四 遠い夢


「俺は、海に出たいんだ!」


 膝を抱えていたソナが、いきなり胡坐あぐらをかいて胸を張った。

「別に交易船に乗りたいんじゃないぞ。俺さぁ、小さい頃から西方人だってよくからかわれて、毎日のように母上に泣きついてたんだ。そうしたら母上が、大昔にいた西方の大王の話をしてくれたんだ」

 ソナは大きな目をキラキラさせてアカルを見つめる。


「その大王はね、今の俺とそう変わらない年で王位を継いだ途端、東へ向かって領土を広げまくったんだ。新たな領土には大王の名を冠した都を作り、自分の民を住まわせた。その大王は若くして死んでしまったんだけど、その広大な大陸の中央に残された彼の民は、そこでバクトリアという国を作ったんだ。俺はその子孫なんだって!」

 ソナは誇らしげに語り続けた。


「バクトリアは百年くらいで滅んでしまったらしいけど、元々は商業都市として栄えていた国だったんだ。だから各地の商人たちと交流もあったし、国が無くなっても商人として生き残っていけたんだ。海へ出たのが俺の直接の先祖で、そこから長い旅が始まるんだ。陸地に沿って東へ東へと進んだ俺の先祖は、何世代か後にこの金海にたどり着いた。俺はいつか、先祖が辿ってきた海の道を戻って、バクトリアがあった場所へ、いいや、もっと遠くへ、大王がいた国まで行ってみたいんだ!」


 ソナの口から語られたのは、途方もなく大きな夢だった。

 国の興亡と、長い長い旅路の物語をアカルは頭の中に思い描いた。


「すごい……すごいよ!」

 誰かの話を聞いて、こんなに胸が高鳴るのは初めてだった。

「すごいだろ?」

「うん。その夢、絶対に叶えて欲しい!」

 アカルとソナは興奮するあまり、いつの間にかお互いの手を握り合っていた。


「そうだ、これを見てくれ」

 ソナはアカルの手を離すと、胸元を広げて首にかけていた紐を引っ張り出した。その紐の先には、黄色い光を放つものがついていた。

「これは、母上から貰った先祖の形見だ。バクトリア王の顔がついた金貨だ」

「きんか?」

「ほら見て、大昔にこんな立派な金を使って交易してたんだ」

 ソナがアカルに持たせてくれたのは、丸くて固い金属だった。暗くてはっきりは見えないが、確かに人の顔らしきものが浮かんでいる。


「これがお金なのか? 水生比古みおひこさまから貰ったお金は、ただの四角い銀だったよ」

「ここいらだって銀貨か銅貨しか流通してないよ」

「すごいご先祖さまだな」

「だろ?」

 ソナはにっこりと嬉しそうに笑ったが、すぐに顔を曇らせた。

「ただなぁ……海へ出たいと言っても、俺には船がない。一緒に行ってくれる仲間もいない。これでは、いつになったら先祖の土地へ行けるかわからない」


「そうか……」

 アカルも腕組みをして考え込んだ。

「そんなに遠い所だと、行くのに何年もかかるのだろうな。一緒に行く者にとっては、冒険心だけでは無理だよな。食べていけないし……そうだ、船が通る国々で喜ばれる交易品があるといいな」


「交易品か。そうだな。軽くて日持ちのする物がいい」

智至ちたるは、金海の鉄と交換に絹や珠を持って行くと聞いたけど?」

「ああ。筑紫ちくし阿羅あらに、真珠や干し鮑なんかを持ってくるようだね」

「確かに、どれも日持ちするね」


「問題は何を欲しがっているかだ……」

 二人で頭をひねっているうちに、東の空にうっすらと光が差してきた。


「うそ、もう朝か?」

 アカルは慌てて立ち上がった。


「きみ、明日の晩も来るよな? いや、もう今夜か」

 ソナがアカルの裾をつかむ。

「ああ、来ると思う」

「待ってるからな」

「うん」



 その日から、アカルは毎晩のように城壁の上でソナと話をした。

 だんだんと形作られてゆくソナの夢は、アカルの冒険心を満たしてくれた。

 そんなある日の夜。


「そう言えば、アカルはまだ外に出た事ないだろ? 都を案内してあげるよ」

「都を?」

 ニコニコ顔のソナを見ながら、アカルは西伯さいはくの都も見ないまま去ってしまった事を思い出した。

「嬉しいけど、それは無理だ。千代姫さまが都見物するならお供できるが、勝手に出歩く訳にはいかない」


「そうかな? アカルは今だって、こうして俺と話してるじゃないか」

 ソナはニコニコ顔を崩さない。

「それはそうだけど……えっ、まさか夜に出歩くのか? あなたは王子じゃないか。警護の手配だってしなけりゃならないだろ?」


 アカルが慌てると、ソナはぷっと吹き出した。

「慌てた顔、可愛い」

「ふ、ふざけるな! 真面目に答えてくれ!」

 アカルはわなわなと震えた。

 時おり不意を突いたように飛び出すソナの言葉は、いつも恥ずかしいほどアカルをうろたえさせた。


「俺はさ、警護が必要な王子さまじゃないんだ。俺がいつどこで何をしようと、誰も気にしない。だから夜だって町に出る事はあるさ」

「でも、私は……」

「そうだ! アカルに男物の衣を貸してやるよ。俺の側仕えのフリをして行けばいいんじゃないか?」


「なるほど、変装するのか」

 ソナの提案に心引かれながらも、アカルは夜玖やくの顔を思い浮かべた。

 もし本当にソナと都見物に行くなら、夜玖には内緒で行くことになる。正直に話したら間違いなく反対されるだろうし、話した後でこっそり出て行こうとしても、夜玖に見つかってしまうだろう。


「大丈夫だよ。それに、今は兄上の結婚祝いの夜店が出ているんだ。賑やかだよ。親子連れもいるし、それほど遅くならないうちに帰るよ。きみを無事に連れて帰るって誓うから」


 ソナの言葉に心が揺さぶられる。

 アカルは降参した。

「わかったよ。いつ行くの?」

「明日の夜!」

 ソナはにっこりと笑った。


  

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