第24話
由比ガ浜に着いた時には、オレンジ色の太陽が空を焦げ付かせていまにも海に沈もうとしていた。浜にはまだちらほらと人影が見える。砂浜に降り立ったとたん、ユリカは靴の中に砂が入ってくるのに難儀した。
「わたし、靴脱ぎます。」
思い切ってユリカは裸足になり、両足にパンプスを持って歩いた。足の裏に直に感じる砂は5月の陽気に温められて心地よかった。
「気持ちいーですねー」
とユリカは時折砂を蹴飛ばしつつ歩いた。波打ち際に向かいながら須永が聞いてきた。
「そういえば美山さんと何話してたの?なんか2人とも共通点なさそうだけど。」
「はい、ブログを見ないと殺すっていわれました。」
「なんだそれ。おもしろいね。文芸部員はみんな個性的だよね。」
こんな他愛の無い会話を交わしながら、ユリカは今まで味わったことのない、ふわふわした感覚が全身を満たしているのを感じていた。全てのものがあたたかく、気分がこの上なく晴れやかだった。
――須永先輩と2人で海にいるなんてウソみたい。なんだかこれってデートっぽい。知らない人がわたしたちを見たら、つきあっているように見えるのかな。
そう考えただけでも幸せな気持ちがユリカを包み込む。
いつの間にか、お互いの顔が見えるか見えないかぐらいの暗さになっていた。須永はユリカから少し離れたところで、海に向かって石や貝殻を投げ始めた。ユリカはパンプスを一旦置いて、足を潮に浸した。水はまだ冷たい。波はやや高く、油断していると勢い余った波に襲われそうだ。
ユリカはふと思いついて、砂を右手に取り、部誌の表紙を飾っていた横井のイラストの女性と同じポーズをとった。
「須永さーん!これなんだかわかりますかあ?」
ユリカは貝殻を拾っている須永に向かって叫んだ。須永は手を止めてこちらへやってくる。薄暗かったが、表情が緩んでいるようだ。ユリカも同じように微笑みかけた時、突然、須永はこちらへ向かって猛然と走り出した。高速度撮影されたスローモーション映像を見ているような気がした。
――わたしは、この人が、すきだ。
ユリカがそう確信した瞬間、須永の手が彼女の右手首をつかんだ。彼を軸にしてぐーっと半円状にユリカは回転し、そこで手が放された。遠心力でユリカは放り出されたが、かろうじて踏みとどまってぶざまに倒れることだけは避けられた。一体何が起こったのか理解できないまま須永を見ると、彼のすぐ後ろでざぶん!と大波が砕けていた。
須永もすぐにこちらに跳躍したので、なんとかずぶ濡れにならずにすんだものの、バランスを崩してユリカの横につんのめって顔面から倒れ込んだ。
「須永さん!大丈夫ですか!」
おろおろするユリカだったが、須永はすぐに立ち上がって顔や体に付いた砂を払い始めた。
「いやあ、大石さん、あぶなかったね。もう少しでびしょびしょになるところだったね。」
ぺっぺとツバを吐き出しながら、須永はいつものにこやかな表情を崩さなかった。
「あ、ありがとうございます。でも、須永さん、砂まみれです・・・。」
ユリカは一緒になって砂を払った。大丈夫だよ、と須永は言いながら、ふとユリカの後ろに視線を止めた。
「ほら、後ろ見てごらんよ。見事だね。」
ユリカが振り返ると、すっかり暗くなってほとんど空と見分けがつかなくなった相模湾の水平線近く、こうこうと白く輝く満月が海面に縦長の光の道筋をゆらゆらと投げかけて浮かんでいた。
「わあ・・・」
ユリカと須永は月に見とれた。ふと、ユリカは
――月が綺麗ですね。
という言葉が思い浮かんだ。須永ならこの意味が解るかもしれない。
しかしながら、今のユリカにその言葉を口に出す勇気はない。ユリカは何とか須永に思いを伝えるすべはないかと考えていた。けれども一方でそれをした途端、全ての世界が壊れてしまいそうで恐ろしかった。今はこの瞬間、この場所に2人でいるということだけで満足するしかないのか。
ユリカの中で様々な気持ちが入り乱れた。そうしてまた満月を眺めた。やるせない気持ちの遣り所に
「須永さん、なんだか月に向かって吠えたくなりました。」
「え?朔太郎かい?」
「いえ、オジー・オズボーンです。」
「?」
きょとんとした須永に構わず、両手でメガホンを作ってユリカは吠えた。
――あおーん!
ユリカの声が海にこだまする。不思議と気持ちが澄んでいく。横にいる須永を見ると、いつもどおりの笑顔でユリカを見守っている。ユリカは再び叫んだ。
――あおーん・・・
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