第21話

 「さあ、そろそろ中に入ろうか」と須永が部員を促した。文学館の玄関からホールにかけては赤絨毯あかじゅうたんが敷かれており、古い建物であるにもかかわらず、その和洋折衷な造りがかえってモダンな印象を訪れる人々に与えていた。

 こぢんまりしたホールの横にはミュージアムショップと呼ぶにはあまりにささやかなグッズコーナーがあり、そこを通り過ぎて左手すぐが第1展示室となる。鎌倉ゆかりの文士を中心に展示されているこのエリアは、様々な作家の自筆原稿や初版本などを間近に見ることができる。

 部屋の中央には六角形の大型ガラスケースがあり、その中にも様々な資料が収められていた。庭を望む窓側の壁には、入場券にも印刷されていた美しい円形のステンドグラスがはめ込まれていた。

 まず最初に、文学館ゆかりの三島由紀夫作品『春の雪』の自筆原稿をユリカは興味深く眺めた。ユリカはこの天才が彼女とほぼ同年で『花ざかりの森』を執筆したことが未だに信じられなかった。

 一方それほど興味がなさそうな様子の大沢が、

 「だいぶつ・・・じろう?」

 と、鎌倉文士に関する展示を見ながらつぶやいたのを聞いて須永は吹き出した。

「な、なんすか。何がおかしいんですか。」

 大沢は訳がわからないといった具合である。

「あ、笑ってごめん。いや、普通、そう読むよね。ね、大石さん、出番だよ。」

 呼ばれたユリカは大佛次郎の名前を見てなるほどと思った。

「この人は、おさらぎじろうって言うんです。でもわたしも最初だいぶつじろうかと思ってましたよ。『帰郷』って本が家にあって、それは読んだことあります。」

「へぇーそうなんだ!読めるわけないじゃん!でもいいこと聞いた。ねえ、山賀さん、山賀さん」

 そう言って大沢は山賀を連れてきて「ねえ、この人なんて読むか分かります?」と何気なく質問した。

「何って・・・だいぶつじろうじゃないの?」

 間髪入れず答えた山賀に、その場にいた皆が爆笑した。全員遠慮なく笑って思いのほか声が大きくなり、他の観覧者がこちらを振り向いたり、眉をひそめている様子であったので、皆すぐに恐縮してその場を移動した。


 そもそも個人の別荘であったので、博物館としてはそれほど広い建物ではないが、展示はユリカにとってすべてが魅力あるものであった。

 特に漱石の『明暗』の自筆原稿(複製ではあるが)を見たときは全身に鳥肌が立った。「漱石山房」と上部に印刷された特注の原稿も初見で、そこに書き込まれた推敲のあとを見ると、漱石がどのように作品を完成させていったのかが推し量れるような気がして感慨深いものがあった。

 ほかの部員はユリカほどの熱意を持って見ることはなく、通り一遍の見学で済ませる勢いである。須永も何度かここを訪れているので、彼にしてみても特に目新しいものがあるわけではない。他の部員に時折解説を加えながら彼らと歩みを同じくしていた。

 ユリカがようやく一通りの見学を終えた時、他のみんなはこの建物の2階の1番奥にある「談話室」やその部屋の外にあるテラスでくつろいでいた。横井と美山はバラ園に行ったらしい。談話室にようやくたどり着いたユリカは喉の渇きを覚えたので、奥の一角にある飲料の自販機でアイスココアを購入し、ソファに腰を下ろした。

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