第56話
「おとといの台風すごかったわねー。ユリカちゃん、家帰れたの?お店なんてさ、誰も来なかったよ。ウチの小2の子なんて次の日休みになって大喜びしてたけど、こっちは庭の木が倒れたり、雨どいの修理とかで大変だったわ。もうこりごり。」
ひかり堂で客足が途絶えた時に、薬剤師の田中さんがそう聞いてきた。
「なんとか帰れました。もう少し遅かったら電車止まってたんで危なかったんですけども。あの大雨の中、バスがちゃんと走って頼もしかったですよ。」
「都心の方はすごかったらしいよ。雷が何カ所も落ちて、停電もあったってさ。オレもさすがにバイクは乗らなかったよ。あーっ、また引っかかったし!」
その場に一緒にいた倉田はレジのレシートロールを交換するのに悪戦苦闘している。
「そういえば、わたしの学校の校庭の桜の木も落雷で真っ二つに割れてました。それはもう見事に。あんなの見たの初めてでした。いまだに周りは立ち入り禁止です。」
「へえ、それは大変ね。そういえばさ、こないだユリカちゃんに会いに来てたカッコイイ男の子、彼氏?」
「ああっ!」
倉田はせっかくはまりかけたレシートのロールを床に落とした。ロールは端っこを倉田の手に残してそのままくるくると回転し、白い直線を描いて数メートル先で棚にぶつかって止まった。
「あーあ」
ユリカはそのロールを拾い、ほどけた紙の部分を丁寧に巻き直した。ロールのテープをはさんで立つユリカと倉田はまるで船出の別れのようだ。
そしてこんな時、倉田は冗談のひとつやふたつは言うのだが、なぜだか今日に限ってそれは無かった。
ユリカはなんで大人はすぐに彼氏とか彼女とか聞いてくるのだろうと思いながら倉田にハイと巻き終えたロールを手渡した。
「さ、サンキュ」
倉田は面目なさそうに受け取った。ユリカは倉田に落ち着きがないのが不思議だった。鈍感なユリカはその訳を聞こうかと思ったが、田中さんが先ほどの答えを期待している眼差しで見ているので仕方なく答えた。
「いえ、違います・・・文芸部の先輩です。夏休み中にドイツに滞在してたんですけど、中大のオープンスクール帰りにそのドイツ土産を持ってきてくれたんです・・・。」
ユリカは部室での出来事を思い出すと少し悲しくなるのでこの話はもうやめたいと思った。
「へええ、じゃあその先輩ユリカちゃんのことが気になってるのかな?」
田中さんはそんなユリカの気持ちも知らずに根掘り葉掘り聞こうとしてくる。田中さんの言うとおりなら嬉しいのだが、肯定できるほどの根拠がない。須永は
「いえ、違うと思います・・・。先輩は誰にも優しいんです。」
「ふうん。じゃ、ユリカちゃんにとって憧れの先輩なの?」
話がだんだんと好ましくない方向に向かっている。しかも倉田にも聞かれている。何気ない様子に見えるが、全部聞いているに決まっている。ユリカは何故だか倉田にはこれ以上聞かれたくなかったので答えに詰まった。するとタイミングよく常連のおばあちゃんがやって来て
「あのー白色ワセリンどこですかあ?」
とユリカに聞いてきたので、その場を離れることができた。
おばあちゃんを案内するユリカの後ろ姿を見ながら田中さんはニヤニヤしながら倉田に言った。
「倉田くん、よかったじゃん、彼氏じゃないってさ。でも、あの様子だと結構気になってるんじゃないかなー、心配だねー。」
突然倉田はそう言われてドギマギしながら
「な、何言ってるんすか。別に関係ないっすよ。」
とようやくロールをパチンとはめ込んだ。
「関係ないっすよ、かあ。いーねえ、若くて。あー私も20年前に戻りたいなあ!」
田中さんはそう言って調剤コーナーへと戻っていった。
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