第十章 大八洲

●真秀●

一 霊木の枝


 早朝から、抜けるような青空が広がっている。

 空を映すほど静かな智至ちたるの内海には、桟橋を中心にたくさんの船が停泊している。


「えっ、あれがソナの船なの?」


 船を見上げて、アカルは息を呑んだ。

 たくさんの船の中でもすぐに見つけられるほど、その船は八洲や伽耶かや諸国の船とは違っていた。恐らく西方の船なのだろう。素人目にも造船技術の違いがうかがえる。

 強烈な異彩を放つその船から、アカルはしばらく目が離せなかった。


「船出した時は、なばりの海賊船に乗って行ったんじゃなかったっけ?」

「そうだけど。思っていたよりも商売が上手くいったからさ、カナンの商人から譲り受けたんだ。ガウロス船ていうんだよ。惚れ惚れするだろ?」


 どうだと言わんばかりに、ソナは船に向かって腕を振り上げた。

 ガウロス船は、甲板の下に水主かこたちが櫓を漕ぐ場所があるらしく、船側にある穴からたくさんの櫓が突き出ている。本来なら武骨になりがちな船体は、とても優美な曲線を描いていて、立派な帆柱のその上には人が一人立てるほどの見張り台まであった。


「きれいな船だね」

「だろ?」


 ソナは自慢の船を褒められてご満悦だ。


與呂伎よろぎまで、この船で送ってくれるの?」


 水生比古みおひこがアカルを船に乗せることを渋っている今、ソナの船だけが頼みの綱だ。しかしソナは、笑って首を振る。


「與呂伎までじゃない。志貴しきの宮まで送ってやるよ。胸形むなかたの船乗りに聞いたら、鳥見とみ池まで船で行けるって言うじゃないか。まぁ、川から先は小舟に乗り換えるしかないけど、その手前の河地湖までならこの船でも十分行けるってさ」


「でも……それだと、穴戸海門を通って行くんだよね? 遠回りじゃない? 乗せてもらう身で何だけど、なるべく急いで欲しいんだ」


 ソナの気持ちは有難いが、西の穴戸海門まで行ってから東へ戻るのは、どう考えても遠回りだ。


「俺の船の速さを知らないな? それに、行くのはアカルだけじゃないだろ? 俺の船なら多少人が増えても大丈夫だよ」


 得意げに胸を反らすソナを見て、アカルは顔をしかめた。

 昨日、鷹弥と入れ違いに、西伯さいはくから巫女がやって来た。


『大巫女様より、朱瑠さまが志貴へ向かうと伺い、急ぎ参りました。私たちも同行させて頂きます。微力を尽くし、朱瑠さまの手伝いをさせていただく所存です』


 小波こなみを頭とする巫女たちは、そう言ってアカルに頭を下げた。

 西伯の大巫女には、かつて命を救われた。今回も、魔物との戦いに助力してくれるつもりなのだろう。

 その気持ちは嬉しかったが、アカルはその申し出を断った。

 いくら巫女でも、魔物の事をよくわかっていない者を連れては行けない。彼女たちを危険に晒すだけだからだ。


「志貴の宮がどんな状況か、彼女たちはわかってないんだ。人を喰らう化け物がいるのに……こっちは戦う方法すら見つかってないんだ!」


 アカルだって自分の身を守れる訳じゃない。それでも行くのは、自分には炫毘古かがびこを斃す義務があると感じたからだ。

 僅かな間にえにしを結んだ十世とよ宵芽よいめ。彼女たちと協力して、魔物に立ち向かうと決めたのだ。


 過去視で見た蛇は、人を喰らうたびに大きくなっていた。あれが暗御神くらおかみなら、今はどれだけ巨大化しているだろう。

 簡単に斃せる相手ではない。だからこそ、連れて行けない。

 特に小波は駄目だ。彼女はどういう訳か、盲目的にアカルを崇めている。アカルを庇って自らの命を差し出しかねない────。


 兼谷の死をようやく受け入れたのに、小波にそんなことをされたら、自分は二度と立ち直れないだろう。アカルはもう、誰かが自分の為に死ぬのは絶対に嫌なのだ。


「でもさ、彼女たちは納得してなかっただろ?」


 ソナの言う通り、アカルが同行を断っても、小波は素直に聞き入れてはくれなかった。何と言われてもついて行くと言い張り、今は智至の巫女宮に挨拶に行っている。


 俯いたままのアカルに、ソナが屈んで目線を合わせてきた。


「本当にわかってないのかな? 俺は巫女じゃないからよくわからないけど、大変なことが起きているからこそ一緒に行きたいんじゃないのか? アカルこそ、彼女たちを見縊みくびっているんじゃないの? ほら、見てごらんよ。なんかいっぱい来たよ」


 ソナの視線を追って振り返ると、白装束の一団が港に向かって来るのが見えた。先頭を歩いているのは小波だ。


「ほら、みんな行く気満々だよ。俺の船ならあれくらい乗れるから安心して。陸路はあちこちに大王の軍隊がいるらしいけど、俺の船なら絶対に邪魔されない。それどころか、金海の王子が大王に謁見しに来たと言えば先導してもらえるかもよ」


