九 炎の傷痕
「盗賊たちを騙すことが出来るのは、たぶんわずかな間だけです。他を探しても美咲さんがいなければ、すぐにまたこの里に戻って来るでしょう。どこかに匿ってくれる所や、頼れる人はいませんか?」
アカルは美咲の母親に問いかけた。
母親は困ったように握った拳を口元にあてていたが、やがて、そっと顔を上げた。
「頼れるかは、わかりません。もう何年も……十年以上会っていない息子が、
美咲の母親は浮かない顔でそう言った。
十年以上会っていないという事は、きっと子供の頃に別れたきりなのだろう。大人になった息子がどんな人物なのか、果たして味方となってくれるのか、推し量ることは難しいだろう。
「何という人ですか? 阿知宮なら、私が言づけ出来るかも知れません」
美咲の母親は少しためらってから答えた。
「鷹弥といいます」
「鷹弥?」
アカルは目を見張った。
その名前を聞いた瞬間、まさかと思った。けれど、心のどこかで納得してしまう。
鷹弥がなぜ岩の里を出て行ったのか、岩の里で育ったはずの鷹弥がなぜ王子の側近になっているのか、その答えの一部がそこにある気がした。
(そうか……そうだったんだ。鷹弥さまには家族がいたんだな)
父親を失って零落した鷹弥の家。何故かはわからないけれど、鷹弥は岩の里に送り込まれ、また連れ戻された。そこにどのような事情があるかはわからない。けれど、幼い鷹弥はきっと家族のために行動していただろう。
「私は、鷹弥さまを知っています。阿知宮で、王子の側近をしている人ですよね?」
「はい。そう聞いています」
母親は眉をひそめたまま頷いた。母親だと知ったせいか、無意識に似ているところを探してしまう。目元や、その眉間の皺すら似ているような気がする。
「それなら、なるべく早くここへ来てくれるように頼んでみます」
アカルは手早く二本の削り花を作ると、一人で外へ出て行った。
「鴉の王! いるか? 近くにいたら来てほしい」
空に向かってつぶやくと、何処からともなく白い鴉が飛んで来て
『アカル、やっと呼んでくれたね!』
「来てくれてありがとう! 悪いが急いでいるんだ。阿知宮の鷹弥さまをここへ呼んできて欲しいんだ。わかるかな? 里にいたトーイだよ」
アカルは二本の削り花を白鴉に差し出した。
「ひとつは鴉の王に。もうひとつは鷹弥さまに渡してほしい。これを見れば、鴉の王が私の使いだとわかってくれる。頼めるか?」
『嬢ちゃんの頼みは断らないさ。アイツを連れてここへ戻ってくればいいんだね。わかったよ』
白鴉は削り花をパクリと飲み込むと、もう一本を口にくわえて飛び去って行った。
「──あんたは
いつの間に来たのか、白い髭をたくわえた里長が家の戸口に立っていた。
アカルは首を振った。
「いえ、古の巫女に育てられたけど、正式な巫女ではありません。私は岩の里のアカルです」
「そうか。いやぁ、懐かしいものを見せてもらったよ。わしが幼いころには、この辺りにもまだ古の神を祀る巫女がいたんじゃが……さっきの白い鳥はあんたが操ったのか?」
「いえ彼は……私が幼いころに彼を助けたことを恩に着て、いろいろ助けてくれるのです」
「やっぱすげーな!」
昇多をはじめ、家の中にいた人たちも戸口の陰から顔を出した。
「ちょうど良いから、美咲さんたちを隠しましょう。銀杏の御方、お願いします」
アカルがそう言うと、大きな銀杏の木がザワッとゆらめき、太い幹の根元に大きな空洞が現れた。
「中に入ってください」
「はい……」
美咲親子と哲多は互いに顔を見合わせると、ゆっくりと空洞の中に入って行った。
「何があっても出て来てはだめですよ。いいですね?」
「はい」
美咲たち三人がうなずくと、木の根元に大きな口を開けていた空洞は消えてゆき、ごつごつした木肌に戻っていた。
「あんたは隠れなくていいのかね?」
里長がアカルの顔を覗き込む。
「はい。私はこの木を守ります。もし盗賊に私のことを訊かれたら、旅人だと言ってください。それから、私に何があっても助けようとはしないでください」
「……わかった。では、門を開けようか」
里長は覚悟を決めたように、広場の中央まで歩いて行った。
昇多の父親が門の扉を開くと、松明を持った男たちがなだれ込んできた。
「美咲がいないって、どういうことだ!」
一番先に入ってきた男が大きな声でそう叫んだ。
(この男が、
