第31話

「どうしたの、ユリカ?なんか急に顔が赤くなったんだけど。熱でもあんの?」

 マヤが心配そうにユリカの頬に手を当てる。思いのほかひんやりとしたマヤの手はとても心地が良かった。まるですべすべのスカーフが当てられているようだ。

「い、いえ、何でもないです。あっ、氷が大分溶けちゃいました!」

 ユリカが妙な想像をしているあいだ、しばらく放置していたアイスティーはかなり薄くなっていた。

「ユリカだけだよ、まだ飲み物残ってるの。まあ、まだここにいようよ。外暑すぎるし。」

 ソメノはそう言って窓外の光景に目を向けた。新宿のサザンテラスを歩く人々は、梅雨明けの七月の強烈な日差しを受けて、息も絶え絶えな様子である。午後2時の最高気温は34度を記録した。

「来月いよいよコンテスト予選だけど、曲はなにやる?今んとこ何曲できてんだっけ?」

 マヤが誰ともなしに尋ねる。それを受けてソメノが

「ええと、マスター、バッテリー、エンターサンドマン、ワンくらいかな・・・ダメージ・インクはまだイマイチじゃない?」

 と指折り数える様子で答えた。

「そうねえ・・・学祭までにはなんとかダメージ・インクは完成させたいね。まだみんなしっくりこないよね。」

 ユリカも同感だった。

 ダメージ・インクはメタリカの曲の中でもかなりスピードが速く、その分破壊力がある人気曲だが、速い分だけ演奏が雑になってしまう。ユリカがソロを弾いているとき、マヤはバッキングで延々16分音符をズクズクズクズクと弾き通しとなり、さすがに辛そうだった。しかも何回かリズムが裏返って止まったこともあった。キイチが張り切りすぎて異常なスピードで叩くため、訳がわからなくなってしまうのだ。

「キイチさあ、気持ちゆっくり叩いてよ。じゃないと今はまだ合わせられないよ。」

 キイチが大車輪でツーバスを踏む様子を思い出してソメノが文句を言う。

「ええー!オレもっと速くできるんだけどな。なんかどんどん速く叩いちゃうんだよ。デイヴ・ロンバードの気分わかるわー。」

「すいません、わたしも途中でリズムがとれなくなっちゃって・・・でも、あれですよね、なんかたまにネットでライヴを観ると、この曲って演奏している本人たちも怪しいときないですか?」

「あーあるある!無理やりつじつま合わせてる時あるよね。特にソロ終わりとかさ。まあ本物がそうなんだから仕方ないんじゃない?まだ学祭までは時間あるんだからその時までの楽しみとっておこうよ、練習はするけどさ。じゃ、どうするかな、やっぱ予選はマスターで行く?」

 マヤの意見に皆異論はなかった。

「オッケー。予選まであと5回は練習できるだろうから、マスター中心に仕上げていこう。次の練習どうする?もう夏休みだから平日でも平気でしょ。ユリカはバイトがあるんだよね?」

 マヤに聞かれてユリカは

「あ、はい。月曜・木曜と土曜は基本的に入ってます。そうだ、聞いてください!もう少しで目標金額に達成するんです。そうしたら、ついにギター買います!」

 と嬉しそうに報告した。

「へぇー、良かったじゃん!そしたらさらに音が強力になるね。予選で他のバンド、ぶっ飛ばしちゃおう。ユリカはその曜日以外なら平気だね。ソメノとアタシはいつでもいいとして、キイチ、アンタ都合悪い日あるの?」

「うーん、1日までは吹奏楽部の練習が結構入ってるんだよね。でもそれが終われば大体いつでもいいよ。みんな演奏見に来てよ。」

「えーどうしよっかなー、面倒くさいよねー。」

 ソメノはマヤに目配めくばせする。

「なんだよ、マヤ姉もソメ姉もヒマだろ。ユリカちゃんは大丈夫?」

「はい、大丈夫です。吹奏楽部の演奏ってきちんと見たことないから面白そうです。マヤさん、ソメノさん、行かないんですか?」

「ユリカは優しいねえ。わかったよ、行くよ。3人で行こうか。ちなみに、場所はどこでやんのよ?」

 マヤはスマホに予定を打ち込みながら聞いた。

「文京シビックセンターの大ホール。ドームのすぐ裏側にある建物。たしか開演は1時半だったかな?」

「へえ、そんなとこでやるんだ。ドームねえ。そうだ、ソメノ、ユリカ、せっかくだからさ、ドームシティの遊園地行こうよ。午前中に遊んでお昼食べてから見ればちょうどいいんじゃない。」

 このマヤの思いつきに、ユリカとソメノの顔は輝いた。

「わあ、遊園地なんて久しぶりです。ものすごく楽しみ!わたしジェットコースターに乗りたいです。もう絶対行きます!」

 ユリカは今年の夏休みは楽しいことづくめだ、とその時は思ったのだが・・・。

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