十四 恋と憎しみ


 新年のお祝いとして、下働きたちにも米とあずきが配られた。

 ちょうど交代で休みをもらっていたアカルたちは、小屋でゆっくりと朝餉を用意していた。


「新しい年になったのに、何だか不安だね。珠美たまみも戻って来ないしさ」

 あずき粥の鍋をかき回しながら、ももがため息をつく。

「大丈夫だよお姉ちゃん。宇良うらさまが王さまになっても、あたしたちはここで働けるよ。ね、朱瑠!」

「……うん、そうだね」


 ゆずが明るく言ってくれたので、アカルは少しホッとした。

 新年の阿知宮あちみやを騒がせ、みんなを不安にさせているのは、太丹ふとに王を殺した宇良の偽物だ。その男を知っているアカルは、ほんの少しだが罪悪感のようなものがある。


「そうね、あたしたちだけでもお正月らしくしましょ」

 桃がよそってくれたあずき粥は、薄い赤紫色に光って美味しそうだ。


「今日から柚は十三歳、朱瑠は十六歳ね」

「お姉ちゃんは十七歳だよ。ね、どうなの? 青桐さんはお嫁に貰ってくれそう?」

 柚が訊くと、桃はぱぁっと頬を赤らめた。

「いやだぁ、柚ったら何言ってんのよぉ」


「だって、近頃ちょくちょく西門に行くじゃない。青桐あおぎりさんと会ってるんでしょ?」

 柚がさらに突っ込むと、桃はまんざらでもない様子でこくりと頷いた。


「へぇ、そうなの?」

 初耳だったアカルは思わず身を乗り出した。

「桃は、青桐さんのこと好きになれそうなの?」


「うん。優しいし、武官だから頼もしいし、あたしは青桐さんが好きよ。朱瑠は……海渡かいとさんとこのままでいいの?」

 恥ずかしそうに答えていた桃が、いきなり話を振って来た。


「ああ……うん。その気もないのに会ったりして、海渡さんには悪い事をしたと思ってるよ」

「でも、でもさ、身分違いの人を想うのは辛くない?」

 桃は火照った頬を隠すように両手で包み、アカルに心配そうな目を向けて来る。


「身分違いって?」

 アカルはぽかんとした。

「だって、朱瑠は、鷹弥さまが好きなんでしょ? 書庫の仕事をしてた時、よくため息ついてたじゃない。だから……てっきり」

 桃は自分の思い違いに気づき、慌てふためいた。


「違うよ。鷹弥さまじゃない。私の好きな人は、いま遠くにいるんだ」

「遠くって? 旅にでも行ってるの?」

 柚がきょとんとしている。

「そう。旅に出てるんだ。とても遠いところにね」

 今頃ソナと海賊たちは、南の海を進んでいるだろう。


「でも、寂しくないの? ずっと会えないなんて、あたしなら辛くて嫌だな」

 桃の言葉を聞いてアカルは首をひねる。

「私は平気だよ。彼はずっと旅に出たがっていたからね。私も彼の夢を応援していたんだ」

「でも、恋しいんでしょ? あのため息は鷹弥さまじゃなくて、その人のことを想ってたんだね」

 同情するような桃の言葉が、なぜか胸を貫いた。


(恋……しい?)


 ソナと別れてから、アカルは何度もソナを思い出した。ソナと一緒に過ごした日々や、異国にいるソナを思い浮かべるのは楽しかったし、もっとちゃんとお別れを言えばよかったと後悔もした。でも、それと同じくらい、彼を忘れている時間も多かった。


(私は薄情なのかな?)


 遠くにいる人を想い、会いたいと涙する。

 アカルがソナに抱いている気持ちは、桃の言う「恋しい」とは少し違う気がした。


 〇     〇


 今日一日は洗濯仕事がお休みなので、水場は閑散としていた。

 アカルは使用人の集落を出て、林の中をゆっくりと歩いた。


(桃は、幸せそうだったな)


 収穫祭で初めて会った二人が、少しずつお互いを知り恋を育んでいる。


(恋か……)


 あの時のアカルは確かにソナに恋していたのに、遠く離れて思い返すと、あの時の自分の気持ちは幻だったのではないかと思えてくる。


(私はやはり、巫女に向いているのかも知れないな)


 アカルは岩の老巫女を思い出した。年齢不詳の老巫女は、長い年月を神と共に過ごしている。きっと恋や愛とは縁のない人生を歩んで来たのだろう。


(ばば様の腰は治ったかな?)


 岩の里が盗賊に襲われた時に腰を痛め、アカルが岩の里を出た時はまだ寝床から起き上がれなかった。もう年が年だから治りも遅いだろう。まだ歩くのは辛いかも知れない。

 そこまで考えて、アカルはハッとした。


(鴉の王はどうしたんだろう? シサムの事をばば様に知らせに行ってもらって、もうずいぶん経つのに……)


