第百二十回 軍事と内政

 青州せいしゅう出征しゅっせいしていた梁山泊軍が凱旋がいせんし、新たに加入した者達がその地に馴染なじみ、孫安そんあんの病も完全にえようとしていた一一〇五年の秋。


 白虎山から加わった学者の許貫忠きょかんちゅうは大変満足していた。それは先の鶴翼の陣に始まり生活に使われる道具までが彼の知識欲を刺激するものばかりであったからだ。



「許貫忠殿。魚鱗の陣とは魚のうろこに見立てたものですよね?」

「いかにも。鶴翼の陣は鳥のつばさに見立てたものです」

「はい。しかし首領の一言がこれを改良できるきっかけとなったのですよ」

「なんとおっしゃったのですか?」

「魚には鱗。鳥には翼よりもまず全身に羽があるものなのにそれがないとはまるで調理される直前のようだな。と」

「!?」


 王倫おうりん朱武しゅぶの陣形講座の時に笑いながら言ったそうだがこれが妙に心に残った朱武は後日王倫、呉用ごようと共に軍議盤を前に議論を重ねた。


 結果、梁山泊の戦い方に大きな変化が起きたのだ。王倫はまず味方に犠牲ぎせいを出さない目的をかかげた。その為にはまず全体の兵数に対して指揮する者の数が多くなった事があげられる。逆に言えば率いる兵の数を少なくして統率しやすくし、部隊同士の連携と機動性を重視したのでこうなった。


 機動性と言っても騎兵という訳ではない。事実青州で戦果をあげた部隊構成はほとんどが歩兵だ。王倫は彼らの為に普通より少し長い槍と色分けされた布を用意した。


 一人の大将が約五百の手勢を率い、更に戦いにおいては二人一組で相手の兵一人に当たらせる。これは戦場だと一人で四人と対峙たいじしているような感覚になるらしい。戦えなくなるような怪我をした者は相方あいかたぐに下がらせ、また都合により一人と一人になってしまった者は同じ色の布を巻いてある者同士ですぐに組を作って戦いを継続する。色分けされた布はこの識別に利用され、部隊毎に色が違う。全体で動く時に色の違う者同士が組んでいた場合混乱を生じさせ動きが止まり、その分命を危険にさらすからだ。


 さらに朱武は王倫の言った羽の部分を考え、鶴翼の陣形を前陣六組の三千と後陣六組の三千に分け、状況によって前陣と後陣を別々に入れ替える指示まで出していた。


 林冲りんちゅう楊志ようし王進おうしんらによって錬度や士気が高いのは当然ではあるが、いくさを専門とする部隊を育てていた事と適切な入れ替えを行った事で継戦けいせん能力のうりょくも跳ね上がっていたのである。後陣が役に立たなかった青州軍と比べても雲泥うんでいの差だ。まさに勝つべくして勝ったのである。


 そして総大将の晁蓋ちょうがいに関しては不利とみて撤退する必要がある時のみ指示を出すようにと王倫が言い含めていた。


 晁蓋は名主なぬしではあったが軍人ではない。東渓村とうけいそんの住人を引き連れ戦にあけくれていたとかならともかく、戦の経験そのものは少ないのだから林冲や楊志など官軍出身の者に任せてどっしりと構えておくように。『その為の首領、副首領なのだ』と王倫本人と同列に語られては文句など言えようはずもない。文治主義が招いた弱点を突くには武官の活躍が何より効果的と王倫は考えていた訳である。


 この経験により晁蓋は総大将と大将の違いを感じとり、自身で無理な戦いはしないように心掛けるようになった。王倫が遠征に出る事はない。ならば名代みょうだいになる自分が軽率な判断をしてはいけないという自覚が芽生えた部分が大きい。


 これはやや怒りっぽいところがあった彼の品格を磨き、託塔天王たくとうてんのうのあだ名をさらに高める事になった。


 これらの経緯を知り、見たことのない道具や食べたことのない料理に触れた許貫忠。この地から発生した概念にも気付き更なる可能性をも見出だす。


「……色んな面での文化の花が咲き誇るのを見れるのかも知れぬ。学者冥利がくしゃみょうりに尽きるというもの」


 概念を花に例えた許貫忠はこの地に骨を埋める決意をしたという。


 そんな状況であるから梁山泊だけでなく王家村おうかそんを目指してやってくる者も多い。それは旅人から話をきいて興味を持った者だったり、梁山泊の頭目達と関わった事で実態を知り影響を受けた者だったりもする。登州とうしゅうからやってきた楽和がくわという男も良い劇団があるときいてやって来た一人だった。


※楽和

あだ名は鉄叫子てっきょうし。音楽の才能に優れ、あらゆる歌謡かようを習得した美声の持ち主であることから、叫子きょうしふえの一種でのどの中に入れて用いる)に例えられた。



 この楽和。登州で牢番ろうばんを務めていたが、自慢の歌で身を立てられないか常に考えていたところ、ふと梁山泊りょうざんぱくふもとの村に都でも人気だった一座が根城を構えたと耳にした。何故そんな一座が都を引き払ってまでわざわざそんな場所へ移ったのかと疑問に思った彼だったが、都より近場に来た事を好機と考え直し親族に説明して仕事を辞めて足を運んだ。


「な、なんだいこりゃあ? 思ってたのと全然違うじゃないか! 勿論もちろんいい意味で!」


 初めてきた者でこの地の活気に驚かない者はいない。それは村のはずなのにまるで都にいるような錯覚さえ覚えさせる。行き交う人々は皆笑顔で通りには色んな店がのきを並べ扱われている商品の質も良い。


「へへっ。運が向いてきたかもしれないな」


 楽和は鼻歌混じりにあちこち王家村を見て回った。……夢を抱いて登州から出てきた彼はこのあと白玉喬はくぎょくきょうに自分を売り込みその歌声を認められ、その一座に身を置くことになる。白秀英はくしゅうえいと並んで人気者となり、二枚看板と呼ばれるようになる前の話だ。


 そして別の地域からはしくもこれまた牢役人であった楊雄ようゆうという男が、以前楊志と親交を持ったまき商人の石秀せきしゅうと義兄弟になり、妻としゅうと、その石秀を連れて梁山泊へと向かって来ていた。


 不特定多数の者が一気に増えると裴宣はいせんへの負担が大きくなる可能性があるので、これらに対しては魯智深ろちしん武松ぶしょう官吏かんり時代の経験を買って練兵時以外は村の巡回などの仕事を割り振る。


 梁山泊は確かに平穏であり繁栄もしていたが、こうした影での努力も怠らないように留意りゅういしていた。


 孫安は助けられた恩義を返すため学者の許貫忠、友人の喬冽きょうれつらの協力を得て冬でも食料を生産できないか取り組む。実現すれば多大な恩恵を得られると考えた王倫もこれを全面的に支援する事にした。果たしてこの試みは成功するのだろうか。

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