十四 智至(ちたる)の王


「岩の巫女の後継というのは、お前か?」


 良く響く声でそう問いかけると、男はゆっくりときざはしを降りはじめた。

 男が近づいて来るだけで、アカルは鳥肌が立った。恐ろしいと思うのに、男から目をそらすことが出来ない。


「名は、朱瑠あかるだったな。ずいぶん不思議な帰還の仕方じゃないか。お前はいにしえの神々と仲が良いようだな」


 男はアカルの前で立ち止まった。

 腰に手をあてて少し屈むと、アカルの顔を興味深げに見下ろしてくる。


(この人……視えるんだ)


 夜玖やくよりも小柄なのに、ものすごく威圧感がある。

 アカルは体が強張って、口を開くことが出来ない。


「どうした、口がきけないのか?」


 男の目が、面白がるように細められる。

 その顔を見て、アカルは何だか腹が立った。

 彼の纏う霊威は恐ろしいが、最初の印象よりも人間臭さが勝り、恐怖感が薄らいでゆく。


「あなたは誰?」

 挑むように問いかけると、男は満足そうに笑った。


「私は、智至ちたる水生比古みおひこだ」


「……ミオヒコ?」


 それが智至ちたる王の名だと知っていたはずなのに、アカルは一瞬戸惑った。

 夜玖やくがわが君と呼び、尊敬してやまない智至の王は、ずっと年上の男だと思っていた。夜玖よりも年上で、青影のような壮年の男に違いないと。

 それなのに、目の前にいるこの男は、まだ三十を超えるかどうかという若さだ。


「どうした。私の名だけでは不足か?」

 ニヤニヤしている水生比古を、アカルは眉をひそめて見上げた。


「あなたが、智至の王か?」


「そうだ。千代姫の呪いを解いたという巫女に会いたくて、仕事を放り出して来たんだ」

 水生比古はそう言って笑うと、アカルの手を取った。


「青影殿! 朱瑠が戻ったぞ!」

 高殿に向かってそう叫ぶと、水生比古はアカルの手を引いたまま階を上りだす。


(何だこいつ……)


 アカルは水生比古の手を振りほどこうとしたが、そのまま引きずられるようにして高殿に連れて行かれた。


 〇     〇


 翌朝、アカルが朝餉を済ませたのを見計らったように、夜玖やくがやって来た。

 昨夜は、高殿での宴に強制参加させられたが、大神岳おおかみだけで力を使い果たしていたアカルは、宴の御馳走を食べるや否や、すぐに眠ってしまったのだ。


「早くしろ。水生比古みおひこさまがお待ちになっているんだぞ!」

 ぐずぐずしているアカルを、夜玖が追い立てる。


「勘弁してよ。私は昨日の騒ぎでへとへとなのに」

 アカルが泣きごとを言うと、夜玖が怖い目を向けてくる。


「昼近くまで寝ておいてなんだ! 水生比古さまがゆっくり寝かせてやれと仰ってなければ、朝早くに叩き起こしていた所だぞ!」


「……わかったよ。行けばいいんだろ」


 アカルはふて腐れたまま廊下へ出ていった。



 渡り廊下を歩いて向かったのは、昨夜と同じ高殿だった。

 高殿の中には水生比古と青影しかいなかったが、当然のように上座に座っているのは水生比古だった。


「朱瑠、疲れは取れたか?」

 水生比古は、昨夜と同じからかうような口調でアカルを迎えた。


「まだ疲れてるけど、起きてはいられます」


「こ、こら、朱瑠っ!」


「夜玖、構わん。好きにさせろ」


 アカルをたしなめようとする夜玖を、水生比古が笑って止める。

 上座の水生比古に向かい合うようにアカルが座り、水生比古のすぐ前に座っていた青影と夜玖が向かい合うように座ったので、四人が卓を囲むような形になった。


(相変わらず凄まじい霊威だな。無自覚なのか?)


 ただ向かい合っているだけなのに、冷たい波動に肌が粟立ってくる。ちらりと顔を盗み見ても、水生比古は朗らかな表情を浮かべているだけだ。

 この霊威さえ感じなければ、大国の若き王にしか見えないが、アカルにとって水生比古の持つ霊威はやはり怖ろしかった。


「そうだ巫女殿。今朝早く、大神岳の中宮なかみやから荷物が届いたぞ。忘れ物だそうだ。使いに来た巫女が、地鎮めの儀式とやらのことで礼を言っていたぞ」

 青影が、小さな布包みをアカルの前に置く。


「あ……ありがとうございます!」


 中宮の小屋に置きっぱなしだった荷物の事など、すっかり忘れていた。

 アカルは届けてくれた巫女に感謝しながら、布包みを手に取った。


「巫女殿がいなかったら、大神岳が噴火したかも知れないと聞いた。俺からも礼をしたい。何か欲しいものはあるか?」

 青影がにこやかに訊いてくる。


「欲しいものはないけど、早く里に帰りたい」

 アカルが答えると、男たちは気まずそうに顔を見合わせた。


「そう言えば、千代姫の具合はどう? 少しは良くなった? 回復したら、私は帰っていいんだよね?」


「あー、まあ、だいぶ回復してきたようだが……そうだ、ちょっと様子を見てこよう。水生比古さま、失礼します」


 落ち着きを失くした青影が、逃げるように高殿から出て行く。


(どうしたんだ?)


