第8話

 その日はユリカにとって初めての音楽スタジオであり、バンド経験でもあった。少し早めに新宿ペンタにたどり着いたユリカは、やはり早く来て1人で待っていたキイチと初対面した。ロビーの片隅に座り、キイチは両手でスティックを持って交互に振っていた。

 ユリカはキイチの顔を知っていたので、自分から声をかけた。以前の自分なら考えられず、緊張したが、キイチは如才無じょさいない態度でユリカに接してくれた。

「ああ、君がユリカちゃん?よろしくね。なんか、すごかったんだってねえ。楽器屋でイラプション弾いて暴れたんだって?いいねえ!ゼンゼンそんなふうには見えないね。あ、やっぱメタリカが好きなの?1番?実はオレ、メタリカもいいんだけど、デスコアやりたくて。」

「デスコアって、スーサイドサイレンスとか、ホワイトチャペルとかですか?」

 ユリカは普通の女子高生であったならば、まず口にしないであろう単語をこともなげに挙げた。

「おお、よく知ってんなあ。そう、もちろんそのあたりもそうだし、カーカスとか、カンニバルコープスなんかもいいよね。デスメタルじゃないけどスリップノットも大好き。でもやっぱ、最近はブリング・ミー・ザ・ホライズンが一番お気に入りなんだ。でも、さすがにあの2人はやってくれないね。コウタロー先輩のキッスはやったのにさ。」

 キイチは微笑みながら両手に持ったスティックを素早く振った。

「でも、それで軽音楽部は活動停止を余儀なくされたんですよね。」

「なんか難しい言葉知ってるねえ。まあ、あれはあれでオレは面白かったんだけど、バンドがやれなくなるとはマヤ姉も思わなかっただろうね。」

 なるほど察するに、キイチは彼女たちの弟分なのだろう。そのひょうひょうとした様子からは、あのようなパワフルなドラミングは想像できなかった。

 しばらくはマニアックなデスメタルの話をしているうちに、マヤとソメノも到着した。

 初めて見る私服の彼女たちは、誰もが振り返るほどのオーラをまとっていた。シンプルなブルーのシャツとブラックスキニージーンズのマヤは、より長身のスタイルの良さが強調されていた。ソメノは黒のワンピースにデニムジャケットをはおり、ブーツを合わせていた。2人ともファッショナブルで、センスの良さが自然とにじみ出ていた。まるでモデルのようだ。

 ユリカはヨーカドーで買ったトレーナーと、しまむらのジーンズを履いている自分が彼女たちと全く釣り合いが取れないと思った。

 ――マヤさんたちって本当にかっこいい。わたしもああいうふうになれるかしら?練習が終わったら、新宿に来たことだし、川野さんが話していたフォーエバーって店にでも行ってみようかな。髪も伸ばしてみよう。

 そんなふうにとりとめもないことを考えていると、ユリカはマヤに呼ばれた。

「ユリカ、部屋空いたよ。行こう。」

 は、はい、と慌てて3人について行く。初めて入ったスタジオは10畳ほどの広さで、マーシャルアンプ2台と、ジャズコーラス1台、トレースエリオットのベースアンプが配置されていた。若干すえた匂いを感じたが、じき慣れた。

「ユリカはそっちのマーシャルでいい?」

 そうマヤに言われてハイと返事をしてからユリカはセッティングを始めたが、マヤのエフェクターセットから目が離せなくなった。

 エフェクターボードには様々なエフェクター類が整然と格納されており、マヤがかなり音作りに対して気を遣っていることがうかがえた。マヤの愛機はESP製の白のエクスプローラーで、実際間近で見るとかなり高額なギターだと思われた。その組み合わせから発せられる音は図太く、深みがあり、それでいてドライでとてつもなく強力であった。

 それに比べると、パパのお下がりの安物のギターと、ディストーション/ディレイ/ワウというユリカの貧弱なエフェクターセットは、それにふさわしい、薄く弱々しいペラペラのサウンドで、とてもマヤには対抗できそうもなかった。それでもユリカはなんとか頑張ってマーシャルを調整し、中音を下げ、低音と高音を強調した、いわゆるドンシャリサウンドを作り上げた。

 それにしてもこんなにも生のバンドの音は大きいのかとユリカは今更ながらに驚いていた。キイチはツインペダルをセッティングし終わり、どどどどどどどと粒の揃った16分音符のバスドラを踏んでいる。

 ソメノも例のリッケンバッカーをぐわんぐわんとと鳴らして色々なフレーズを試している。その中にはクリフのソロのメロディーなどが含まれており、ユリカは感動を覚えていた。しかし他のメンバーの力量に感心している場合ではない。ユリカも家でさんざん練習してきたバッテリーのソロをワウペダルを踏んでもう1度弾いてみた。音はイマイチだったが、調子はよさそうだ。ユリカのギターを初めて聴いたキイチは、

「わーお!うまいじゃん!コウタロー先輩よりも上手だよ!」

 と褒めてくれた。

「そうよー、ユリカのソロはすごいんだから。なんってったって、弾いてるうちに周りが見えなくなって跳ね回るんだからね。」

 マヤがキイチに向かって言った。

 そんなにわたしは夢中になっていたのかしら、とユリカは赤面した。そうして一通りそれぞれの準備が済んだところでマヤは

「じゃあ、みんな準備オッケー?まあ、ユリカは初めてだからリラックスしてね。最初どっちやる?『バッテリー』でいい?じゃそれで。」

 とバンドに号令をかけ、一瞬の静寂のあと自らバッテリーのリフを弾きだした。ズッズクズッズクという何千回とユリカが聴いてきたリフを、マヤは相変わらずの正確さと速さでかき鳴らす。マヤが単独でリフを引いた直後、ダン、ダダダ、ダン!とバンド全員で参入する。そこから怒涛どとうのスピードで曲が走り出す。

 初めて他人と合奏するユリカは、体内のアドレナリンが一気に放出されるのがわかった。

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