第七十二回 強襲する白秀英

 芝居しばいが終わり王倫おうりん達は余韻よいんひたっていた。


「たまにはこういうのも良いものですね。桃香とうか様も瓢姫ひょうき様も静かに見入みいっていたようですし」

「……むふー」

「よかった」

「ふーむ。分かっているのかいないのか」

「お二人はとてもかしこいからもちろん分かっておいでですよ。ねー姫様?」

「りんまーま!」

「りーまー!」

「……ぐすっ」

「うん?」


 王倫が林冲りんちゅうを見ると彼はなみだぐんでいる。目の前のこの幸せな光景に感慨かんがいぶかいものがあったのだろう。王倫は気付かない振りをした。


時文彬じぶんひん様達とこのような観劇かんげきができうれしく思います」

「いえいえ王倫殿。それはこちらも同じ事。どうですか? 良い料亭りょうていをおさえてありますのでこの後皆様で」

「お気遣きづかいありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきます」


 時文彬のさそいを承諾しょうだくする王倫。


「? 王倫様。すごい勢いで女性がこちらにやってきますが……」


 鄭天寿ていてんじゅに言われてそちらを見ると派手はでな着物の女性がたしかに足早あしばやに向かってくるのが確認できる。


「ばーば、こっち」

「……こっち」

「ど、どうしたのだ二人とも」


 桃香と瓢姫が王倫を引っ張り鄭天寿から離れさせた。


「王倫様! 挨拶あいさつが遅れましたがわたくしこの劇団げきだん座長ざちょう白玉喬はくぎょくきょうむすめ白秀英はくしゅうえいと申します。以後いご見知みしきを素敵すてき殿方とのがた


 鄭天寿の両手を取りしなをつくり色っぽい目線を送る白秀英。いきなりの出来事に周囲の者は置いてきぼりだ。


 白秀英は鄭天寿の手を離さぬまま言葉を続ける。


「知事の時文彬様と上席じょうせきすべて貸し切りで見て貰えた事にわたくし、いたく感激かんげきしております。もしこのあと何もご予定がないのであれば……」


 鄭天寿は突然の事に何も言えずに戸惑とまどっていた。目線めせんで王倫に助けを求めているようだ。


「観劇されて感激ですってか?」


 雷横らいおう一言ひとことはっすると白秀英はそちらを見る。もちろん鄭天寿の手は離さない。


「ええと? こちらのひげの殿方は?」

「髭ってか。髭ならこっちのほうが髭だろう。俺は雷横。時文彬様の部下だ」


 雷横はぶっきらぼうに朱仝しゅどう紹介しょうかい名乗なのる。どうも白秀英の態度たいどが気に入らない様子だ。白秀英はかいさない。


「あら、ほんと。こちらのお髭のほう随分ずいぶん立派りっぱでございます事。失礼いたしましたちょろ髭のかた

「ちょ、ちょろ髭!?」


 雷横の赤い顔がますます赤くなったように見える。朱仝が心配して声をかけた。


「雷横、おさえろ」

「はん、俺様は平気よ。いまいち意味のわからん劇だったが、この後『王倫様』と一緒に食事に行けるからなぁ。『王倫様』と」


 雷横は自慢気じまんげに白秀英に嫌味いやみを言う。


「ま、まあ! ……王倫様? この白秀英も御一緒ごいっしょする訳には参りませんか? わたくし一芸いちげいにも秀でておりますから座を盛り上げるのは得意とくいでしてよ」

「あ、いえ、私は王倫様では……」


 泣きそうになりながら否定しようとする鄭天寿に王倫がかぶせる。


「お、王倫様! 時文彬様とのご予約の時間もすぐですし早く参りましょうか。皆もお腹をかせておりますぞ」

「ごはんー!」


 瓢姫もコクコクとうなずくので皆を連れ出そうとする王倫。雷横はにやりと笑って同調どうちょうした。


「そうですなぁ王倫様お付きの『鄭天寿』殿。ささ、時文彬様もお早く。『美髯公びぜんこう』殿もな」

(!? 雷横め。さっき女に言われた事を根に持っているではないか……)


 朱仝は底意地そこいじの悪い雷横にやれやれと言った顔を向ける。いったんはこうして白秀英の襲撃しゅうげき退しりぞける事に成功したが、それであきらめる白秀英ではなかった。


「……王家村おうかそんの王倫様。待っていてくださいましね。この白秀英、必ず!」


 走り出した乙女おとめは止まらない。



 一方いっぽう、時文彬の執務室しつむしつ潜入せんにゅうしている呉用ごよう達も目的の物を順調じゅんちょう入手にゅうしゅしていた。

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