第百十回 朱貴の誘い

 梁山泊りょうざんぱくではその日、王倫おうりん林冲りんちゅう夫妻と楊志ようし。さらに桃香とうか瓢姫ひょうきが閉店している朱貴しゅきの店へと招待されていた。詳しい事情は皆説明されていない。朱貴から王倫へと話が持ち込まれ、王倫が他の者を誘う形になっていた。


(義兄上あにうえ。瓢姫様のご様子はどうでしたか?)

(特に変わったようには私には思えぬがなぁ)

(私にもそう見えますけどね)

(奥方の考えすぎではないのか?)


 先を歩く桃香と瓢姫の後ろでぼそぼそとやりとりする王倫と林冲。王倫はひそかに瓢姫の様子を見守っていた。確かに部屋にもっている時間は増えていると思えはしたが、特に言動げんどうに変わった様子はなく、彼はらちかぬと思い切って聞いてみた事があるのだ。


「瓢姫よ、何か悩みがあったりはしないか?」

爸爸ぱぱ? 悩み? 私に?」


 王倫の質問に瓢姫は首をかしげ、悩みをさがそうとかえって悩みはじめてしまう始末。今回誘った時の反応も、


「行く」


 と即答そくとうだった。むしろ王倫にとっては朱貴の方が何かあったのかと思ったほどだ。何故なら朱貴は瓢姫は絶対に連れてきて欲しいと王倫に念を押していた。


「ふーむ。分からない事だらけだな」


 彼のらした一言は誰にも聞かれる事なく一行は朱貴の店へと到着する。


「首領、皆様。お待ちしておりましたよ。ささ、こちらへどうぞ」


 朱貴に出迎えられ店内に入ると鼻腔びこう刺激しげきするにおいがただよっていた。


「わあ! いい匂い!」

「これは……お腹がすく罠」


 桃香と瓢姫が目を輝かせる。これは何かを期待した時の目だ。朱貴は料理の並んだ机に皆を座らせた。


「さあさあ。今日は杜遷とせん宋万そうまんの店より先を行く為に考案こうあんした新料理を皆様に試食していただこうとお呼びしたのです」


 趣旨しゅしが説明されると楊志、桃香、瓢姫から歓声があがる。


「ほう。こいつは楽しみだ」

「ありがとうございます朱貴さん」

「これは……嬉しい罠」


 朱貴の料理なら期待できると考えて王倫はふと思う。


(ん? ならば瓢姫を名指しする理由はなんなのだ?)


 瓢姫は料理を作るより食べる派だ。その判断に誰も異論いろんはさまないであろう。


「まずは温かいうちにお召し上がりください」


 うながされみなはしを手に取った。王倫もひとまず考え事は脇へ置く。


「……美味おいしい」

「柔らかい!」

「それはある魚の身を団子状だんごじょうにしてげ、その上にあんをかけたものです」


 桃香と瓢姫、二人して同じ団子を選ぶとはまだ子供だなと可笑おかしくなりつつ王倫は焼き魚に手をばす。


「あ、首領。それはある手間をかけておりまして。頭以外はがぶりとそのままいっちゃってください」

「な、何? 焼き魚だぞ? しかもこの魚は……」


 王倫の反応に林冲も楊志も注目する。


「釣ったその場で焼いて食べても小骨こぼねが多くて苦労するやつですな」


 楊志が同じ料理を分析ぶんせきした。


「じゃあ躊躇ちゅうちょしている義兄あにきのかわりに俺がいってみようか」


 楊志は頭をつかんで尻尾側しっぽがわからかぶりつく。


「ん!?」


 にこにこしている朱貴。


「こ、こいつは……」


 咀嚼そしゃくして飲み込むと一言。


「小骨が全然ないぞ。いや驚いた」


 その反応で王倫や林冲、林氏りんしも手を出し同じように驚く。


「このお魚は調理法ちょうりほうを選ぶと思っていましたがどんな手法しゅほうを使われたのですか?」


 朱貴は林氏のその一言を待ってましたと言わんばかりに説明を始めた。


「ふふふ。実はこれのおかげです」


 ある道具を取り出してかざす。


「あ、それ……」


 瓢姫が見るなりつぶやいた。


「そうです。瓢姫様考案の鑷子せっしです!」

「うん? 瓢姫考案の道具? 私は初耳はつみみだぞ」


 王倫はそう言って周りの様子を見る。林冲も妻と顔を見合わせているし楊志もきょとんとしている。どうやら初耳なのは王倫だけではないらしい。


「そりゃあそうです。製法せいほうが難しいらしくて数が出回ってませんからね。私は運良く湯隆とうりゅう殿から聞き、頼み込んで譲ってもらいましたが。宋万や杜遷はまだこれの存在すら知らないと思いますよ」


 朱貴が自慢じまんげだ。その道具は箸よりも短く先端せんたんはすごく細い。細い鉄の板を折り曲げたような感じで、頼りなさげなその形状けいじょうは朱貴が胸をはるような道具にはとても見えなかった。


「おそらくこれを持っているのは梁山泊広しと言えども瓢姫様と湯隆殿。そして私くらいのものでしょう」

「朱貴殿。それでそれは何がすごいのだ?」


 楊志が質問する。王倫はどうせ聞くなら考案した瓢姫に聞けばいいのにと思い、内心ないしんなごんだ。


 それによるとこれは指先では困難な細かい作業を補助してくれる道具らしい。その手先の器用さでは皆が知っている瓢姫がさらにその補助ほじょを行う道具が必要だったなどという事実の方に皆が驚いた。


「私はこれを知った時、何か料理に使えるような予感がしまして。頼み込んでひとつ譲ってもらったんです」

「それがこの料理の数々という訳か」

「そうです。魚なのにあるはずの骨がない上に柔らかく食べやすい。この鶏の肉料理も骨の多い部位を使ってみたものです」

「それを使って骨を取り除いたのか!」

「後は形を本来の姿に戻したりですね」

「確かに……そう聞くとこのお料理は手間がかかっておりますね……」

「……驚くほど美味しかった」

「だよね瓢姫。私も私も」


 皆感心している。瓢姫すらも。


「うん? その様子だと瓢姫はいったい何の為にそれを考え出そうとしたのだ?」


 瓢姫の発想はっそうと朱貴の思いつき。料理は副産物的なものだと考えた王倫は根本的こんぽんてきな理由をたずねる。


「あう……」


 途端とたんに口ごもる瓢姫。皆に見つめられ困惑の表情を浮かべる。


「それは……爸爸のために……」


 それだけ言うとそれっきり口をつぐんでしまった。はたしてこの道具と王倫がどう結びつくというのだろうか。




※補足

鑷子とはピンセットの事です。まさかピンセットと書くわけにもいかず、他に適当な言葉もなかったので和名表記をそのまま使わせていただきました。

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