第22話

「大石さん、大分熱心に見てたね。」

 山賀はシャツを腰に巻いたTシャツ姿になっていた。

「ええ、こんなに素敵な場所があるなんて感動です。本当に来てよかったです。」

「そんな風に思ってくれるのは大石さんだけかもね。コイツらはみんな飽きてるし、女子2人は外行っちゃったしね。」

 須永はソファに半ば体を投げ出して座っている。

「須永さん、俺らも外に行きましょうよ。もうここはいいかなって感じ。」

 大沢がテラスから池田と共に部屋に戻ってくるなり言った。

「そうだね。せっかくだからバラを見に行こう。大石さんも行くかい?」

 皆はそろそろ文学館を切り上げようとしているが、ユリカはもう少しここにいたかった。そこで

「少し疲れたんで、もう少しここで休みます。ココアも残ってますし。あとから行きます。先にみなさん行っててください。」

と答えた。

 じゃ後でねーと大沢が言い残したのに続いて男子部員は全員庭へ向かってしまった。


 彼らが引き上げた後の談話室はがらんとして、すこし物足りない感じがあった。他の見学者もいない。ひとり取り残されたユリカはつれづれを紛らすために立ち上がって部屋を歩き回り、テーブルに見本として置かれている展覧会の目録やパンフレットを手にとっては眺めた。

 それにも飽きて後ろを振り向いてみると、入ってきたときは気づかなかったのだが、部屋の隅に高さ1メートルほどのちいさな本棚があって、その中には新潮社の日本文学全集が収められていた。

 ――あ、おうちにあるのと同じ全集だ。

 ユリカは出先で偶然思いもよらない友人に出くわした気分になって、本棚に近寄り、全集たちの赤い背表紙を順番にそっとなでた。そうして次には無意識に本へと手が伸びて、「野間宏」の巻をつかんでいた。

 ユリカは本を手に持ったまま再びソファに座り、『顔の中の赤い月』を読み始めた。

 この不思議なタイトルの短編はユリカに文学の可能性や体験の重要性を教えてくれた一方で、思春期に差し掛かりつつあったユリカに少なからぬ影響を与えた作品でもあった。

 戦争という強烈な体験を経て(それはそのまま作者の体験でもある)傷ついた男女がお互いに目に見えない壁に隔てられ、ついに最後までその苦しみに触れ合うことはできない。明るい展開を予想して読み始め、最終的に2人が結ばれるものだと思い込んでいたユリカにとって、この結末は衝撃的だった。

 戦争体験のない、若く健康で幸福なユリカはしかし作中の人物をなんとか理解しようと1文1文を確かめるようにゆっくりとページをった。


 ――ちゃん、ユリカちゃん!

 ふいに作品世界が断絶され、顔を上げるとそこには横井が立っていた。

「ユリカちゃん、ずうっとここにいたの?もうみんな移動するって。ユリカちゃん、本当に本が好きなんだね・・・だって5回位呼んで、やっと気付いたんだよ。」

 言われてユリカは腕時計を見ると、本を読み始めたあたりから半時間ほどが経過していた。

「ああっ、すいません。思わず読みふけってしまって・・・。わたし、本に没頭するとこうなっちゃうことがあるんです。それでよく電車を乗り過ごしたりして。すぐ行きます。」

 野間宏を本棚に収め、氷が溶けてすっかり薄くなったココアを飲み干してからユリカは横井と連れ立って皆のもとに向かった。

「ユリカちゃん連れてきたよ。なんかずううっと談話室で本読んでたんだって。」

 横井の報告にユリカは恐れ入って皆に頭を下げた。

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