二 智至国の使者


「おーい、船だー! 船が入ってくるぞー!」

「小舟をよけろぉ!」


 岩の里の小さな入江は、大型船の急な来港に騒然となった。

 漁に使う小舟は浜辺の両脇によけられ、櫂が幾つもある大きな漕ぎ船が入って来てもいいように、大急ぎで準備を始めている。


 入り江を見下ろす岬の草地で膝を抱えていたアカルは、下からのざわめきに顔を上げた。ぼんやりとした視界に、大きな船が見える。


(どこの船だろう)

 そう思ったのは束の間の事で、すぐに頭の中は、里を出て行ったトーイの事で一杯になる。

 きれいに掃除され、ガランとしたトーイの小屋。


(夜明けまで待つって言ったのに、あいつ……私を置いていった)

 もちろん、一緒に行く気など無かった。

 引きとめるつもりで夜明け前に小屋を訪ねたら、もうトーイはいなくなっていた。


(トーイの馬鹿野郎!)

 胸が痛かった。出て行くならひとりで行けと言ったくせに、居なくなったら体の半分をもぎ取られたように、苦しくて淋しくて仕方がない。


(私は勝手な人間だな……)

 アカルは再び、膝を抱えた腕の中に顔を埋めた。




「アカルちゃん、大丈夫?」


 声をかけて来たのはイマリカだった。アカルより三つ年下のイマリカは、岩の里人らしい大きな目をした女の子だ。

 アカルが泣き腫らした顔を上げると、イマリカは自分も泣きそうな顔をして怒り出した。


「アカルちゃんを悲しませるなんて、トーイは男の風上にも置けない奴だわ!」


「いいんだ」


 アカルは顔を上げて海を見つめた。広い水平線はもう半ば闇に包まれていて、西の空だけがわずかに明るい。気がつかないうちに陽が落ちていたのだ。


「アカルちゃん、あのね、ばば様が呼んでるの」


「わかった」


 ゆっくりと立ち上がりながら、アカルはもう一度海を見た。暗い海の景色は、ひとりぼっちになったアカルの心の中の風景と同じだった。


 まだ泣き足りない気分のまま、アカルは山道を駆け下りた。

 小川に沿って僅かな田畑があり、少し離れた高台には、藁葺き屋根の集落や高倉がある。集落の最奥には、岩の巫女が住む高床の建物がある。


 意気消沈したアカルが、高殿たかどの葦簾よしずをよけて部屋に入ると、待っていた岩の老巫女は、ギョロリとした目をさらに大きく見開いて破顔した。


「アッハッハ! トーイが出て行ったと聞いたが、どうやら本当だったようだね」

 小さな老婆に笑われて、アカルはむすっとしたまま戸口の前に胡坐をかいた。

「それで、置いて行かれた気分はどうじゃ?」


「うるさいな! そんな話をする為に呼んだのなら私は帰るぞ!」

 アカルが怒ると岩の巫女はニヤニヤ笑いを引っ込めた。


「何だい偉そうに。ちゃんとした用はあるさ。だがねぇ、そんな泣き腫らした顔をしてたんじゃあ話せないよ。まずはおまえさんの気持ちを整理しないといけないね。何があったか話してごらん」


 岩の巫女に促されるまま、アカルは昨夜の出来事をかいつまんで話した。


「なるほどね。それでトーイは一人で出て行ってしまったわけかい。やっぱりねぇ、あの子は変な所で真面目なんだよ。わしは口吸キスいのひとつもおみまいしてやれと言ったんだがねぇ」


 岩の巫女のとんでもない発言に、アカルはギョッとした。

「あ、あれは、ばば様の差し金だったのか?」


「おや、おみまいされたかね? わしは巻きにして攫ってでもアカルを連れてけって言ったんだが、それは出来なかったようだねぇ」

 心底がっかりした様に肩をすくめて岩の巫女はため息をつく。


「ばっ……馬鹿な事を言うな!」


「馬鹿な事じゃないさ。わしはお前たちをさっさとくっつけて安心したかったんだよ。お前ならトーイを救えるだろうし、トーイなら命がけでおまえを守ってくれる。そう思ったからさ。なのにあの腰抜け、自分よりもアカルの気持ちを優先しおった。まぁ、それだけあの子自身の闇が深かったってことだね。結局二人とも運命には逆らえなかったわけだ」


