ヘビーメタルと文芸少女
なるかみ音海
メタル・ハート
第1話
メタリカ(METALLICA)
アメリカのヘビーメタルバンド。メンバーはDr・ラーズ・ウルリッヒ/G・Vo・ジェームズ・ヘットフィールド/G・カーク・ハメット/B・ロバート・トゥルージロ。ヘビーメタルバンドの王者として数え切れないほどのバンドに影響を与え続けている。アルバムのトータル売上枚数は1億を超え、現在も精力的に活動中である。
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
先週、高校の入学祝いに買ってもらったアイフォンを差したスピーカーから流れる「バッテリー」のガットギターの
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
ユリカがこの曲を初めて聴いたのは、パパのロードスターに乗って、相模湖へ2人でドライブに行った小学校2年生の時だった。
まどろみの中で、あの時の記憶が鮮明に蘇る。
日差しは新緑を萌えたたせている木々に
「ユリカ、ちょっとこのケースからCD出して。」
おもむろにパパがダッシュボードから取り出したそのアルバムのジャケットには、草原に無数の十字架が並んでいる情景が描かれていた。オレンジ色がかった空には巨大な手が現れ、その指先からは墓標の数だけの糸が垂れ下がっており、正面には「METALLICA」とあの有名なロゴが掲げられていた。もっとも、彼女にはそれが何を表しているかはさっぱり見当がつかなかったが。
それまで聴いていたレッドホットチリペッパーズをイジェクトし、言われたままユリカはCDをセットした。
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
ロロン・・・ロン・・ロン・・ロンロン・・・
今聴こえているメロディーと全く一緒だ・・・彼女は枕に顔を埋めながら思い出す。パパとドライブする時は、パパの好きな曲がかかるから、ちいさなユリカはいつもと同じように何も考えず、手にしたジャケットを眺めながらそのメロディーに聴き入っていた。E/Fコードに乗って頬をなでるような、心地よいメインの旋律が入ってくると、初夏の清々しい陽に光る相模湖を左手に見下ろす風景と相まってユリカは最高の気分だった。いつまでもこのまま静かに時が流れていくと思われたその瞬間・・・。
ドーン!ドドドーン!
突然大音量の荘厳なディストーションギターサウンドと、シンバルとタムの重い響きが彼女の度肝を抜いた。
「わ!びっくりしたー」
思いもよらぬ超重量級の轟音ギターの響きにユリカは目をぱちくりとさせた。パパはその反応を見て大笑いしている。そのまま曲はヴォーカル/ギターのジェームスヘットフィールドが奏でるズッズクズッズクという鋭角的なリフに突入し、BPM190というハイスピードでドカドカと疾走し始める。ユリカは良くはわからないが、とにかく純粋にカッコイイ!と思えたので素直に
「パパ、この曲かっこいいね!」
と大音量の中、声を張り上げてパパに話しかけた。パパは
「おおっ、ユリカにもわかるかい?この曲はね、メタリカっていうバンドがやってるんだ。」
といかにも満足そうで、ジェームスと一緒に歌い始め、「バッテリ――ィヤ!」と叫んだ。
「へえ、メタリカか・・・」
半睡の状態で、あの時のことは一生忘れないだろうなと思った直後、7年前に聴いたのと全く同じドーン!ドドドーン!という重低音のギターによって眠りから覚めたユリカは上半身を起こし、枕元に置いてある黒縁のメガネをかけてすぐに停止ボタンを押した。
午前5時40分。多摩ニュータウンの南向き6号棟5階の部屋の外はまだ薄暗い。キッチンで朝食とお弁当を作っているママにおはようと言って顔を洗い、部屋へ戻って真新しい制服に着替える。朝食後、学校へ行く準備を一通り済ませるとベッドに腰を下ろし、ヘッドフォンアンプにスイッチを入れ、パパのお下がりのメーカー不明のエレキギターでいつものとおりスケール練習を始めた。部屋の壁には大きなメタリカのポスターが貼られている。
