第百三十三回 使節団、遼国王に謁見する

 宋国そうこくから派遣されていた使節団しせつだん遼国りょうこくへと到着し、正使である林攄りんりょと副使である高俅こうきゅうは国王、耶律輝やりつきに拝謁していた。


 名目は宋と西夏せいかの間で続く国境紛争の仲裁に遼が乗り出し、徽宗きそうは遼の提案を受け入れる意向で派遣したのである。そしてそれは高俅も蔡京さいけいから聞かされていた内容だった。


(同盟の維持と仲裁への感謝……)


 遼国国王耶律輝にへりくだり口上を述べる林攄。その数歩後ろで頭を下げている高俅の関心は耶律輝になく、正使の林攄へと向けられていた。高俅の耳にはこの彼が面会する前日の夜遅くまで酒を飲んでいたという情報が入っていたのだ。


(こうまで酒のにおいを漂わせおって。儂の忠告もやはり無駄に終わっていたか)


「おう高俅殿。貴殿もやられるか?」

「いえ結構。林攄殿も明日はお役目を果たす時なのですから酒はそれくらいにした方がよろしいでしょう」

「こんな田舎では酒を飲むしか出来る事もない。ひっく。まぁお役目のことなら心配無用。いや、むしろかえってこの方が都合が良いかもしれませぬ。はっは」


 高俅はじろりと林攄を睨み圧をかけた。


「……此度のお役目はあくまでも相手への『敬意』によるもので間違いありませんな?」


 それにより林攄の顔色が少し変わったようにも見える。


「む、無論だとも。陛下の意を汲んだ言葉を伝えるのが正使としての私の役目だ」

「……それならばよろしい。私は明日に備えて休みますゆえ」


 こうしてその席を離れた高俅であったが、結局はこの林攄の醜態に内心舌打ちを抑えられないでいた。


「わが宋国としては両国の発展を願い今後も良き関係をと陛下は願っております」

「それはありがたい申し出ですな」

「この目録の品々は我が国から貴国へ献上させていただきます」


 ここまでは林攄が酒臭いだけで耶律輝との対応に問題はない。が、しかしそれも長続きしなかった。


「貴国の都もわが宋国の都のように発展すれば日々の生活も輝くものになりましょう。是非我が国からの善意を活かしていただきたく」


 林攄のその一言で場の空気が変わる。


(言いおったか! 遼国の臣とてその言葉が失言か悪意によるものかくらい見抜く者もおろう)


 高俅は参列する耶律輝臣下の者の表情がわずかに曇ったのを見逃さなかった。が、そこに気付いたのは耶律輝も同じようですぐに右手を動かし家臣を制す。


「はっは。是非そうします。なにしろ我が国は田舎ですからな。そうだ。ここまでの道中で何か不便なことはありませんでしたかな」


 下手に出る遼国の王に林攄はさらに増長し遠慮なく口を開く。


「不便と言えば……もう少し交通路の整備に気を配っていただきたいところ。幅も狭く荒れている場所も多かった。来るのに難儀いたしましたぞ」


(林攄め……やはり陛下よりも蔡京殿の意向に従って動くつもりだったか。……こうなると知っておっても変えれんのではな)


 表情には出さず心の内で苦虫を噛み潰す高俅。耶律輝は飄々ひょうひょうとしていて彼にはいまいちその心情がわからない。


(蔡京殿が儂を人身御供ひとみごくうに差し出した訳ではなかろうが……)


 謁見は暫く続いたが林攄は遼に対して挑発する言葉を並べ立て、耶律輝は表情を崩さず使節団へもう数日の滞在を希望したが林攄はそれを断り退出する。高俅は終始何も発言する事なくその場を後にした。宋からの使者がいなくなると途端に部屋の空気が変わった。


