第二十四回 奪われた生辰網

 楊志ようしは地面に倒れた。身体はしびれ動かせない。


(なぜだ!? どこにもそんな様子は……)


 だんだん意識いしきたもつ事も難しくなってきた。


(く…… 義兄あにき達、みんな…… すまない)


 楊志は梁山泊りょうざんぱくの仲間に謝罪しゃざいし…… そして意識を手放てばなした。


 次に楊志が気付いた場所は梁山泊。

 予定通りに現れない楊志を心配した朱貴しゅきが様子を見に来て倒れている『一行いっこう』を発見。


 朱貴自身、痺れ薬を使っていた経験があるので(以前酒場で旅人にっていた為)、幸い楊志の状態を見抜き解毒剤げどくざいを与え梁山泊へと運ばせた。


義弟おとうとよ。身体は大丈夫か?」

「あ、ああ王倫おうりんの義兄。それはもう平気だよ。だがそれより……」

「いいから。まずはゆっくり休め」


 何も問わずに自分の心配をしている王倫に楊志は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「いや、これだけは言っておかなくては。私のせいで生辰網せいしんこうを……」

「……義兄上あにうえも言ったが、無理に話さなくてもいいんだぞ?」


 林冲りんちゅうも言うが楊志は首を横に振る。


「だめだ、時間がしい。こうしてる間にも奴等やつらは……」

「何があったか聞いても良いのか?」

「もちろんだ義兄。早く手を打ってくれ」


 炎天下えんてんかでの強行軍きょうこうぐんに加え、指揮官しきかんになって間もない楊志と運搬うんぱんの為だけに編成へんせいされた部下とではその信頼関係も温度差が激しく、とうとう部下達の不満が爆発し進軍が止まってしまう。


 休憩きゅうけいを希望する部下達にこれ以上の無理強むりじいは出来ないと判断した楊志はやむ無くしばらく休む許可きょかを出した。


「そこで別の商隊の奴等と出くわしたんだ」


 その人数は七人。お互い軽く挨拶あいさつわすとその一団いちだんも少し離れて休憩を始める。


「今度はそこに酒樽さかだるかついだ商人が現れた」


 楊志は警戒けいかいおこたらなかったが、先程さきほど連中れんちゅうがその酒売りから一樽ひとたる買って飲むのを見て部下達からも楊志へ購入こうにゅう要請ようせいがあった。


 楊志は痺れ薬などを警戒しそれをいさめたが、酒売りのすきを付いて先程の商隊の一人がもうひとつの酒樽に手を出したのだ。


 それは酒売りにすぐ阻止そしされたのだが、薬の心配がないと分かると部下達はどうしても飲みたがった。そこで仕方なく楊志はそれを購入し、部下達に飲酒いんしゅ許可きょかし、喜ぶ部下にすすめられ自分も一杯だけ飲んだ。


「確かに俺ものどがかわいていた事もあるがこれは言い訳にしかならない。そして急に呂律ろれつが回らなくなり薬を盛られた事をさとったが……」


 時すでに遅しという状態だった訳である。楊志の説明をみなだまって聞いていた。


「……どう思います義兄上?」


 林冲の発言で皆の視線が王倫に集まる。


「え? あ、いや……」


 実は王倫、この時すでに戸惑とまどっていた。十万貫もの価値のある財宝ざいほうつかめる瞬間しゅんかんにその手からするりと逃げていったにもかかわらず、それを取り乱しもせず冷静れいせいに受け止めている自分に。事が大きすぎて自分に処理しょりできる限界を超えてしまっているから、実感としてとらえられていないのかもとまで考えていた。


「生辰網よりも楊志が無事でなによりだったが……」


 王倫のこの言葉に朱貴、杜遷とせん宋万そうまんの三人は特に驚いたようだ。王倫は腕を組んで目をつぶる。


「浮かぶのは隊商、酒売り、楊志の部下。あるいはこれらのいずれか、もしくは全てが共犯と言ったところだろう。いずれにしても大人数ではなさそうだが……」


 王倫は頭の中に対局たいきょく想像そうぞうし、相手を浮かびあがらせようとこころみた。


「楊志の立てた計画の内容を掴んだだけではなく、さらにその上をいったのだ。余程よほど知恵者ちえしゃがついているのかもしれん」


 その相手と瞬時しゅんじに碁の攻防こうぼうが始まる。


「相手が少数でこのだいそれた計画を行うなら、まとめる者、知恵ある者、度胸どきょうのある者、情報収集にけている者、怪しまれない者、……住所が不定な者などもいれば都合がいいかもしれないな」


 王倫のつぶやきを聞いている者はどんどん目が見開かれていく。朧気おぼろげに感じていた彼のすごさを今まさに実感じっかんしているのだ。


「そして得られたのは十万貫…… 噂が広まるのも早かろう」


 想像の対局はすで終盤しゅうばんへと入っている。まだ見ぬ相手の手がすうっとびて盤上ばんじょうに石を置く。


「『逃走とうそう』するよりは『とどまる』か? そうか。なら……」


 パチーン! 王倫は相手の急所らしき所を見破り渾身こんしんの一手を放った。


誘惑ゆうわくあらがえない者を探せば良い。と、いう事だな」


 ……顔の見えぬ相手がたじろいだ。王倫は目を開きするどい視線で皆に伝える。


「私が第三の勢力の介入かいにゅうを見落としたように向こうにもまだ付け入るすきはある。安心せよ」

「は、ははっ!」


 その瞬間しゅんかん。林冲以下頭目格の面々めんめんは無意識に姿勢しせいを正し王倫に頭を下げていたのだった。

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