 いつもはうるさいくらい存在を誇示するのに、今は気配すらつかめない。


「鴉の王、いるの?」

 木々のこずえに向かって呼びかけても、答えは無い。


「きみは案外、鈍いんだね。この阿知宮全体に結界が張られていることに、気づいていないの?」


 思ってもみなかったことを指摘されてドキッとした。

 振り返ると依利比古いりひこが立っていた。太丹王の喪に服しているのか、今日は地味な灰色の衣を纏っている。


「依利比古さま」

 アカルはすぐに跪いた。

「少しも気づきませんでした。依利比古さまは結界が見えるのですか?」


「いいや、見えないよ」

 依利比古はクスクス笑いながら、アカルの前に座り込んだ。

「私の使鬼しきがそう言っていたんだ。内のモノは外には出られず、外のモノは入って来られないってね。たぶん、姫比の巫女の仕業だろうね」


「そうですか……」

 それで鴉の王の気配がしなかったのだ。納得したアカルは、依利比古の体勢が気になった。膝をついているせいで、長衣の裾が地面についてしまっている。


「あの、衣が汚れます」

「いいんだ。跪かなくて良いと言っても、きみは聞かないだろう? だから私がきみに合わせているんだ」


 依利比古は口説き文句のように囁きながら、にっこりと笑みを浮かべる。

 他の娘たちならば頬を赤らめてうつむくような局面だが、アカルは眉をひそめた。


「何かご用ですか?」

「もちろん、勧誘に来たんだよ」


 依利比古はきっぱりと言い切る。

 昨日会った時は少し怖いような感じがしたが、今日は水仙の庭で会った時のような雅やかな貴人の物腰に戻っている。


「その話なら、お断りした筈です」

「もちろん覚えているけど、私は自分の気が済むまで勧誘するつもりだよ。ああ、それからね、私が朱瑠と知り合いだと人に話してしまったんだ。その事も謝りたくてね」

「誰に話したのですか?」

 アカルはじろりと依利比古を見上げる。


「珠美だよ。きみの同僚でしょ?」

 依利比古は首をかしげて、アカルの顔を覗き込む。

「異国できみと会った事があると、話してしまったんだ。国の名前は出してないけれど、きみが巫女かも知れないとも言ってしまったよ」


 依利比古の言い方にアカルはムッとした。うっかりを装っているけれど、わざと珠美を選んで話したに違いない。


「なぜ珠美に?」

 アカルは用心深く訊き返した。

「ほら、あの年頃の娘たちはお喋り好きだからね。ある事ない事言いふらされたら、きみは阿知宮に居辛くなるだろ? そうしたら都萬に来たくなるかも知れないじゃないか」


 悪びれもせず、依利比古は笑顔で言う。

 あまりにも腹立たしくなって、アカルは唇を尖らせた。


都萬つま国には行きません。私は里に帰りますから」

「ああ、そうだったね。そう言えば、きみの里をまだ聞いてなかったが────きみは北海沿岸にある古い里の出ではないかな? とても長生きで不思議な力を持つ巫女が居ると聞いているよ」

 笑顔を崩さずに、依利比古は岩の里を言い当てた。


「……よく、ご存じですね」

「これでも諸外国について学んでいるからね」


 依利比古はそう言ったが、岩の里は小さな里だ。一国の王子が諸外国について学ぶにしても、遠く離れた異民族の里や巫女のことまで知る術があるだろうか。


(こいつは曲者だな)


 虫も殺せないような顔をしているが、得体の知れない不気味さを感じる。

 アカルは依利比古に対する警戒を強めた。


「依利比古さまが言っていた八洲やしま統一の話、私はとても良い事だと思います。だけど、都萬には行きません。もしも私を都萬の巫女のように使おうと思っているなら、無駄ですよ。古の巫女の力は戦にも呪いにも使えません。ただの役立たずですよ」


「フフ……あははっ! 朱瑠は面白い事を言うね。私が朱瑠の力を利用しようと思ってるって? 私は父や兄とは違うと言ったじゃないか。私は純粋に興味があるだけなんだ。きみに手を触れた時の、あの痺れの原因とかにね」


 依利比古は白い指先をアカルの顎にかける。

 その白い指から逃げるように、アカルは一歩退いた。


「私は興味ありません。何度来られても答えは同じです」

 きっぱりと断ると。依利比古はふぅっとため息をついた。

「きみは本当に素っ気ない人だね。私がこれほど頼んでいるのに、揺らぎもしない。仕方がないから今日の所は退散するよ。珠美がきみを待っているみたいだしね」

「え?」


 アカルの疑問には答えず、依利比古は優雅な足取りで去って行く。

 依利比古の姿が見えなくなると、アカルは立ち上がった。背中に視線を感じながら振り返ると、林の中に珠美が立っていた。口を真一文字に結び、硬い表情を浮かべている。

 珠美とは、鷹弥と一緒にいる所を見られて以来気まずいままだ。あの時は散々怒られたが、今度もきっとそうだろう。

 アカルがげっそりした表情を浮かべていると、珠美がゆっくりと近づいてきた。


「朱瑠、あなたって見境がないのね。王族の殿方にばかり取り入って、そんなに殿上人の傍に居たいなら、堂々と女官を目指したらどうなの? あたしたち女官見習いがどんな思いで……見習いの仕事がどんなものか知りもしないくせに、卑怯だわ!」


 怒っていたはずの珠美の目から、涙が溢れていた。

 唇を震わせ、苦悩の表情でアカルを見つめている。


「どうしたの? 何かあったの?」

 心配になって珠美に手を伸ばすと、珠美は勢いよくアカルの手を撥ね退けた。


「何があったって、あんたにだけは絶対言わないわ! これはね、あたしたちが女官になるための試練なのよ。私は絶対に女官になって、あんたをこき使ってやるから。覚えてなさい!」

 珠美は唇を震わせながらそう言い放つと、身を翻して走り去ってしまった。

  

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