彼女がギターを本格的に始めたのはあのドライブ以来だ。メタリカを弾きたいと言い出したユリカに、パパは大喜びでアンプ内蔵のミニギターを買い与えた。ギターが趣味だったパパに手ほどきされながら初めて弾いた曲はメタリカの「サニタリウム」であった。イントロのハーモニクスが思いのほかすぐに弾けたとき、ユリカは有頂天になって何度もそこだけを弾き続けた。ユリカはひたすら練習を続け、才能もあったのか中学生になった頃には、かなりの腕前の持ち主になっていた。リード・ギターのカーク・ハメットは彼女のギター・ヒーローとなり、多くのメタリカの曲のギターソロは彼女の得意とするところであった。
ただ、この才能を発揮する機会は今まで全くなかった。小学校から中学に至るまで同年代の子たちにヘビーメタルはもちろん、洋楽を聞くような友達は皆無だった。趣味の合う友達を見つけることができず、家にこもりがちであった彼女はいきおい内向的な性格になっていった。
彼女が内向的な性格になったのはもう一つ理由がある。ユリカの趣味の方向を決定づけたパパは大学の国文科の准教授をしている。そのため、パパの部屋は絵に書いたような
日常的に手を伸ばせば本がある環境で育った彼女は、過度の読書好きとなり、中学3年生の時点で新潮社の日本文学全集をすべて読み終えていた。
小さい頃から様々な本に親しんできたので、言葉は彼女の中で熟成され、自然に詩となって溢れ出てくるようになった。字が書けるようになると幼少からすでにその才能の
うまれて
うまれてよかった このくににうまれて
うまれなければ 見られなかった
ものがたくさんあるのだから
彼女が小学校1年生の時に書いた詩だ。今読み返すと、恥ずかしさや懐かしさと同時に、もうこのような詩を作ることはできない、という軽い喪失感を彼女は覚える。
こんな調子のユリカはしかし現実世界にはとんと疎く、クラスの女子たちの、誰と誰とが付き合って別れただのといったローティーン特有の他愛のない話には入っていくことはできなかった。そういうことに興味を持てなかったことが、ますます彼女の内向性に拍車をかけたのだった。
度を越した読書の弊害で近眼となり、メガネにおかっぱ頭というさえない風貌のおとなしい少女の日常の過ごし方は家でギターを弾くか、本を読むかのどちらかであった。
「ちょっとユリカ!いつまで弾いてんの!早く学校行きなさい!」
鬼の形相でママが怒鳴りつける。自分の手から生み出されるフレーズに酔いしれてうっとりとなっていたユリカは、突然ヘッドフォンをガバと外され我に帰る。時計はすでに7時をまわっている。かれこれ1時間近くはギターを弾いていたらしい。
「うそ!遅刻しちゃう!」
「きちんと時間を決めてやらなきゃダメでしょ。小さい時からそうなんだから!」
ユリカは大急ぎで、廊下に無造作に積まれている文庫本の中から1冊抜き出してタイトルも見ずにリュックに入れ、そのまま家を出た。多摩センター駅までは下り坂を自転車で10分である。駐輪場に大急ぎで自転車を止め、通勤通学の人々の波に乗って急ぎ足で駅に向かう。かろうじて京王線各駅停車本八幡行きに乗り込むと、運の良いことに座ることができた。
ユリカはリュックから文庫本を取り出す。ここから学校のある初台駅までは読書の時間だ。取り出した本を確認してみると、泉鏡花の『高野聖』であった。本を開くなり、彼女はすぐに作品世界に入り込んでしまった。
主人公の宋朝が女に背中を流してもらい、こうもりが飛んでくるあたりで電車は笹塚に到着したのでそこで本を閉じることにした。まだ電車通学は3日目だが、昨日は本に夢中であやうくそのまま新宿へ行ってしまうところだったのだ。
初台駅から歩いて10分のところに彼女が通う渋谷霊徳学園はある。幼稚舎・小学部・中等部も抱えているマンモス校であり、都内でも有数の進学校である。入試倍率が5倍という高等部の難関をかいくぐり、晴れてユリカは今春から通うことになった。彼女がこの学校を第1志望に選んだのは確たる理由があった。
去年の10月、ユリカは学校見学を兼ねてひとりで霊徳学園の学園祭に訪れた。中学とは違い、何もかもがきらびやかな雰囲気の中、模擬店から聞こえる呼び込みの声や、ゲームのキャラクターに仮装し、校内をうろつく生徒たちは、いかにも充実した高校生活を体現しているようだった。時間が経つのも忘れ、ユリカがあちこち見学しているうちに陽はだんだんと傾き始めた。
美術部の展示を見終えて1階の渡り廊下を歩いていると、斜陽が校舎と校舎の間から差し込み、なにやら言いようのないノスタルジックな気分に彼女は包まれた。ふいに襲われた
――えぇ!「エクスタシー・オブ・ゴールド」だ!どうして?なんでここで?
