第32話
「やだやだやだぁ、楽しくないですぅー。もう絶対帰ります!ひいぃ、なんか出たあ。あーごめんなさい、わたしが悪う御座いました。許して、ホントにもうダメ。もう帰る!絶対帰るう!マヤさん、ちゃんと手握ってください!じゃないとわたしもう歩けません!わわわ!びっくりしたー!びっくりしたー!」
お化け屋敷の中でユリカは延々この調子でマヤにすがりついて、ほとんど目を開けずに歩いた。マヤとソメノは怖がる様子もなく、ユリカの様子に大笑いしながら先へ進む。
手を握るどころか、腕にしっかりと巻きついているユリカを引っ張りながらマヤは言った。
「ユリカってホント面白いね。声が別人なんだけど、誰か違う人になっちゃった?あっ、ほらユリカ見てごらん、生首、生首。」
「ひええ」
ようやくのことでお化け屋敷を出たユリカは放心状態だった。マヤがユリカの目の前に手を振ってだいじょうぶ?と聞いてもほとんど反応がない。
「ユリカにはちょっと刺激が強すぎたかな?」
さすがにその様子を見てソメノが心配そうに言う。
「ユリカごめんね、まさかこんなになっちゃうなんて思わなかったよ。」
マヤはユリカの頭を優しく撫でた。そうしているうちにユリカもなんとか正気に戻り始めた。
「あ、マヤさん・・・ごめんなさい、あんまり怖かったもので・・・ずっと腕にくっついてしまって暑くなかったですか?」
8月に入っても相変わらずの猛暑だった。
ドームシティはかしましいミンミンゼミの声やスピーカーから流れる正体不明の音楽、そして時折聴こえるジェットコースターに乗った客の絶叫が入り乱れる遊園地特有のざわめきであふれていた。
――いったいあのセミたちはどこから来て、どこに卵を産むんだろう?土の地面なんかどこにもなさそうなのに・・・
そんなことをユリカがとりとめもなく考えていると、今度はソメノに手を引かれてコーヒーカップに乗せられた。動き出すと同時にマヤは猛烈にハンドルを回し始める。
ハンドルはカップと連動しており、回せばその分だけカップも回転した。そのとてつもない遠心力によって、みんなカップのへりに貼り付けられた。3人の女子高生は大はしゃぎをした。
ところが最初は大笑いしていたその3人も、激しい回転運動の当然の帰結として次第に気分が悪くなり始め、最後には皆ぐったりしてうなだれる始末であった。
「うぅう、気持ちが悪い・・・」
「マヤさん、私もです・・・。少し休みませんか?」
カップから降りて足元をふらつかせながらユリカは聞いた。
「賛成。何か冷たいものが食べたい・・・」
ソメノがそう所望したので3人でアイスクレープを食べることにした。それぞれ違うフレーバーを頼み、3人で分け合った。ユリカはこんなに楽しい夏休みが過ごせていることに心の底から満足していたのだが、その一方ではある思いが心の隅にひっそりと息づいているのを感じていた。
――この楽しい瞬間もやがて過ぎ去る。あと1時間もすればキイチさんの演奏を見て、そうして家に帰り、バンドの練習をして、そしてコンテストの予選があって、ひょっとしたら優勝できるかもしれない。そうなったらきっと泣いちゃうだろうな・・・。でも次の日にはまた勉強をして、バイトをして、学校が始まって、部活をして・・・その繰り返しだろう。どんな楽しいことも、いつかは終わる。でも逆に、辛いこともいつかは終わる。すべては時間の経過と共にただ過ぎ去って終わる。それって結局、諸行無常ってこと?だとすれば、わたしは何のために日々を過ごしているんだろう?何のため?そんなの解るわけない。それでもわたしは生きている・・・。
ユリカは日々の生活の中で、こんなふうに突然思うことがあった。そして、そう考えているとき、なぜか傍観者の立場となって客観的に自分の姿を見つめているような錯覚に陥る。
――生きるってなんだろう。わたしはどうしてここにいるんだろう。なんのために生まれたんだろう。あれ、確か美術の教科書に載ってたゴーギャンの絵のタイトルがそんな感じだった?あー思い出せないや。まあいいや。
それにしてもなんのため、というのは自分で見つけなけらばならないのかしら。そもそもわたしの存在って何?どうしてわたしはわたしなのかな。今こうしているわたしと、明日のわたしは同じわたしなの?
明日って言うけれど、時間って本当に流れているのかしら。流れるっていうのは比喩だから、もっとふさわしい言い方があるのかもしれない。それに時間を感じるのは人間だけなのかな。
サバンナの動物たちは時間を感じないだろう。じゃあ、時間ていったい何なの?人間が勝手に作り出したものなのかな。存在と時間の関係っていったいどうなっているのかな。月の石は何億年も前からあっただろう。でも、それを人間が発見しなければ、無かったと同じじゃないのかな。
そう考えると、人に認められなければ存在として成り立たないのかしら。人に認められること。人間は一人では存在することはできない。ほかの人に認められて初めて自分は存在する。私の詩にしてもどんなに自分が素晴らしい作品ができたと思ったところで、他の人に認められなければそれは詩にはならない。よほど美山さんの詩の方が存在価値があるんじゃないのかしら。
ああ、まただ。存在。存在って一体何だろう。もしわたしがある人に認められなかったら、わたしはその人にとって存在しないことになるのかしら?だとすれば、わたしは死んでいるのと一緒だ。そんなのいやだ。わたしはここにいる。確かに生きている。誰かが私を必要のあるものとしてくれたら、私は確固とした存在になれるのかしら。
マヤさんやソメノさんは、わたしを本当に必要としてくれているのだろうか。それなら、わたしは生きる勇気を持てる。ああ、須永さんはどうだろう・・・須永さんは今ドイツにいる。でも、わたしはその存在を感じ取ることはできない。須永さんは本当に存在しているのかしら。なんだか夢みたい。ひょっとしてこのわたしも、須永さんも、マヤさんもソメノさんもみんな夢なんじゃないのかしら。胡蝶の夢。ある日突然夢から醒めて、世界は終わる・・・
――リカ、ユリカ!ちょっと!手が!手が!
真夏の遊園地で、際限のない哲学的思考にふけっていたユリカは、ソメノの慌てた声で現実に引き戻された。
アイスクレープを握りしめていたユリカの右手は、溶けたストロベリーアイスでべとべとになっていた。
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