 権力は有効的に使わないとね、とソナは得意げに笑う。

 アカルは複雑な心境のまま、巫女たちが来るのを待った。ソナのせいで、心に迷いが生じている。


「朱瑠さま。西伯の巫女五名に智至の巫女五名。志貴の宮までお供いたします。何度断られても、絶対について行きますからね!」


 けんか腰の小波に、アカルはため息をついた。


「……一応、それぞれの目的を聞いておこうか? 志貴の宮へ行く目的はなに?」


 アカルが試すように巫女たちを見回すと、智至の巫女から一人が進み出た。年かさの、たぶん巫女頭だろう。


「それぞれ、と言われたが、我らの思いは一つじゃ。八真都やまとに潜む魔物を斃し、今起きている戦を人の手に取り戻す。八洲の大王を名乗る者から魔物の力を排除することは、北海諸国の未来にとって、いや、この八洲の未来にとって有益なことだ。神の加護が希薄になった今、魔物の干渉を取り除くは我ら巫女の役目! 異論はあるか?」


 真っ直ぐアカルを見つめる巫女たちの目には気迫が漲っていた。その迫力に圧倒された。

 ソナの言う通り、自分は彼女たちを見縊っていたのかも知れない。

 彼女たちにも、巫女としての使命がある。そんな事にも気づかず、自分たちだけが魔物の事をよく知り、その存在に憂いているのだと思い込んでいた。自分の勝手な想いまで彼女たちに押しつけた。

 アカルには、彼女たちを拒否する資格などないのに────。


「異論はない」


 アカルは肩をすくめると、背負っていた荷を下ろして布に包んだ霊木を取り出した。


「これは御祖神みおやがみさまから頂いた霊木だ。これをみんなで分けて、護身用の神器を作って欲しい。私の作る削り花や、西伯の地鎮めの珠みたいに霊力を込めればいいと思う。私はこの枝を一本貰うから」


 アカルは霊木の細い一枝を、腰に帯びていた兼谷かなやの剣で切り落とした。


「それだけで、よろしいのですか?」


 霊木を受け取りながら、小波が戸惑っている。


「これだけで十分だ。みんなわかってるだろうけど、志貴へ行くのに必要なのは死ぬ覚悟じゃない。何があっても生き残る覚悟だ。出来る限り、自分を守る準備をして欲しい」


「わかりました」



 こうして、巫女たちを乗せたガウロス船は、智至の港を出航した。

 船は内海を出て、そのまま西へと向かっている。大きな帆は東からの風を受けて、海の上を滑るように進んでゆく。


 アカルは少し高くなった船尾から、広がる青い海を見つめていた。すぐ隣には、舵を握るソナがいる。

 舳先に近い甲板では、日よけの編み笠を被った巫女たちが、各々に霊木の枝と向き合っている。


 アカルの手元にある霊木はまだ枝のままだが、作るものは決めていた。剣でも小刀でもなく、削り花を長く伸ばしたようなかんざしだ。簪ならば、魔物を斃すという気持ちに囚われずに、純粋な霊力を込めることが出来るだろう。


矢速やはやのお陰かな?)


 アカルは青い海を見つめながら、過去視で見た小さな男童おのわらわの姿を思い出した。


 泡間にいた矢速はとても淋しそうだった。両親との関係に傷ついた彼は、自分の居場所を求めて泡間へ飛ぶことを覚えたのかも知れない。

 友と呼べるのはあの灰色の小蛇だけ。きっと泡間のあやかしとは気づかずに、毎日餌を与えて淋しさを紛らわせていたのだろう。

 そう思うと胸が痛んだ。

 あの場所が泡間ではなく、ただの森ならば良かった。餌を与えたのがただの小蛇だったなら、その後の悲劇は起こらなかっただろう。


 彼の中に潜んでいた無自覚の異能が、不幸の発端だったのかも知れない。

 餌を取りに戻った矢速を追って、暗御神はこちらの世にやって来た。炊屋かしきやの肉を食べ、下女に襲い掛かった蛇はどうなったのだろうか。

 アカルはその先を視ることは出来なかったが、霊剣韴之剣ふつのつるぎにまつわる火の神伝説を考えれば、おのずと答えは導き出されてくる。


(矢速は……父親に殺されたのだろうか?)


 かつて宇奈利うなりの長は『火の神神話に隠された歴史を知ることが出来れば、魔物を倒すことが出来るだろう』と、アカルに言った。


(……かえでさま。私は、炫毘古の死の真相にたどり着けたのでしょうか?)


 伝説の通り、矢速を殺したのが彼の父親なら、それは豊比古とよひこの父でもある。


依利比古いりひこにも、ちゃんと伝えないと……)


 遥か前の世で、彼の異母兄弟だった矢速の死を────。

 

 矢速の存在を知った今なら、彼を救いたいという気持ちで戦いに臨める気がした。

 アカルは胡坐に座りなおすと、懐から鷹弥の小刀を取り出し、蔦模様が彫られた鞘を丁寧に引き抜いた。

 丹念に研がれたであろう石の刀身は、滑らかな光沢を放っている。


(鷹弥。使わせてもらうね)


 アカルは口元に笑みを浮かべ、霊木の小枝を削りはじめた。

 一削り一削り、霊力を込める。

 大地の女神の宿り木は、驚くほどアカルの霊力を吸い込んでゆく。

 恐らく、この霊木に毎日倒れるほど霊力を注ぎ込んでも、簪を完成させるには何日もかかるだろう。


 幸い、ここは船の上だ。霊力を使い果たして倒れたところで、目的地までは船が運んでくれる。この上なく理想的な旅だ。


(ソナに、感謝しなくちゃな)


 アカルは微笑みを浮かべて、舵を握るソナと、その背後にある青い海原を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る