第69話

 ダン!ダッダッダー!

 それは今まで彼らが出した中で、最も大きい音だった。

 初秋のすきとおる青空の下、電気の力で歪み、巨大なPAアンプで増幅されたギターの轟音が東京のど真ん中で響き渡った。突然湧き起こった地響きのような音に、音楽堂の裏手にいた鳩たちは一斉にばさばさと飛び立った。

 ズンタン、ズンタンというキイチのリズムに載せてマヤとソメノとユリカは正確に一六分音符を刻みながら、日比谷野外音楽堂の広いステージで歌舞伎の連獅子のごとく頭を振る。

 観客のほとんどはヘビーメタルを初めて見たり聴いたりする人たちばかりであったが、目の当たりにした異端の音楽の迫力に戦慄すら覚えていた。そしてそれを演奏しているのがハイティーンの女子高生であるということもあって、ただただ、呆気にとられてステージで繰り広げられている爆音の饗宴を注視するばかりだ。


“エンドオブパッションプレイ!クランブリングアウェイ!”


 長いイントロのあとに、宴の司祭たるマヤがそのエレガントな姿からは想像もできない力強く、芯のある歌声を披露すると観客はまた別の驚きに襲われた。野外音楽堂という大きな会場ではあっても、マヤのヴォーカルはバンドがマシンガンのように放つザクザクという重金属音に埋もれることはなく、むしろそれを鎧と剣として一層パワフルさを増し、聴く者の耳を無差別に震撼させた。しかしその声色は決して攻撃的に響くことはなく、まるで中世の騎士が白馬に乗り、自らの命を顧みず敵に向かってゆくような豪放な勇壮さを連想させた。

 そしていまや完全にデスピノの一部となったユリカは、バンドのサウンドの要としてその役割を十二分に発揮していた。あれほど悩んだダウンピッキングを信じられない速度で刻み、マヤと寸分たがわぬリズムで曲を先導してゆく。2千人を前にしても、最早ユリカはひるむことなくギターを弾くことができた。他の3人のメンバーとの一体感と、それまでの練習の積み重ねによる自信がそれを可能としていた。

 轟音の中、ユリカは観客席を見る。観客席中央、やや前方に陣取ったデスピノのファンと思しき何十人かがうちわや旗を持って振り回している。そうかと思うと無表情にこちらを見つめる年配の女性もいれば、ドリンクを飲むのに夢中でステージを見ていない若い男性もいた。大谷をはじめとする審査員は微笑を浮かべて体を揺らしている。パパとママも見える。パパは真剣な顔をしてビデオを撮りながらステージを見ている。ママは両手を祈りの形で組み合わせ、自分の娘の勇姿を母親特有の不安と慈愛に満ちた眼で見守っている。今すぐにでも二人のもとに行って抱きつきたい衝動に一瞬ユリカは駆られた。

 ――パパ、ママ、わたしはユリカで良かった。二人の娘でよかった。こんなに素晴らしい瞬間を味わっているんだもの。わたしは持てる限りの力をすべて出し切ります。見ててね。

 そうしてふと横を見るとマヤが全身全霊を込めて歌っている。その向こうにいるソメノと一瞬目が合う。2人とも微笑んだ。何も言わなくても、お互いの気持ちは通じている。そしてそのままキイチの方を見ると、やはり目が合い、激しいドラミングをこなしつつ、彼も嬉しそうな表情を浮かべる。

 今まで経験したことのない喜びに浸されたままユリカはリフを刻み、飛び跳ね、時に猛烈に頭を振った。そして曲は中盤のハーモニーパートへと差し掛かった。

 “マスター!”

 とマヤが叫ぶと同時に曲がブレイクし、一瞬の静寂のあと、マヤのつま弾くアルペジオだけが野音に響く。遅れてユリカ、ソメノ、キイチが丁寧に音を重ね、流麗なツインリードのゆったりとしたパートへ曲は移った。この曲を初めて聞くであろうほとんどの観客は、前半の荒々しい、濁流のような勢いがこのような美しい流れに豹変したことに驚嘆した。ノイジーなディストーションサウンドから一変、野音はユリカとマヤの完璧な和音のデュエットに包まれ、二本のエレキギターが生み出す虹を思わせるメロディーは観客全員の中へと滑らかに染み込んでいった。客席ではデスピノのファンの子たちがみんなでその旋律を歌っている。マヤが短いソロを弾いたあと、ユリカはそっとマヤに寄り添い、2人はもう一度きらめく響きを叙情的に奏でた。やがてその響きはキイチのフロアタムの地鳴りのような音と共に徐々に重々しい雰囲気をまとい始め、ついには劇的にその表情を変え、ズンズンズンズンという最重量級のメタルサウンドへと変貌した。

 ユリカはここで舞台袖を一瞬見た。ここでいよいよ満を持してコウタローのドラゴンが登場するのだ。

 果たして、この全てのものを押しつぶすがごとき音塊の中、不気味な赤い目を光らせて、舞台右袖から悪魔の申し子のようなモンスターがその全貌を現した。

 観客はこの予期せぬ演出に度肝を抜かれた。まさかこのようなシロモノが登場するとは誰も予想だにはしていなかった。しかも曲の雰囲気そのものを体現したような怪物の姿と動きは圧倒的な迫力を持ち、審査員たちは思わず拍手をして大喜びである。

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