　王倫（おうりん）の生業（なりわい）は梁山泊（りょうざんぱく）を根城（ねじろ）にしている山賊（さんぞく）だ。都で跋扈（ばっこ）している悪徳官吏（あくとくかんり）と同じ様に名声（めいせい）より悪名（あくみょう）の方が広まっている。

　だが王倫自身は腕（うで）っ節（ぷし）に自慢（じまん）できるものもなく、性格にしても自身の保身（ほしん）を第一に考える所謂（いわゆる）小者（こもの）であった。狭量（きょうりょう）で陰険（いんけん）な所も自覚（じかく）しており唯一（ゆいいつ）我儘（わがまま）に振（ふ）る舞（ま）える頭目（とうもく）の立場は維持（いじ）したいと考えていた王倫だったが科挙（かきょ）に失敗するまではこんなにひねくれていた訳でもない。

「評価（ひょうか）されなければ人間は廃（すた）れるものだ」

　王倫は誰にともなく呟（つぶや）いた。彼は部屋を出ると山寨（さんさい）の中腹（ちゅうふく）にあるお気に入りの場所に足を向ける。そこは陽当（ひあ）たりの良い場所で二本の樹木（じゅもく）が目を引く様に存在していた。ひとつは桃（もも）、もうひとつは瓢箪（ひょうたん）の木でこれは王倫がこの地に流れて来た時に験（げん）を担（かつ）いで自（みずか）ら植樹（しょくじゅ）し、現在（げんざい）でも一人で世話（せわ）をしているものだ。

　当初（とうしょ）こそこの木に向かい志（こころざし）や大望（たいぼう）を語ってはいたものの、その内容（ないよう）はいつの頃からか愚痴（ぐち）や不満（ふまん）が大半（たいはん）を占（し）めるものになっている。だが、彼が誰にも言えない内容を話していたのがこの桃と瓢箪であるのは事実であり、そんな彼が毎日欠かさず甲斐（かい）甲斐（がい）しく世話をしていた事もまた事実であった。

　いつもの様に向かった王倫だったが、彼を出迎（でむか）えた風景（ふうけい）はいつもと同じという訳ではなかったようだ。

　見た事のない老人（ろうじん）と若者（わかもの）とが瓢箪と桃の木の間に座って碁（ご）を打（う）っていたのである。

(なぜここにこの様な者達がいるのか)

　王倫は驚いたが、別に来ようと思えば近くの村からとかでも来れない事はない。ただ好きこのんで山賊の根城で碁を打ちたいなどという変わり者はいないだろう。

　瓢箪の木の側に座っている老人も桃の木の側に座っている若者も見た限りでは丸腰（まるごし）で、王倫は腰に刀を差している。それに勝手に名乗っているとはいえここは自分の土地でさらに首領（しゅりょう）なのだという強みもあり、さほどこの二人に対して警戒心（けいかいしん）を抱（いだ）かなかった。

　いや、それは正しくない。そんな事が些細（ささい）であると言わんが如（ごと）く王倫の興味（きょうみ）を強くひく物がその場にあったのである。

　実は王倫、白衣秀士（はくいしゅうし）の渾名（あだな）で呼ばれていた事もあり自身も碁を嗜（たしな）んでいた。しかし梁山泊では碁を打てる者が少なく、打てるという朱貴（しゅき）もてんで勝負にならない有様（ありさま）。要（よう）はやりたくとも釣（つ）り合（あ）う相手が梁山泊にはいないと言える程王倫の碁の腕前（うでまえ）は確かだったのだ。