確かにそれは、メタリカのライヴのオープニングに必ず流されるその曲であった。オ~ア~アーア~という歌声があたかもユリカを手招きしているようだった。どうやらそれは講堂の方から流れてくるらしく、吸い寄せられるようにしてユリカはそこへたどりついた。
入口で軽音楽部のライヴ会場であることを知り、プログラムをもらい中へ入った。丁度今の時間だと、最終プログラムの「デスピノ」というバンドの演奏時間にあたっている。
暗幕が引かれ、夕暮れ時ともあって暗くなった講堂の中にはざっと見回しても2、3百人の人間がいると思われた。女子生徒の割合が高く、オールスタンディングのステージ前方ではほとんど全員がサイリウムを振りかざしている。変幻自在に形を変えるその光の軌跡はさながら現代美術のインスタレーションのようだ。皆一様に興奮して舞台に向かって何か叫んでいる。
薄暗い舞台にはドラムセットがしつらえられ、右袖にはマーシャルとメサブギーのギターアンプ、左袖にはランドールのベースアンプが置かれていた。「エクスタシー・オブ・ゴールド」が流れる中、もはや絶叫に近い観客の声は手拍手とともに一つの単語を形成し始めていた。
「・・・ピノ!デスピノ!デスピノ!」
――何やらえらいところへ来てしまった。
ユリカは映像では無数のライヴを見てきたが、生来の引っ込みじあんで実際のバンドの生演奏を見たことがまだ無かったのだ。
それにしても、よほどこのバンドは人気があるらしい。しかも、このSEを流すということは、メタリカを演奏するということにほかならない。あれだけ疑似体験を重ねていても、(軽音楽部の発表とはいえ)本物のライヴ直前の雰囲気におのずと期待と鼓動が高まっていくのをユリカは感じていた。
そのうちに舞台右袖から制服姿の男女4人組が現れた。そのとたんに歓声は一段と高まり、
「きゃあああマヤさーん!」
「マヤさーん!」
「ソメノさーん」
と次々にコールが起こる。マヤさーん、ソメノさーんの合間に
「コウタロー!」
という野太い声があがり、どっと笑い声がおこった。薄明かりの中、長身で、腰まであるロングヘアの女生徒が、ジェームス・ヘットフィールドの愛用ギター、エクスプローラーを肩から下げてシールドをメサブギーに突っ込んでいるのが見えた。その姿にドキドキしながら、ママから借りてきた携帯電話の明かりで手元のメンバー表を確認すると、
VO/G マヤ (高等部2年生)
G コウタロー (高等部3年生)
B ソメノ (高等部2年生)
Dr キイチ (高等部1年生)
と書いてあった。ベースのソメノもマヤと同様長身・長髪で、なんと初期メタリカのベーシスト、故・クリフ・バートンと同じ赤いリッケンバッカーベースを抱えていた。もう1人のギタリスト、コウタローは背の低い、ややずんぐりむっくりとした短髪の男子生徒でレスポールを持っている。ドラムセットに収まったキイチはドラマーにしてはだいぶ
メンバー全員が位置についたところでSEのアーオーというファルセットボイスと手拍子や声援は最高潮に達し、観客のふくれ上がった期待が大きなうねりとなって講堂を包み込んでいる。ざん!という残響音を残して曲が終了するやいなや、舞台の照明が一斉に点灯され、間髪入れずに、
――クリーピング・デス!