「ばば様は、いったい何の話をしているんだ?」

 眉間にしわを寄せて、アカルは岩の巫女を睨んだ。


「わからぬか? ま、こうなっちゃ仕方がないから教えてやるよ」

 老巫女はそう言ってアカルの顔をじっと見つめた。


「アカル、お前はこれから……この岩の里の人間が誰も味わったことのない波乱に満ちた人生を送ることになる。わしの夢見が外れることはほぼないよ。覚悟しておくんだね」


「は? 何だよそれ……もっとわかるように説明してよ」


「まったく、さらわれちまえば良かったものを。ほんとに馬鹿な子だよ」

 老巫女は愁いを帯びた目でアカルを見つめた。



 夜が更け、部屋に一つしかなかった灯りが一つ余分に灯された。

ようやく岩の巫女が顔つきを変えたので、アカルも背筋を伸ばして正座に座り直した。


「少しは落ち着いたかい?」


「……はい」

 アカルはうなずいた。泣き腫らして重たかった顔もだいぶ落ち着いてきた。

 岩の巫女もアカルの気持ちが整ったことを認めるように、重々しくうなずいた。


「トーイと一緒に行かなかった事で、お前は運命の一つを選び取った。わしはお前を巫女にする気などさらさら無かったんじゃが、仕方ないね。今日、智至ちたる国から使者が来たのは知っているかい?」


「船が来たのは知ってる。智至ちたるって、西伯さいはくの向こうの国だろ?」

 北海ほっかいに沿うように横並びに国があって、岩の里の西は西伯、その更に西に智至という国がある。

 知識として周辺諸国の大まかな場所は頭に入っているが、行ったことはない。


「そうだ。この北海ほっかい沿岸はみんな智至ちたる国の版図みたいなもんでね、決めごとは全て智至王の御心のままなのさ。今日の使者も智至から来てはいるが、西伯の王女の病気を治して欲しいって依頼だった」


西伯さいはくの王女が病気なのか? 西伯にも巫女はいるだろ。智至にだって……」

 岩の巫女がゆっくりと首を振ったので、アカルは口をつぐんだ。


「ただの病気なら、わざわざこんな辺鄙へんぴなとこまで来やしないさ。西伯や智至の巫女でも治せないのなら、そりゃあ、きっと呪いだろうさ」


「のろい?」

 アカルは首を傾げた。初めて聞く言葉だ。


「呪いってのはね、相手に悪い気を送って病気にしたり、災厄を招くことをいうのさ」


 あかりの上に皺くちゃな顔を近づけた老巫女が、邪神のような顔をしたので、アカルは思わずのけ反った。


「じゃあ、西伯の王女は、病気じゃなくて呪いなの?」


「まぁ、そんなところだね。八洲やしまの巫女は、我ら古の民の巫女とは違うんだよ。渡海人のやり方なのだろうね。神とは直接話をせず、骨を焼いて国の行く末を決めるそうだ。それにね、呪札を使って力弱き神を捕らえて使役するらしい。予言や寿ぎもするが、呪いもする巫女なんじゃ」


「ふぅーん」


 どうして直接神と話さないのだろう。アカルは不思議に思った。

 岩の里では、神と人とは対等だと教えられた。神を敬う人の気が神を養い、その代わりに神は人に力を貸す。共存共栄こそが神と人との正しいつき合い方だと。


(そうか、人を呪ったりするから、神と話せなくなったんだ)

 そう思った途端、嫌な予感が閃いた。


「ばば様は、まさか、私を西伯さいはくへ行かせるつもりじゃないだろうな?」


 アカルが睨むように見下ろすと、老巫女はニヤッと笑った。


「ほう、察しがいいじゃないか。その通りだよ。お前の選んだ運命は、西伯さいはくの先に続いている。王女の病気を治すのは、岩の里に依頼された仕事だから受けねばならぬが、その後で何を選び取るかはお前の自由だ。どこへ行くかも、おまえ自身で決めるがいい」


「……わかった」

 アカルは唇を噛みしめて、ゆっくりとうなずいた。


 波乱に満ちた人生なら今までもそうだった。それが運命だというのなら、立ち向かうしかない。何より、ここに居たら何日でも泣き続けてしまいそうな自分をどうにかしたかった。


「いい面構えだ。明日の朝はみそぎをして、一番きれいな衣を着ておいで。智至ちたるの使者殿に紹介するからな」


「わかったよ、ばば様」


 アカルは立ち上がった。

 どうやら自分は、トーイと一日遅れでこの里を離れることになるらしい。そう思うと、とても不思議な気がした。

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