アカルは銀杏の木の陰に座り込んで盗賊たちの様子を見ていたが、里長に問いただしている男は想像していたよりもずっと若かった。粗野な感じはするが、
「いつの間にかお姿が消えておりました……たぶん、ここに居るのが辛くなったのでしょう。どうぞ、お調べになってください」
里長はそう言って頭を下げた。
「チッ……おめぇら、美咲を探せ!」
「はっ!」
盗賊たちはすぐに散らばり、家や倉庫に踏み込んで行く。たぶん相当な被害が出るだろうが、火をつけられるよりは幾らかマシだ。
「姉ちゃん……」
いつの間にか、昇多がアカルの隣に座っていた。
「昇多、何があっても静かにしているんだよ」
「うん」
昇多は勇気ある少年だが、さすがに怖いのかアカルの袖をつかんでいる。
「大丈夫だよ」
昇多にささやいてから里長の方へ視線を戻すと、首領の男と目が合った。
「おい、あの娘はなんだ? この里の者じゃないだろう?」
男が自分のことを里長に問いただしているのは聞こえたが、そんなことは気にならなかった。
真正面から見る首領の顔から、目が離せない。
男の右目の下にくっきりと刻まれた傷は、
『八神の王を打ち取ったぞ!』
『さすが若! お見事です』
沸きあがる取り巻きたちの声。剣にくし刺しにされ、血に染まった父の顔。炎が家々をなめ、黒い炭になった柱が崩れてゆく。
夢で見た情景が、現実味を帯びてアカルの心を責め立てた。
目を見開いたまま盗賊の首領を見つめ続けるアカルを、怯えている娘と勘違いしたのだろう。男がアカルに近づいてきた。
「旅の娘だそうだな。荷はどうした? まさか手ぶらじゃないんだろう?」
すぐ目の前まで傷痕が近づくと、アカルの体はブルブルと震えだした。
恐怖とは違う。体の奥底から、黒々としたものがとぐろを巻きながら湧き出してくる。それは、怒りに似た震えだった。
「山道で……角石という盗賊に、全部取られました」
震えながらアカルが答えると、男は大声で笑いだした。
「二度も盗賊に出会うとは不運な娘だな。ま、命があるだけめっけもんだ」
男は大笑いしながら里長の近くへ戻って行った。
緊張が解けてホッとすると、手のひらがやけに温かかった。見ると昇多がアカルの手を握っていてくれた。
「姉ちゃん、大丈夫?」
「助かった。ありがとう」
昇多の手をそっとよけて、アカルは両手をこすり合わせた。手のひらが冷えたのは、アカルの心に芽生えた恐ろしい気持ちのせいだった。
(今ここに、水生比古さまからもらった短剣があったら、私はあの男に斬りかかっていたかも知れない)
それほど、衝動的な殺意だった。
父親の記憶などろくに無いのに、突然芽生えた怒りと憎しみに感情を支配された。
巫女になるつもりだった自分が人を殺したいと思ったその事実に、アカルの心は冷たくなった。
そっと懐に手を入れると、削り花を作るための小刀が指に当たった。
(もう少しで、これを使う資格を失くすところだった……)
衣の上から胸を押さえて目をつぶる。
「お頭! 涸れ井戸に縄が下がってます。ここから逃げたのかも!」
「なんだと?」
バタバタと盗賊たちが涸れ井戸に向かっていく。
「何人かに後を追わせろ!」
「はっ!」
慌ただしい足音や声が消えてゆくと、盗賊の首領が広場に戻ってきた。
「おい、酒を持ってこい。それと食い物だ」
「お言葉ですが……この里に食べ物が残っていないのはご存じのはずです」
「チッ、使えねぇな」
盗賊の首領は舌打ちしながらあたりを見回している。
(獲物を手にしないと気が済まないのか)
そう思った時、再び男と目が合った。
面白いことを思いついたように男の口元がニヤリと歪み、一直線にアカルの方へ向かって歩いてくる。
昇多の手がギュッとアカルの手を握った。
「まぁ仕方ない。手ぶらよりはいいだろう」
自分に言い聞かせるように、男はアカルの衣をつかんで引き寄せる。
昇多の手が離れてすぐ、男はアカルを肩に担ぎあげた。
「俺は一旦帰るぞ。誰か残って、追跡に出た者が戻るのを待て!」
首領はアカルを担いだまま歩き出す。足をがっちりつかまれていたので、アカルは男の背中に腕を突っ張り、逆さまになった体を起こした。
「大人しくしてろ!」
首領が喚く。
広場に立ち尽くす里長や昇多の父親が、青ざめた顔でこちらを見ている。
アカルはみんなを安心させるように、人差し指をそっと口元にあてた。
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