第6話

「どこに行く?マヤ。」

 ソメノがブラウスのリボンを直しながら言った。

「そうだなあ・・・ESPがいいんだけど、3人じゃ狭いかなあ。サカベ楽器のブースが広くていいか。ユリカはどっか行きたい店ある?」

 マヤにもユリカと呼ばれ、ひそかに嬉しかったが今はそれどころではない。手汗でピックが滑るんじゃないかという心配が先に立って落ち着かない。

「ど、どこでもいいです。マヤさん決めてください。」

 そうお、じゃサカベでいっか、とマヤは先陣を切って横断歩道を渡り始めた。


 御茶ノ水ではどこの楽器屋も店先にずらりとギターを並べ、色とりどりのポップで購買意欲を盛んに煽っている。店内から流れる音楽がこの界隈を更に活気あるものにしていた。サカベ楽器に到着すると、ユリカはこの圧倒的品揃えの店内を試験会場のような気分で眺めた。楽器屋で沢山のギターを眺めるのは楽しく飽きなかったが、今回は目的が違う。

「ユリカ、どれ弾きたい?どうせなら高いの弾いてみれば、買うわけじゃないし。」

 そうマヤに聞かれてユリカは大量に展示されたギターを物色していたが、やがて1本のギターに目が釘付けになった。

 ハットをかぶった往年の怪奇俳優ベラ・ルゴシがペイントされ、「WHITE ZOMBIE」と白い字で刻印されたそのギターは、カーク・ハメットが彼らのライヴ映画「スルー・ザ・ネヴァー」で弾いていたモデルそのものだった。マヤはユリカの視線の先にあるギターを認め、合点がいったようだった。

 「ははあ、カークモデルだね!これ確かESPが出してるんだっけ。12万円かあ。結構いい値段するね。じゃ、これ弾かせてもらおうよ。すいませーん!」

 ユリカの返事を待たずに、マヤは近くの店員に声をかけた。

「あのギターの試奏したいんですけど。」

 そう言われた茶髪の店員は、女子高生がこれを?という表情を隠そうともせずにベラ・ルゴシを壁から外し

「こちらへどうぞー」

 と投げやりな態度で3人を試奏ブースへと先導する。

「チューニングしますんで。」

 と店員は手馴れた手つきで音を合わせ始めた。そして、シールドを取り出して

「マーシャルでいいっすよね。」

 と勝手にアンプを決定し、ジャックを差し込みボリュームを上げた。ざん、ざん、とミシミソシミのEマイナーコードを叩いて、すぐに適当なペンタトニックのソロをこれ見よがしに弾いた。店員の態度はともかく、かなり太くて良い音だ。

「はいどうぞー」

 自分のテクを女子高生に見せつけてささいな自尊心を満たした店員は、先ほどよりは愛想よくユリカへギターを手渡した。


 極度の緊張で手が震えている。ギターを受け取ったユリカはひとまずスカートで手の汗を拭った。何を弾こうかと思ったが、とりあえずこのギターの感触を確かめることにした。ネックはなめらかで握りもちょうど良い。とりあえずEを弾くと、ざーんと素晴らしい音圧がアンプから跳ね返る。2、3回チョーキングや、たりらりらりらーとハンマリングオン/プリング・オフをしてみた。ギャオーンとピッキングハーモニクスが思いのままに出るので嬉しくなった。そのままいつものスケール練習のフレーズを弾いてみた。パパのお下がりギターの数倍は弾きやすく、音もマーシャルを通しての爆音で心地よい。

 マヤとソメノはおぉ、という感嘆の表情を見せた。それがちらりと見えたので、ユリカは張り切ってアドリブを弾き始めた。

 思い描いたメロディーがそのままアンプから流れ出す心地よさにユリカは酔いしれる。いくらでも速く弾けそうだ。そして、それを聞きつけた店内の客がブースの周りにいつの間にか集まり始めていた。

  そのうちにそのフレーズはヴァン・ヘイレンの有名なギター・ソロ曲の「イラプション」へと流れ込んでいた。いつもは引っかかるトレモロピッキングもすんなりこなすことができたので、ユリカは自分の奏でる音の洪水に目を閉じ、恍惚となり始めた。目をつぶってもなんら影響がない程、このギターはユリカの才能を引き出した。

 高速でピッキングしたあとにすかさずライトハンドのフレーズに移ったが、頭の中でまるでサイケデリックな光が明滅しているような錯覚を覚え、もはやユリカはここがどこで、自分が誰なのかも解らなくなるほど演奏に没頭し始めた。

 ソロが終盤に差し掛かった頃には、完全にエディ・ヴァン・ヘイレンが憑依ひょういしていた。そしてこの超絶技巧のギターソロを完璧に弾きこなした勢いのままユリカはいつの間にか立ち上がり、腕を大車輪の如く回転させジャーンジャーンと全ての弦をかき鳴らし、エディさながらに何度もぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


 ――やりきった。


 そう思い、ふと目を開くといつの間にやらブースは野次馬でいっぱいである。我に返ったユリカはそこで演奏を止めた。しかしその瞬間、わあっという歓声が上がった。拍手と賞賛の声が一気にユリカに向かってなだれ込んだ。

 茶髪の店員は驚きを通り越してもはや畏怖の目でユリカを見ていた。満面の笑みのソメノは、祝福するように両手を叩いている。

「すごーい!ユリカ!あなた最高。今からあなた、デスピノのリードギターね!」

 そう言いながらマヤが抱きついてきた。マヤの豊かでサラサラの髪からはハンカチと同じような美しい香りがした。ユリカは一瞬きょとんとしていたが、突然全てを理解した。

 そしてまたしても大声で泣いてしまった。

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