第11話
気分を変えるためにタリーズでコーヒーでも飲みながら本を読もうと思ったが、無駄遣いしている場合ではないと思い直し、スナック菓子を買って帰ろうと駅の構内のひかり堂薬局へ立ち寄った。この店に入るとき、ユリカはいつも芭蕉の
五月雨の降り残してや光堂
を思い浮かべる。周辺には大きなドラッグストアはいくつかあったが、このこぢんまりとした店の雰囲気と名前がお気に入りで、つい来てしまうのである。店の入口に差し掛かったとき、ふと張り紙に目がいった。
パート・アルバイト募集
時給850円 高校生可
時間・曜日応相談
ひかり堂薬局
ユリカは頭の中で素早く計算をしてみた。
――週2回、1日3時間で5千円・・・土曜日か日曜日に5時間くらいやれば5千円。週約1万円として、2ヶ月くらいやれば、テスト期間を差し引いても6万円くらいは稼げそう・・・。皮算用がユリカの中で成立し、ほとんど自動的に、品出しをしている店員に向かって声をかけていた。
「あの、すいません。」
「はい、なんでしょ・・・わ、大石じゃん!」
「倉田くん?」
そこで働いていたのは中学の同級生だった倉田ヨウスケだった。
「ここで何してるの?」
その質問が間抜けなものだと知りつつ、ユリカは思わず聞いてしまった。倉田はクラスのムードメーカー的存在で、よく授業で先生に茶々を入れるようなことをする生徒だった。しかしそれは嫌味を感じさせないものであり、しかも往々にして人の見落とすような、細かいところをうがったものであったりするので
「何してるって、バイトだよ。あれ、なにそれ、ギター?お前ギターなんか弾けるの?」
「うん、まあね。ちょっとだけ・・・倉田くん、いつから働いてるの?全然知らなかった。」
ユリカはほとんど話したことがないこの人気者に、なぜか
「ほら、オレ高専に推薦で入ったからさ、結構暇だったんだよ。それで合格と同時に学校に内緒で2月から働いてたんだ。バイクを買いたくて、もう10万くらい働いたよ。」
「すごーい!そんなに。おごってよ。」
ユリカは、いつの間にかこんな風に、自然に軽い会話を交わせるようになっていた。
「やだよ。30万貯めるんだから、おごれないっつーの。それより、何か探し物?」
そう言われてユリカは当初の目的を思い出した。
「私もここでアルバイトしようと思って。お金がいるの。」
「え!そうなの?えーっと、あっ、じゃあ、どうしようかな、えーと、そうかそれじゃ店長に聞いてみよう。こっち来て。」
倉田はユリカをレジの方へ先導する。
「あのー店長、ちょっといいですか?」
倉田は、薬品棚を背に立っているメガネをかけた背の高い、五十がらみの
「なあに、倉田くん。あれえ、その子、彼女かい?」
「ち、違いますよ!中学の時の同級生なんです。ここでバイトしたいっていうんで・・・」
そんな言い方しなくてもいいのに、とユリカは思ったが、まずは店長だ。
「はじめまして。わたし、大石ユリカと申します。ぜひここで働かせてください。」
「おやおやだいぶしっかりしている子だね。あ、そう。倉田くんの同級生なら大丈夫だろ。じゃ、こっち来て。」
何が大丈夫かはわからなかったが、店の奥の、真ん中にテーブルが置かれた6畳ほどの広さの倉庫兼休憩室に連れていかれて、話はとんとん拍子に進んだ。
「じゃあ、来週から倉田くんと同じ曜日に入って、仕事を教えてもらってね。」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
休憩室を出ると日曜の夕方で店はだいぶ混雑しており、数人の店員に混じって倉田もレジで一生懸命商品をスキャンしていた。ギターを背負った人間がいると場所をとるので迷惑と思い、挨拶をせずに店外へ出た。肝心のスナック菓子を買い忘れたと思ったが、そんなことはもうどうでもよかった。ユリカはバンドの練習と、いきなりのバイトの面接でひどく疲れたので、1人になりたいと思った。
多摩センター駅は京王線・小田急線・多摩モノレールが乗り入れる、かなり大きな郊外型の駅である。駅の下にはバスターミナルがあり、周囲にはいくつもの大きなビルや商業施設が建っている。
ユリカは階下のバス停には行かずに、エンジ色のレンガが敷き詰められたゆるい傾斜を持つペデストリアンデッキを歩き出し、パルテノン多摩方面へと向かった。
駅から南に伸びる幅40メートルはあるパルテノン大通りを、300メートルほど直線に進んだ突き当りに、ホールその他を
建物の正面は階段状になっており、そこを昇るとその先右手に広がる多摩中央公園に抜けることができる。また、施設頂上からは多摩センター駅周辺が一望できた。ユリカはそこへ昇って周囲を見下ろしたい気分になったのだった。
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