「なんだあの無礼な物言いは!」

「我が国を完全に下にみておる!」

「困っているのを助けたのは我々ではないか!」


 次々と不満を口にする家臣達。だが耶律輝はそんな中で笑い声をあげ皆の注目を集める。


「王様?」

「まぁ、まずは落ち着け」

「しかし王様!」


 やれやれと言った動きで家臣をなだめる国王。


兀顔光こつがんこうですら我慢していると言うのにお前達が騒いでどうする。むしろ大根役者が来たおかげで向こうの狙いが分かりやすかったではないか」


 柔和な笑みをすぐに真面目な表情に戻す。


「さて。こちらと向こうの狙いが一致したなぁ兀顔光よ」

「はい。わが国は『自国防衛の観点』から道幅は狭く荒れたように見える道の多い『田舎』ではありますが、道幅が広く整備の行き届いた宋国の都はさぞ『攻めやすい』ことでしょうな」


 友好を望んでいた徽宗の願いは蔡京の企みによってねじ曲げられた。挑発し、戦争を促すための使者を派遣されたからだ。だが遼にとってはそんな事は関係なく、母国が侮辱された事実のみが残るという事に他ならない。そして遼もまた宋への侵攻の機会を窺っていた。


「渡りに舟だったわけでございますな!」

「今回の態度を後悔させてやりましょう!」


 理解し気炎きえんをあげる家臣達。しかし耶律輝はじめ兀顔光や洞仙どうせんらは今はその時でないと動かない姿勢を提唱。その理由として、


・挑発は裏をかえせば侵攻に備えているという事。侵攻すれば速度重視の戦術をとる遼には時間の浪費と兵の損害が出るのは確実。


・宋国内部の工作が進んでいるのでそちらにあわせて動いた方が目的は達成しやすい。


 を挙げた。


「……とは言え馬鹿にされたままでは面白くないのも事実だろう。そこでだ。賀重宝かちょうほうよ」

「!? はっ!」


 耶律輝に呼ばれた男が進み出てくる。


「同盟国である宋はこちらに不義理をした形を取らせたいのだろう。攻め込めば遼は信頼できない国と周囲に思わせられるし、堂々と同盟を破棄してこちらに侵攻も出来る」

「狙いは遼国そのもの……」

「間違いないだろう。が、こちらはその手には乗らん。乗らんが……」


 意地の悪い笑みを見せる耶律輝。


「林攄殿の退室時にこちらがかけた言葉をきいていたな?」

「はっ。王様は無礼な使者に対しても我が国は田舎で未開の土地も多いゆえ気をつけて帰られるようにと気遣っておいででした」

「ははは。別に気遣った訳ではない」

「とおっしゃいますと?」

「遼の兵で使節団を脅すような真似をすれば問題になろうが未開の土地には正体不明の『化け物』がいるかもしれんだろう?」

「!!」

「意趣返しに驚かすと同時にこちらを攻めにくく思わせる位はしても構わんと思ってな」

「さすが王様! では直ちに」

「うむ。頼んだ」


 賀重宝は姿勢を正して拝礼し、喜び勇んで退室していく。不満を述べていた者達も怒りを託すかの様に見送った。この賀重宝は遼国内の人材の中でもある特技を身につけた者だったのである。


「それと……洞仙侍郎」

「! はっ!」


 今度は洞仙が呼ばれ彼も耶律輝の前へ進み出た。


「宋国からの献上品だが……そっくりそのまま例の所へ持って行け」

「ぜ、全部ですか!?」

「なんだ不満か? お前を助けてくれたのだろう? お前の価値はこの献上品以下だったか?」

「!!」


 この耶律輝の言い方は林攄に蔑まされたこの場にいる者達の誇りを存分にくすぐる。兀顔光も思わず感心した。宋国など大したことなく自分達の方が偉大だと示したと同時に王自身の器の大きさも示したのだから。


「この洞仙、命に代えましても!」

「おいおい。今回は潜入工作ではないんだ。まぁ仕事を忘れぬ程度に楽しんでこい」

「必ず王様の意に沿ってみせまする!」


 洞仙も拝礼し意気揚々と退室していった。


「兀顔光。ああは言ったがもし経済的に苦しくなるような時があれば……」

「その時は女真族じょしんぞくから調達いたします」

「うむ。そうしろ」


 徽宗の名を借りた蔡京の策略には乗らなかった耶律輝だが、宋国と遼の関係はますます微妙なものへと変化したのである。

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