という
ヘッドバンギングしながらロングヘアを激しく揺らしてステージ中央に仁王立ちしているマヤがメインリフを正確なダウンピッキングで弾きこなし、バンド全体のサウンドを引っ張り始めた。そしてそのままスレイヴ!と歌い始めたマヤは、切れ長の目と高い鼻で構成された端正な顔立ちからは想像できない荒々しく伸びやかな声色でクリーピング・デスのヴォーカルラインをなぞっている。
ソメノはリッケンバッカーに白魚のような指を叩きつけ、ゴリゴリと極太の低音をはじきだしている。いつか折れてしまうのではないかと観ているユリカがハラハラするほど激しいパフォーマンスだ。
バンドの屋台骨を支えるキイチはその
ただ、コウタロー・・・こちらはユリカから見ても、バンドの中では浮いた存在であった。リードギタリストとしてそれなりにソロを弾き始めたのだが、随所に手抜きとも思われるフレーズが顔を出すのである。下手ではないけれども、このソロを中1の時に完コピしたユリカとしては、どうにも納得のいかないプレイであった。なんというか、曲に対する愛が足りないのでは、と感じられた。棒立ちで弾いているだけで、アクションもほとんどない。
とはいえ、バンドとしての演奏力はかなりのレベルであり、高校生とは思えないほどのテクニックとグルーヴをデスピノは持っていたのである。加えてマヤのカリスマ性がこのバンドの核となっており、そこから発散されるエネルギーは見るものの琴線に大いに触れた。コウタローのソロが終わって、曲は中盤のベースとドラムだけのパートに突入する。本物のメタリカのライヴ時と同様に、会場の全員が
――ダーイ!ダーイ!
と叫んでいる。最初は後方でおっかなびっくり見ていたユリカは、もみくちゃにされながらいつの間にかステージ前方にまでたどり着いていた。自分でも知らないうちにここに来ていたのであった。そうして観客みんなと一緒に
――ダーイ!ダーイ!
と両腕を振り上げて叫んでいた。ユリカは自分がこんな振る舞いをしていることが信じられなかったが、彼女の魂は実に正直であった。
「みんな!まだまだ!もっと!」
マヤが両腕をぐるぐる回してあおると、ダーイ!の連呼は勢いを増し、大波となってステージに押し寄せる。その大波をマヤはいとも簡単に受け止め
――ダーイ!バイマンハンド!
と豊かな声量でエクスプローラーから刻まれる重厚なリフと共に押し返す。そうしてそのままマヤのペースで曲は終わりを迎えた。
若い観衆はみな顔を火照らせたまま訳のわからない声をあげ、サイリウムを狂ったように振り回し、ステージに向かって手を伸ばす。
「どうもありがとう!デスピノです!」
――イェー!
マヤはとても嬉しげに会場を見渡した。
「残念だけど、次の曲でもう終わり。みんな大好き!」
そう言うと同時にバンドはダン!ダッダッダッーと「マスター・オブ・パペッツ」を演奏し始めた。
マヤは相変わらず激しいヘドバンをしながらリフを弾き続けている。
――すごい…スゴイ、すごい、すごい…
そんな単調な言葉でしか気持ちを表せないほどユリカは感動していた。観客全員と一緒になってサビの「マスター!マスター!」を叫んだ。この曲の一つのハイライトであるツインリードのハーモニーに引き続いて、マヤがギターソロを奏で始めるとユリカの目には自然と涙があふれ出し、そうして曲が終わる頃には号泣していた。
全力を尽くした演奏によってマヤは汗だくになり、髪は振り乱されていた。しかしその様子がかえって彼女の美しさを際立たせていた。
「ありがとー!楽しかったよ、バイバイ!」
エクスプローラーを乱暴にかき鳴らしつつマヤがそう言ったあと、
ユリカはしばらくその場で余韻を味わいたかったのだが、泣き顔を人に見られたくなくてそそくさと講堂を後にした。外はもうとっぷり日が暮れて、秋の夜の澄み切った空気が彼女の昂ぶった気持ちを鎮めてくれた。
――奇跡にめぐりあった。絶対この高校に受かって、軽音楽部に入る。
そう固く決意した彼女は、その日から猛勉強を始めた。夏に受けた模試の偏差値で、ユリカの渋谷霊徳学園の判定はCであった。確率にして40%。しかしこの強烈な体験が彼女のモチベーションを一気に高めた。
成績の足を引っ張っている、大の苦手の数学に1日3時間以上取り組んだ。パパに頼んで、教え子の学生に数学の家庭教師をしてもらった。読書とギターはしばらく封印することにした。ユリカの豹変ぶりを両親は不思議に思ったが、あえて理由を聞くこともしなかった。むしろこんなに勉強して大丈夫かと心配するほどの様子だった。
こうして昼夜休日正月を問わず勉強した結果、3月15日に合格通知を受け取ったユリカは
――マヤさんに会える。ソメノさんと話がしたい・・・。
彼女は今日の部活動見学日を一日千秋の思いで待ち望んでいたのだった。
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