十九 帰途


 阿知宮あちみやへ向かう騎馬隊はゆっくりと進んでいた。それは、鷹弥に支えられて馬に乗っているアカルのためだった。


(みんなに迷惑をかけているな……)


 どうにか熱は下がったものの、出血が多かったせいで体力が戻らない。眩暈もあるが、左腕が使えないので一人で馬に乗ることも出来ない。

 情けないな、とアカルは自分の体を支える鷹弥の腕をじっと見つめた。

 こんな状態で阿知宮へ戻るのは正直不安だった。だからアカルは、傷が治るまで富谷の里でお世話になりたいと願い出たのに、鷹弥に反対された。製塩所に売られたであろうシサムを探すのなら、阿知宮の方が何かと便利だという理由だった。


「製塩所は国が管理しているし、労働しているのは男ばかりだ。お前一人では探しに行く事も出来ないぞ」

 鷹弥はそう言って、自分がシサムを探すと言い張った。

「それなら、私がここにお世話になったっていいじゃないか!」

「お前は、目を離すと何をするかわからないから駄目だ!」

 アカルの提案は鷹弥によって速攻却下された。


「大丈夫ですよ。朱瑠さまの腕が完治するまでに、私が製塩所の様子を探っておきますから」

 黒森くろもりという武人が鷹弥の味方をしてそう言った。どことなく、夜玖やくに似た武人だ。


「黒森さまは、これだけの騎馬隊を指揮する武人でしょ? 阿知宮に戻れば、私はただの下働きです。敬語はやめて下さい。と言っても、この手じゃしばらく働けないから、下働きに戻れるかどうかも疑問ですけどね」


 黒森は一瞬驚いた様子だったが、そんな心配はしなくて良いの一点張りだった。

 こうして鷹弥側の言いなりになる形で、アカルは帰途につくことになった。

 富谷の里を出るとき、美咲から「兄の事をよろしくお願いいたします」と言われたが、一方的にお世話になっているのはアカルの方だった。


(あーあ)


 馬に揺られながらため息ばかり出る。

 鷹弥が色々してくれるのは自分の事を心配しているからだとわかっているのに、この場から逃げ出したいような、いたたまれない気持ちになる。




 アカルの沈んだ気持ちとは裏腹に、黒森が率いる騎馬隊では古参の武人も若い武人も、鷹弥が大切に扱っている娘に興味深々だった。


「黒森さま、あの娘さんは巫女だって本当ですか?」

 従者になりたての若造が馬を寄せて来る。

「おれ、昨日あの娘さんが白鴉と喋ってるの見たんですよ!」

「俺も見ました!」

「俺もです」

 隊列はすでにグズグズで、黒森の周りは年若い武人で埋め尽くされていた。


「私も詳しいことは知らん。訊かれても困る」

「こらっ、散れ散れ! お前らは隊列を整えろ!」

 副官の朝陽あさひが蹴散らすとしぶしぶ隊列を作り始めるが、従者の若造はまだ隣にいる。


「すごいですよねぇ。最初に鷹弥さまの肩に乗った白鴉を見た時は、何の冗談かと思いましたけど。生き別れだったお母上と妹君のいる里へ案内するなんて、まるで神話ですね! しかも二度目は、あの娘さんの危機を救うために鷹弥さまを呼びに来たんでしょ? まったく何者なんですかね?」


 ペラペラとよく喋る若造を無視して、黒森はアカルの方へ目を向けた。

 馬上のアカルは不機嫌そうな顔をしている。阿知宮へ戻ることもそうだが、武人たちの好奇の視線や噂が気に障っているのかも知れない。


「鷹弥さまの想い人はどこぞの巫女だそうだ」

「白い鴉を操る術を持ってるって」

「焔の城を壊滅させたのはあの娘なんだって?」

「鷹弥さまは凄い人を味方にしているな」


 噂の内容は色々だが、どの噂も二人が恋仲だという前提は変わらない。ほむらの城に物凄い勢いで乗り込んでいった鷹弥の姿を見ていれば、それも無理のない事だと黒森は思う。そもそも生き別れの母妹に再会したのは副産物で、鷹弥は最初からアカルの心配しかしていなかったのだから。


 黒森は気を遣って、二人を兵たちとは少し離れた川辺で休憩させた。

「阿知宮まであと僅かです。夕刻には着きますから安心してください」

 鷹弥の馬を木に繋ぎながら黒森が声をかけると、アカルはジトッと黒森を睨んだ。

「黒森さま……」

「あ、ああ、言葉遣いですね。いやまぁ、阿知宮でお会いした時は偉そうにしますよ」


「でもそれじゃ、他の人が誤解します」

 すでにこの隊の武人たちは誤解をしているのだと、アカルは不満顔で休憩中の武人たちに指をさす。


「アカル、黒森たちのことは気にするな。阿知宮に帰ってもお前は下働きに戻らなくていい。傷が治るまで俺の宮で体を休めろ。その間にシサムの居場所を探しておくから」

 鷹弥の言葉はすべて決定事項で、そこにはアカルの意思が入り込む隙間はない。


「ごめん。それは遠慮するよ」

 アカルが断ると、鷹弥の顔が険しくなった。

「心配してくれるのはすごくありがたいけど、これ以上鷹弥さまに迷惑を掛けたくないんだ。私は今の鷹弥さまが阿知宮でどんな立場なのかは知らないけど、先王の息子におかしな噂が立つのは良くないと思うんだ。黒森さまもそう思うでしょ?」


「えっ、いや、まぁ」

 板挟みになった黒森がぽりぽりと頭を掻く。

「……知ってたのか?」

「うん。昇多から聞いたんだ。私の事なら、何日か休めるように口添えしてもらえるだけで大助かりだからさ」

「俺は、迷惑だなんて思ってないし、誰に何を言われても気にしない!」

「そうだとしても、私が嫌なんだ。ごめん……ちょっと散歩してくる」


 アカルは鷹弥と黒森に背を向けると、ゆっくりと土手を登って行った。

 土手の上から川沿いに広がる平地を眺めると、収穫を終えて乾いた水田と集落が見え、稲藁を編む老人や、家の藁屋根を葺きかえている男たちの姿も見えた。

 土手に座ってぼんやりと日常の風景を眺めていたら、少し心が落ち着いてきた。


「少し言い過ぎたかな。私は意固地になり過ぎなのかな」

 膝を抱えて座り込んでいたら、若い武人が近寄って来た。

「鷹弥さまと喧嘩でもしたんですか?」

「べつに……喧嘩とは違う」


 あまりにも気さくに話しかけられたので、アカルも普通に返してしまった。

 いけない。自分こそ敬語で話さなきゃいけないのに。

 慌てて別の言葉で言い繕おうとした時、突然キーンという耳障りな音が頭の中に鳴り響いた。それと同時に、久しく忘れていた仄暗い視線と背筋がゾクリとする気配が蘇る。

 耳を塞いでも消えない耳鳴りには、高く響く嘲笑の声が混じっているような気がした。


(阿知宮の化け物が、笑ってる……)


 眩暈めまいがした。

 ぐるぐると景色が回り出し、全身から冷たい汗が噴き出してくる。


「どうしたんですか?」

 突然耳を押さえてうつむいたアカルに、若い武人が声をかける。もちろん耳を塞いだアカルには届かない。困った武人は大声を張り上げた。

「鷹弥さま!」


「大丈夫……だから」

 鷹弥を呼ばないで。

 そう言いたいのに、言葉にする前にアカルの意識は遠のいていった。


                第四章 姫比国(後編)──流転── へ続く

  

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