第4話

「ちょっと、いいかげん部室の鍵返してよ!今日から見学日なのに!」

 マヤが相当いら立った様子で佐久間に詰め寄る。

「きみたち、何か勘違いしていないか?無期限の部活停止だよ。ひと月やふた月で再開できると思っているのかい。」

 あくまでも冷静に佐久間は2人に対応している。すると今度はソメノが手に持っている紙の束を佐久間につきつけて言った。

「もう1か月たったし、始末書だって書いたでしょ!それにほら、軽音楽部活動再開の嘆願書と生徒の署名200人分もあるんだから!」

 佐久間はそれを一瞥いちべつしただけで意に介さず、冷徹に答えた。

「そんなものくらいで君たちのやらかしたことが帳消しになるとでも思っているのかい?とにかく向こう1年くらいは君たちには鍵は返せないな。どうぞお引き取り願おう。」

「そんなのない、卒業しちゃうじゃん!大体あれはコウタロー先輩が勝手にやったことじゃない!本当は私たちだって被害者なんだからね。このままじゃ新入部員がゼロになっちゃう!活動する権利だって私たちにはあるはずでしょ。事実、200人近くの署名だって集まったんだから、活動再開の理由としては十分じゃない。そこを無視するわけ?」

 マヤは半ば悲痛な声で佐久間に訴えた。しかし佐久間は動じる様子はなかった。そしてほとんど冗談のような口調でこう言った。

「そんなに言うなら、200人と言わず、1000人は集めて欲しいな。うん、そうだ、いいことを思いついたよ。今年の文化祭は出してあげよう。それでもしその時に君らが講堂に1000人集められたら鍵を返してもいいよ。その代わり、ダメだったら廃部、っていうのはどうだい?」

「わかった。」

 マヤは佐久間をにらみつけて即答した。

「ちょ、ちょっとマヤ、いいの?」

 ソメノはさすがに戸惑っている様子だ。佐久間もまさかそんな条件を飲むとは思わなかったらしく、一瞬マヤの気迫にたじろいだようだったが、すぐに冷静さを取り戻し

「あ、そ。それじゃあ、そういうことで。ここに集まっている生徒全員が証人だ。これで話はついたね。それじゃ、僕は忙しいので失礼。」

 と言って佐久間は生徒会室に戻った。潮が引くように人だかりは消えた。数名の女子生徒が

「マヤさん、頑張ってください!」

「応援してます!」

と言って立ち去っていった。

 最後にマヤとソメノも連れ立って歩き出した。2人の長髪が廊下から差し込む春の日に照らされて、滑らかな光沢を帯びる。ユリカは与謝野晶子の歌を思い出す。


 その子二十 くしにながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな


 ――ああ、憧れの2人が、今私の目の前を歩いている。なんとか話しかけたい・・・。

 高まる鼓動の中でユリカは必死に考える。しかし、心とは裏腹に口は重い。2人はユリカと丁度同じ方向に歩き出したので、自然と会話が耳に入ってきた。

「ねえ、マヤ、あんなこと言ったけど、大丈夫なの?」

「うーん、勢いで言っちゃった。あんまりあいつが憎たらしいから。1000人かあ。タンカ切ったはいいけど、どうしようかなあ。下手すりゃ廃部だしね。」

 さっきのマヤからは伺えないほどの弱気な様子が伝わってくる。

「しかも、コウタロー先輩がもういないんだから、リードギターどうすんの?」

「もうあの先輩の話はしないで。でも確かにそれは問題だよねー。大体、活動停止で新しい部員には期待できないし。あーどこかにギターの上手いヤツいないかなー。」

 その言葉を聞いた瞬間、ユリカは天啓だと思った。

 ――今話しかけるしかない。これはわたしの運命だ。

 全身が打ち震えた。鳥肌が立っていた。15年生きてきて、最も勇気を必要とする瞬間だった。しかし彼女はついに一歩を踏み出した。

「あ、あの!すいません!」

 それで精一杯だったが、2人の注意を引くには十分だった。そこにはメガネをかけたおかっぱ1年生が不安そうに立っていた。

「わ、わたしにギターをやらせてください!」

 マヤとソメノは顔を見合わせた。突然突拍子もないことを言い出した新入生にどう対処して良いか、はかりかねているらしい。マヤが不審そうに尋ねる。

「えーと、あなたは・・・?」

「いきなりすいません・・・私、1年生の大石ユリカといいます。あの、・・・さっきのお話を伺って、リードギターがいないって・・・。」

 しどろもどろになりながらも、ユリカはなんとか言いたいことを伝えようとした。

「わたし、デスピノのライヴを去年の学祭で見て、それでこの学校に入ったんです。だけど、さっき軽音楽部に行ったらドアが閉まってて・・・そうしたら生徒会室で先輩たちがいるのを見つけて。」

「ああ、あの騒ぎ見てたんだ。そう、今軽音は存続の危機なの。」

 マヤは少しずつユリカの言いたいことが分かってきたのか、当たりが柔らかくなった。その声の調子で逆にユリカは気持ちが昂ぶってしまった。

「わたし、小学生の時からメタリカが大好きでギターを弾いてました・・・それで、初めて弾いた曲がサニタリウムで・・・中学生までにはなんとかソロを・・・うぅ。」

 一気に言いたいことが湧き上がってきて、気持ちの整理がつかなくなったユリカは嗚咽おえつをもらしてしまった。

「ちょ、ちょっとちょっと!なに?泣かないで。私たちがいじめてるみたいじゃない。」

 マヤとソメノはあわてて、泣き出したユリカを両側から支えるようにして中庭に連れ出し、ベンチに3人で腰掛けた。

「ご、ごめんヒック・・・なさいヒック・・・」

 なかなか泣き止まないユリカを持て余したマヤはなんとか落ち着いてもらおうと

「ねえ、ユリカだっけ?あなたがギターを弾くのと、サニタリウムっていうのはとりあえずわかった。小学生からやってるんなら、結構弾けるのかな?知ってのとおり、アタシたちは今大ピンチなの。もしそれなりに弾けるんだったら、こんなラッキーなことはないんだけどね。」

 とハンカチを取り出してユリカの涙を拭きながら優しく話しかける。

 ハンカチはいい匂いがした。

「部室が使えれば弾いてもらえるんだけどなー。」

 その口ぶりから、ソメノも一応その気になっているらしい。ようやくユリカも発作が収まってきた。

「そうねえ、とりあえず、あなたがどれくらい弾けるのか知らないから何とも言えないのよね。どうしよっかな。」マヤは思案していたが、いいことを思いついたというように

「そうだ!じゃあ、これから茶水にいく?」

 と言い出した。

「ああ、そうだね。あそこならギター弾き放題だしね。いーんじゃない!ね、ユリカ、今日これから、時間は大丈夫?」

 ソメノにユリカと呼ばれたのが嬉しくてまた泣きそうになったが、なんとか嗚咽を飲み込んで

「は、はい。大丈夫です・・・。」

 とやっとこさ答えた。

 本当はあまりにめまぐるしい午後の出来事で、ユリカはへとへとだったが、ここで断るわけにはいかない。

「よし、じゃあ、早速行こう。もう泣き止んだ?」

 マヤが心配そうに尋ねる。

「は、はい。落ち着きました。すいません、取り乱して。」

 ずいぶん難しい言葉を使うのね、とマヤは笑って立ち上がった。ソメノも同時に立ち上ると、背の高い2人にはさまれたユリカは、自分の姿をまるで昔何かの本で見た「ロシアで捕獲された宇宙人」のように感じた。

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