まで聞こえる。


「ん……」

爸爸ぱぱ、爸爸」

「んあ……?」

「起きて爸爸。机で寝ないほうがいいよ」


 王倫は書き物の途中で気付かぬまま眠ってしまっていたのだろう。両側から桃香とうか瓢姫ひょうきに身体をすられて起こされているところだった。


「桃香に瓢姫か。私は眠っていたのか?」

「うなされてた」

「何? 私がか?」

「机で寝るからだよ。寝るなら横になって寝た方が体の為にもいいんだから」


 その方面に詳しくなった桃香からおしかりを受ける王倫。


「……なにか良くない夢を見ていた気がするのだが……」


 その内容をすっかりさっぱり忘れてしまっていた。


「……こわい夢?」

「どうなのだろうな瓢姫。それすら分からぬ」


 が、と王倫は続ける。


「二人が起こしてくれて良かったとは思えるのだ」


 王倫に分かる事はこうも記憶に残らない内容ならば予知夢のたぐいではないだろうという事位であった。



 林冲はさらなる困難に見舞みまわれる。十数人の敵を率先そっせんして打ち倒した林冲だったがそれで相手にあきらめる気配はなかった。相手は強力な味方がいる事に気付くと遠巻とおまきに林冲達を包囲ほういする動きをとったのだ。


「なぜ離れて遠巻きに……?」


 その時林冲の顔を何かがでて背後はいごへと去っていく。それは陸側から大河たいがへと向いてく強い風。


「! いかん! 狙いは弓だ!」


 林冲の危惧きぐした通り相手は風を利用して射程しゃていびた弓で攻撃してきた。


「うぐっ!」

「うわぁ!」


 林冲や鈕文忠ちゅうぶんちゅう、柴進には当たらなかったが食客しょっかくの何人かに命中し悲鳴ひめいがあがる。


あかりを捨てろ! 狙い撃ちにされるぞ!」

「くそっ! こっちの矢は風で戻され届かないのか!」


 食客の一人は反撃しようと矢を放つがそれは届いた気配がない。林冲は周囲を落ち着かせる為に叫ぶ!


「敵も狙いをつけてはいない。それに追撃ついげきを優先しているので数もないはずだ! 乗り切れ!」


 だが林冲達には打つ手がない。未だ敵が優勢だと言って良いだろう。弓の攻撃は確かに程なくして止まった。


(先程の攻撃の仕方から見ても無差別にしか思えない。と、すると狙いはこちらの全滅か? だが一体何のために……)


 林冲は敵の狙いを推測する。鈕文忠が敵の動きに疑問をていした。


「林冲殿! 敵の動きがみょうです!」

「あれは!」


 敵が一斉いっせい松明たいまつに火をつけはじめたのだ。


「逃げ場のないこっちを火攻ひぜめにする気だ!」


 食客の誰かがさけんだ。火が風にあおられて広がれば林冲達ではどうする事も出来ない。


「ではその火を雨で消してごらんにいれる」


 意外な所からのその声に食客達が驚く。その声は確かに林冲達の『背後』から聞こえたのだ。鈕文忠は声のした方を振り向きそのまま固まった。


「ばかな……到着とうちゃくした時は目の前に島なんてなかった……」


 煌々こうこうと灯りにらされた島が突然現れたと鈕文忠は思った。が、すぐにそれは島ではないとわかる。


「巨大な……船……なのか? こんな……」


 その存在は林冲達を追ってきた者達に混乱をもたらした。そしてそのすき小舟こぶねで上陸し林冲達に合流する者達。


「林冲殿、ご無事で良かった」

「我らが来たからにはもう安心ですぞ」

「おお! そなた達は!」


 げん兄弟のあやつる舟から降りてきたのは呂方りょほう郭盛かくせい劉唐りゅうとうだった。


「私達は首領の命で林冲殿が来たら助けるようにとここで待機たいきしていたのです」

「こちらにも色々いろいろあって出番が少し遅れてしまいましたが間に合って良かった」

「まずは目の前の敵を蹴散けちらしてやりますかい」


 劉唐がやる気を見せると呂方が後方こうほうに何やら合図あいずを送る。


「来ます! 皆さん、ねんためあたまを低くしといて下さい!」


 林冲の耳に風切かぜきり音がきこえた。吹き付ける風をものともしないそれは火攻めを狙い松明を持った謎の集団へとそそぐ。しくもそれが目印となっていた。


「うわあああ!」

「ぎゃあああ!」


 途端とたんひびわた数々かずかずの悲鳴。同時に騎兵きへいがばたばたと倒れていく。それは花栄かえいの指揮により船上から放たれた連弩れんどによる一撃。黄信こうしん周謹しゅうきんらはこの兵器へいき練度れんどを高めていた。さらに乗船じょうせんしている湯隆とうりゅうにより改良かいりょうも加えられている。


「雨は雨でも矢の雨ですけどね」


 陸にいる呂方が林冲に言った。敵の松明が良い目印になってしまった訳である。これでは相手も火攻めどころではない。


「へへへ。腕がなまっちまうかと心配してたところだ。ここからはこの劉唐様が大暴れしてやるぜ!」


 だが不利ふりさとった一団の判断も早く、劉唐が行動に移る前に撤退てったいを開始した。劉唐もまずは柴進と林冲の退避たいひを優先させるため追撃はあきらめる。こうして柴進達は無事に梁山泊りょうざんぱく一行いっこうに救い出され指揮をとる花栄の待つ大船おおぶねへと移動する事が出来たのであった。

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