五 邂逅


 ソナがこっそり届けてくれた男物の衣は、白の内着うちぎの上に深青の長衣ながごろも、その上に黒い帯という地味なもので、帯につける短刀も添えられていた。

 アカルは髪を首の後ろで束ね、いかにも城で働いている少年のように城内を歩いた。

 部屋を出る時には緊張したけれど、誰にも注目されずに馬小屋までたどり着くうちに、この冒険にワクワクし始めていた。


「いいね。似合ってるよ」

 ソナは会うなり、男装したアカルを満足げに眺めた。

「本当は女物の衣を贈りたかったけど、今日はこれで我慢しとく。馬には乗れる?」


「馬は初めてだけど、大角鹿には乗れるよ」

 アカルは胸を張って答えた。

 八洲やしまではまだ馬は珍しい。大陸と交易をしている大きな国しか馬を持っておらず、アカルは西伯さいはく弥山みせんの宮で初めて馬を見た。


「なに? オオツノ?」

「鹿の大きいやつ」

「へぇ、見た事ないな」

 ソナが差し出した馬の手綱を受け取り、アカルは馬の首を軽くたたいた。

「うん、大丈夫そうだ」

「それじゃ、出かけようか」


 二人は馬に乗ると、都の中心に向かって緩やかな坂道を下った。城から港までの道は広く整備されていたから、月明かりだけでも十分馬を走らせることが出来た。

 港の近くの馬屋に馬を預けて明るい方へ向かうと、遠くから見えていた賑やかな大通りに出た。通りのあちこちには松明の灯りがあり、道の両脇に並んだたくさんの屋台と行きかう人々を照らしている。


「すごい人だな」

 感嘆の声を上げるアカルの手を引いて、ソナは人の流れの中に入って行った。

 屋台にはいろいろな物が売られていた。様々な色に染められた布や、キラキラした首飾りや耳飾り、木製の子供のおもちゃから立派な器まで、店ごとに違う種類の商品が並べられている。それを見て歩く金海の人々も楽しそうに笑っていて、見るものすべてが幸せの波動に包まれているようだった。


 こんな賑やかな都ははじめてだ。岩の里には店など無かったし、西伯さいはくの都の賑わいとも違う。

 さすが、西方の商人の子孫が作った国だ。

 金海の夜店を見て、アカルはソナの先祖に想いを馳せた。


「アカル、アカル?」

 ソナに腕を引っ張られた。

「何か欲しいものある? 買ってあげるよ」

「えっ、いいよ。お金なら持ってるし……正直言うと、人に圧倒されて品物を見ている余裕がなかったんだ」

「あはは、アカルは本当に面白いな。それじゃあ、何か食べようか」


 アカルの手を引いて人ごみから抜け出すと、ソナは大通り沿いの飯屋に入って行った。

「ここは船乗りたちがよく食べに来る店なんだ。味は保証するよ。おばちゃん! 飯を二人分と俺には酒ね」

 慣れた様子で注文すると、店の奥から「はいよ」と声が帰ってくる。


「よく来るのか?」

「ああ。城の料理に飽きるとたまにね」

 ソナは片目をつぶる。

 奥から出てきたふくよかな小母さんが、卓の上に魚と野菜の煮込みとご飯を置いてゆく。木の匙で魚の煮込みを食べると、柔らかな塩味が体に沁み渡るようだった。


「美味しい」

「だろ?」

 ソナは酒をちびちび飲みながら、時たま料理を口に運んでいる。

「あなたはいつも酒を飲んでいるな」

「俺は西方の血のせいか、酒には強いんでね」


 軽口を叩いて微笑んでいたソナの目が、一瞬固まった。知っている顔でも見つけたのか、店の奥を凝視している。

「知り合いか?」

 アカルが訊くと、ソナは視線を戻してアカルに微笑んだが、目は笑っていない。

「すごい奴を見つけちゃった。もしそいつに絡まれても、アカルは黙っててね」

「……わかった」


 ソナはそれきり店の奥を見ないようにしていたが、店の奥の暗がりにいた二人連れの客がアカルたちの隣に移ってきた。

 金海の平民のような衣を着た、ソナと同じくらいの年頃の青年たちだ。


「これは、ソナ殿ではありませんか。金海国の王子がなぜこんな場末に? 今頃は祝宴の時刻ではないですか?」

 声をかけて来たのは、少し垂れ気味の大きな目が印象的な若者だった。

 にっこりと笑顔を浮かべているが、投げかけられる言葉には密かな毒が含まれている。


(この二人、仲が悪いのか? 誰なんだろう)


「そちらこそ、阿羅あらのヒオク王子ともあろう方が、こんな店でお食事ですか? しかも我が国にお忍びで何のご用でしょう?」

 ソナも負けないくらいの笑顔をヒオクに向ける。

 隣り合った二人は、何だかんだと丁寧な言葉づかいで嫌味な会話を続けている。


(阿羅のヒオク王子……なるほど、こちらの様子を探りに来たのか)


 約束通りアカルは黙ったまま二人を観察していたが、すぐ隣から強烈な視線を感じて落ち着かなくなった。

 そっと隣の席に目を向けると、ヒオクの連れらしき男が、じっとアカルを見つめていた。


(女……いや男か?)


