十五 新たな依頼
「お前に頼みたいのは、千代姫の護衛だ」
結局、
アカルを羽交い絞めにしていた
「千代姫の……護衛?」
ぼんやりと水生比古の言葉を繰り返すうちに、ようやくアカルの頭は回転し始めた。
「そうだ。我が娘となった千代姫と共に、お前は
(金海!)
アカルは息を呑んだ。
いつの間にか、この
「
「私に、密偵になれと?」
「そこまでは言わん」
水生比古はにっこりと微笑む。
「夜玖はもともと私の護衛だ。腕もたつし信用できる」
水生比古に褒められた夜玖が顔をほころばせているのを見て、アカルはため息をついた。
「腕は立つのかも知れないけど、あなたにとって信用できる人が、私にとって信用できる人とは限らない。夜玖はあなたの為ならいくらでも嘘をつくだろうし、私を騙すかも知れない」
「なるほど」
「でも今のところ、私にはあなたに太刀打ちできる力がない。だから千代姫の護衛は引き受ける。でも金海から無事に戻れたら、私を岩の里に帰すと約束して欲しい」
「朱瑠、水生比古さま直属の臣下になれる機会など、そうあるものではないのだぞ!」
今まで黙っていた夜玖が口を挟んで来る。
「でも、私が願ったわけじゃない」
アカルがキッと睨むと、夜玖は悔しそうに口を閉ざした。
「わかった。その件は考えておく」
水生比古はあっさりとうなずいた。
「ちゃんと約束して」
アカルは用心深く確認する。
「ああわかった。そうと決まれば、千代姫の回復を待つ間にお前の支度をせねばなるまいな。護衛と言っても巫女装束では都合が悪い。千代姫の側仕えとして行く方が自然だな」
「御意」
アカルの気持ちをよそに、水生比古と夜玖の間でどんどん話が進んでゆく。
「そうだ。今までの仕事に対する褒美もあるし、朱瑠の衣も用意せねばならないな。夜玖、
「はい。すぐに」
夜玖は立ち上がると、高殿の外にいた女官を呼び止め二言三言話をして戻って来た。
「水生比古さま。青影さまが呼んだ商人なら、二の宮の待機場にいるようです。すぐに呼べますがどういたしますか?」
「青影殿は用意がいいな。すぐに呼べ。いや、こちらから参ろう」
水生比古は嬉々として立ち上がると、アカルの腕を取った。
「行くぞ、朱瑠」
初めて会った昨夜と同じように、水生比古はアカルの腕を掴んでどんどん歩いて行く。
大国の王が、しかもいい年をした大人の男が、楽しそうにはしゃいでいる。
まるで子供のようだな、とアカルは思った。
〇 〇
翌朝、アカルは初めて千代姫に目通りを許された。
離れ宮を囲む廊下に膝をつくと、布団から身を起こした千代姫がアカルを手招きしてくれた。
ここ数日で食事がとれるようになったとは聞いていたが、体はガリガリに痩せ、衣の袖から出た白い手首は、今にも折れてしまいそうだ。
(細いな)
かなり長い間呪いを受けていたのだろう。千代姫の儚げな姿は痛々しかった。
アカルは手招きされるまま、布団の近くまで歩み寄った。
「気分は良くなったか?」
「お陰さまで、だいぶ良いわ。あなたが朱瑠ね。噂通りの男言葉だわ」
顔色はまだまだ悪いが、千代姫の口調は軽く、笑顔も明るかった。
「すまない。男のように育ったもので……」
「いいのよ。あなたは私の命の恩人ですもの。お礼を言いたかったの」
千代姫はそう言うと、布団の上で居住まいを正し、深々と頭を下げた。
「命を助けていただき、ありがとうございました」
「う、いいんだ。私は自分の仕事をしただけだから……」
アカルは驚いて首を振った。
「朱瑠はすごい術者なのね。年は私と同じだと聞いたけど」
千代姫は頭を上げると、にっこりと笑った。
「私は十五だ」
「私もよ」
二人は互いにじっくりと見つめあった。同じ年の少女と言うだけで、他には共通点など何もない。身分も、天と地ほども違う二人だ。
「朱瑠は、金海まで来てくれるのですって?」
「ああ。成り行きでそうなった」
「ありがとう。心強いわ」
口角を上げて微笑む千代姫は、アカルが想像していたお姫様とはだいぶ違っていた。今は風にも耐えられなさそうな風情だが、本来は明るくて快活な姫のような気がする。
(この人は、嫌々行くのではないのかな?)
初めて夜玖から千代姫のことを聞いた時は、とんだとばっちりだと思ったけれど、アカルが思うほど単純な話ではないのかも知れない。
わずかな目通りの間に、アカルの中で千代姫の印象はずいぶん変化していた。
(金海か……)
自分の部屋へと戻りながら、アカルは岩の巫女の言葉を思い出した。
『お前の運命は西伯の先へと続いている』
老巫女が言った通り、アカルは海を越えて金海という大陸の国へ行く事になった。
(ばば様には、どんな風に未来が視えているのだろう)
ぼんやりと考えるうちに、アカルは岩の里で過ごした最後の晩を思い出していた。
〇 〇
「アカル、わしがお前を巫女にしないと言ったのは、何故だと思う?」
岩の巫女の高殿で枕を並べながら、眠れずに暗い天井を見つめていたあの晩、老巫女が突然そう訊いてきた。
アカルは恐る恐る尋ねた。
「私が、外の人間だからか?」
「いいや違うよ。お前が外へ出て行く人間だとわかっていたからだ」
「ばば様は、私が出て行くってわかっていたのか?」
アカルが横を向いて老巫女を見ても、彼女は天井を見つめたままだった。
「ああ、わかっていたさ。お前がこの里に運ばれてきて、まだ意識を失っていた時からね」
老巫女はそう言ってから、やっと体の向きを変えてアカルの方を向いた。
「なぁアカル。お前は、自分が外の人間だということに、随分とこだわっていたようじゃが、この里にだって外の血は入って来ているんだよ。
トーイのように浜に流れ着いた者や、山を越えて逃げて来た者。いつの間にか血は混ざり、言葉も同じようになった。 それでもこの里が
「生き方……」
「だがねぇ、人の世の流れというものは、そう都合良くはいかないもんさ。この里はやがて消滅する。岩の民は元々、子宝に恵まれにくいのはお前も知っているだろ?」
「うん。年に一度の
「そうじゃ。子供が出来なくても別れない夫婦も多かったし、子供が少ないのは古の民が長年抱える問題じゃった。
むろん、この里が消滅するのはそれだけが理由じゃない。お前の他に、わしの後を継げる力を持つ子供が生まれなかったのもその流れさ。
いずれこの里は、周りの国々と同じように渡海人と混じり合い、神との関りも忘れてしまうじゃろう。
だが、ただ滅ぶ訳ではない。外の民と溶け合い、どんなに血が薄まろうとも、我らが尊ぶ和の精神は、この先もずっと血の中に存在し続ける。それはいずれ、戦の民たちにも、和の大切さを気付かせることが出来るだろう。そう思わぬか?」
夜の闇の中でも老巫女の目がギョロリと動き、ニンマリと笑ったのがわかった。
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