第七十四回 ある日の白勝夫婦

 白勝はくしょう王英おうえいなやんでいた。目の前には看板かんばんがある。道は二手ふたてに別れていてどちらかに進む必要があるのだ。


「お宝の為だと挑戦ちょうせんしてみたが……」


 看板には何かしら書いてあるのだが如何いかんせんこの二人は字が読めない。他にも同じような面子めんつが二人一組でこの場所にいどんでいるはずだ。


「ぐずぐずしてるとほかの奴らに先を越される。どうせ読めねぇんだから合図あいずで右か左を決めようぜ」


 王英の提案ていあんに白勝も同意どういした。視線しせんわしうなずくと二人同時に右手をあげる。右に進むと意見が一致いっちした瞬間しゅんかんだ。


「よし、右だ!」


 二人は走りだす。前方ぜんぽうとびらが見える。


「お宝ならいいがな。いくぜ白勝」

「おうとも!」


 いきおい良く中に飛び込む。そこは何もない部屋だった。


「何も……ない?」


 二人の背後はいごで扉が閉まる。何もない部屋ではなかった。そこには林冲りんちゅうがいたのだ。


「うげっ! 林冲殿!」

「ようこそ白勝に王英。この先へは私をたおしてから行ってもらおうか?」

「!? ……って事は……」


 白勝と王英の顔色が悪くなる。二人は同時にさけんだ。


「ちきしょう! 左だったかー!」



 ……散々さんざんしごかれぼろぼろになった白勝が帰宅きたくする。


「おやお帰りあんた。……その様子じゃ散々だったみたいだねぇ。よくなんてかくから」

「うるせいやい! 無事ぶじ突破とっぱできたら賭場とばひら権利けんりもらえたんだぞ?」

「で、その権利とやらは誰が貰えたんだい?」

「……全員ぼろぼろになって終わりよ。今回はな。あちこちから悲鳴ひめいが聞こえてたぜ」


 白勝の妻は笑い出す。


王倫おうりん様もみょうな事を始めるとは思ったけどみんな失敗しっぱいしたのかい。じゃあいい訓練になったじゃないか」

「次は俺っちが突破してやらぁ! 武術ぶじゅつじゃ勝てねぇからこれでな!」


 白勝は帰りに買ってきた道具をならべて見せた。


「あんた、これ……」

「おうよ! これで文字を身につけてやるぜ! 文字もじさえ読めれば突破できる確率かくりつも上がるんだ。他の奴らに賭場は渡さねぇ!」

動機どうき不純ふじゅんだねぇ。ちゃんと続けばいいんだけど?」


 白勝の妻は王倫のねらいに気付きづく。


(ああ、なるほど。えさをぶら下げて訓練と勉学べんがく自発的じはつてきにさせようっていうんだ。まぁ、この人の為になるなら私が口を出す事じゃないね)


「……せいぜい頑張がんばんなよ」

「はん。すぐにお前に本を読んでやれるぐらいになってやらぁ!」



 ……翌日よくじつ。白勝が自宅で勉強していると妻が帰ってきた。小脇こわきには何か荷物にもつかかえている。


「おう。お帰り」

「……ただいま」


 彼女は短い一言を発すると白勝の横に腰を下ろした。


はかどってる?」

「ん? 昨日始めたばかりだからな。これからよ、これから!」


 そのまま彼女は白勝の様に持ってきた荷物を並べ始める。


「お、おい。おめぇこれは……」


 それは昨日白勝が買ってきた道具一式どうぐいっしきと同じ物だ。


「あたしもやる。今日から始める」

「おいおい一体どういうかぜき回しだ? ……まさかおめぇも賭場を狙って?」

「いらないよそんなもん。あんたと一緒にしないでおくれ」

「なにぃ!? ……なんだそれは?」


 彼女は白勝の目の前にふところから丁寧ていねいたたんである何かを取り出して突き付けた。


「手紙だよ。……桃香とうか様からのね。いつもありがとーってほか世話せわをしてるみんなにも渡してくれたのさ」

「……おぇ……」

内容ないようは林冲様の奥方おくがた様に読んでもらったから分かってるんだよ? でもね?」


 なみだかべて言う。


「こんなうれしいお宝、何度でも読みたいじゃないか。まだたどたどしい字らしいけどあたしらの為に書いてくれたんだと思うと」

「ああ……そうだな。良かったじゃねぇか」

「それで阮小二げんしょうじさんのとこの奥さんと一緒いっしょに帰りにこれを買ってきたんだ」


 白勝は思う。


(なるほどな。お世話している桃香様からとなりゃこうなるのも無理はないか。しかし桃香様も今からこれじゃ王倫様顔負けの人たらしになるんじゃないかねぇ)


「早く返事が渡せるといいな」

「もちろんよ! 私はやってみせるから」


 白勝は自分も手が抜けなくなったと考えつつも、今頃いまごろ同じような展開てんかいになっているであろう阮小二の家の事を想像そうぞうしたのだった。

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