 自分と同じ男装した女のように見えたが、肩から首の辺りが女とは違いがっちりしている。さらさらの長い前髪で顔の半分が隠れているが、色白で端正な顔をしている。


(何だろう、人の顔をじろじろ見て……ヒオク王子の側仕えかな)

 アカルが見ても男は視線をそらさない。

(気味が悪いな)

 アカルはだんだん居心地が悪くなった。

 隣の男からは、冷たい吹雪の中にいるような冷え冷えとした空気が漂ってきて、アカルを不安にさせた。


(そうだ……水生比古みおひこさまの霊威に似ているんだ)


 怯えている自分に気がついて、アカルは男から目をそらした。

 まだ言い合いを続けているソナたちの方を見ても、会話が全然耳に入って来ない。聞こえるのはドクドクと脈打つ自分の鼓動だけだ。


「帰るぞ!」

 突然ソナの声がした。

「あ、はい」

 アカルは用心深く頭を下げてから立ち上がった。


「私たちも戻るとしよう」

 ヒオクも立ち上がり、店の奥へと戻って行く。


 ソナに続いてアカルが店を出ようとした時、後ろから腕を取られた。

 ビリッ──と触れられた腕から、冷たい稲妻が全身を駆けぬけた気がした。


(何これ……さっきの男か?)


 怖くて振り返れずにいると、背後からアカルの耳元に顔を寄せてくる気配がした。

「──帰り道に気をつけなさい」

 ほんの一瞬のことだった。

 捕まれていた腕が自由になってからそっと振り返ってみると、細身の青年が店に戻って行くところだった。


 ○     ○


「どうしたんだ?」


 馬に乗って城へ戻る途中、ソナが声をかけてきた。

 馬屋へ戻るまでの間、アカルがずっと黙り込んでいたせいだろう。

「実は……さっき店を出たところで、ヒオク王子の連れに……帰り道に気をつけろと言われたんだ」

 不安な思いでアカルが打ち明けると、ソナは首をかしげた。


「へーえ、どういう事だろう? ヒオクが俺を襲わせるのはまぁ想定内だけど、忠告するなんてヒオクの従者にしてはおかしいな」

 不安など微塵もないのか、ソナは飄々としている。


「あの人は、ヒオクの従者なの?」

「わからないけど、一緒にいたんだから阿羅の人間だろう?」


 賑やかな港の大通りは遠くなり、月の光が水田を煌々と照らしている。

 やがて、城のある高台に続く森が見えてきた。黒々とした夜の森は不吉な予感に満ちていて、アカルは不安になったが、城へ帰るには森の中の道を通らねばならない。


「ソナ」

「わかってる。身を低くして突っ走るぞ」

 馬の腹を蹴って森の中に駆け込んだ。

 その途端、ヒュンッという弓音がした。


「伏せろ!」

 ソナの声でアカルは咄嗟に馬の首元に頭を下げた。しかし、後ろ脚に矢が刺さった馬がガクンと腰を落とす。


(うわっ!)

 馬から放り出されそうになったとき、馬首を巡らせて戻って来たソナが腕を伸ばしてアカルの体をさらった。その間、ソナは一度も馬の速度を緩めなかった。


「乗れるか?」

「うん」


 再び馬首を巡らせ、城に向かって馬を走らせながら、ソナはアカルを鞍の前に乗せた。アカルは両手で馬のたてがみにつかまったが、胴を支えるソナの腕の温もりにホッとして緊張が解けてくる。

(いけない……二人乗りじゃ速度を保てないのに)

 アカルは心配したが、闇の中から再び射掛けて来ることはなかった。


「脅しだな。本気じゃない。ヒオクは意地の悪い奴だが、馬鹿じゃないからな」

「彼のことを良く知ってるのか?」

「ああ、同い年だからな。阿羅と金海がまだ仲が良かった頃は、何度か遊んだこともある」

「そうか……だからソナは平気な顔してたんだ」

「いくら嫌われ者の王子でも、もし俺がやられたら阿羅と金海で戦になるからな」

「なるほど、だからあの射手は私の馬を狙ったのか……」

 ホッとしたような許せないような複雑な気持ちでいるうちに、城の馬屋に着いていた。


「怖い思いをさせて済まなかったな」

「いや大丈夫……わぁ!」


 先に馬を下りたソナが、アカルを持ち上げた。まるで赤子をあやす親がするみたいに、腋の下に手を入れて馬の背よりも高く持ち上げる。

 背の高いソナに持ち上げられると、アカルの足はぶらんと宙に浮いたままになる。


「は、はやく下ろしてくれ!」

 アカルが怒っても、ソナはなかなか地面に下ろしてくれない。

 子供のように扱われた気がして、アカルは赤面した。


「せっかく城を抜け出したのに、もう戻って来ちゃってさ、何だか名残惜しいんだ。結局あんまり見て回れなかったし」

「いいから、早く下せ!」

 アカルがじたばたすると、ソナはようやく地面に下ろしてくれた。


「じゃあアカル、また明日の夜にね」

「う……またな」

 アカルは逃げるように城内へ戻って行った。

  

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