 アカルが首を傾げながら夜玖を見ると、夜玖も気まずそうに視線をそらしてしまう。


「お前はそんなに岩の里へ帰りたいのか?」


 不思議そうな顔で、水生比古が首を傾げる。

 アカルは素直にうなずいた。


「はい。里の外は恐ろしいし、落ち着かないから」


「ほう、この西伯さいはくはそんなに怖ろしいか?」


「そりゃあね。だって、大神岳に登ったら贄にされかけたんだよ。たった十五年の人

生で、二度も贄にされそうになったら、誰だってそう思うでしょう?」


 アカルが訴えると、水生比古はクックッと笑った。


「なるほど。どうやらお前は面白い人生を送っているようだな」


「面白くはない」


「そうか……しかし困ったな。私が西伯に来たのは、お前に会うためだと言ったろう? 私はお前の力をとても評価しているんだ」


 水生比古はそう言って、ずいっとアカルの方へ身を乗り出した。


「どうだ朱瑠、私に仕えぬか?」


「は?」

 アカルは眉をひそめた。

「悪いけど、断る」


「即答か!」

 水生比古はわっはっはと声を上げて笑った。


「予想通りの答えだな。私に仕えるのはそんなに嫌か?」


「嫌とかじゃなくて、私は誰にも仕えない。それだけだ」


「何故だ?」


「何故って……私は、岩の里を出る気はないからだ。外の人は嘘をつくし、人を騙すから落ち着かない」


 水生比古の機嫌を損ねるかも知れないと思ったが、アカルは正直に答えた。


「なるほど。確かに、人は嘘をつくし騙しもするだろう。お前の幼い頃の話しは夜玖から聞いている。だから、お前が人を信じられないのもわかる。だが、すべての者がそうだというのは間違いだ。外の民すべてが悪人ではない」


 今まで穏やかだった水生比古の顔が、初めて厳しくなった。

 アカルは眉間のしわを深く刻んだまま、うつむいた。


 アカルだって、外の世界が悪人ばかりだと思っているわけではない。災害や貧困が善人を悪人に変えることも知っている。

 大切なものを守るために他の何かを犠牲にする。多くの人間がそういう道を選ぶのも理解は出来る。

 でも、どんな時でも変わらない人たちをアカルは知っている。


「岩の里、いや、いにしえの民というのは、和を貴ぶ民族だと聞く。争いが起きても決して戦うことをせず、話し合いによって解決するそうだな」


 アカルがうつむいたまま黙り込んでしまったので、水生比古は探るように言葉をかけてきた。


「確かに、古の民のように話し合いで全てが解決できればいいだろう。理想の形だ。だが、古の里のような小さな里では可能な事も、国が大きくなれば難しくなる。

 お前は、刃を持たぬあの民を守りたいだろう? あの奇跡的に古の血統を守り続けてきた一族を、我々のような戦の民から守りたいのではないか?」


「それは……どういう意味だ?」


 アカルは身構えた。


(まさか、こいつ、岩の里に何かするつもりか?)


 目の前の水生比古が、急に悪の権化のように思えて来る。


「どういう意味か、そうだな……この先、この北海ほっかい沿岸諸国が戦乱に巻き込まれるようなことになったら、智至ちたるの王を味方につけておいた方が得策なのではないか、というような意味だ」


 涼し気な目をしてアカルを見る水生比古が、本心を言っているのかはわからない。むしろ、言葉を操ってアカルを騙すことなど容易いだろう。


「私は、ばば様の代理として千代姫の病を祓った。それは互いに味方だと思っているからじゃないのか? あなた方は、恩を仇で返すのか?」


 アカルは怒りを込めて水生比古に反論した。


「恩を仇で返すつもりはない。しかし、岩の里にはすでに大量の米という対価を支払っている。私がお前を臣下に望むのは、この八洲やしまにまた戦乱の予兆があるからだ。お前は私に仕えることで、岩の里を守ることが出来る」


 水生比古は優しく諭すように言う。

 アカルが何を言っても、確実に言い負かす自信があるようだ。


「もしも戦になったら、あなたは人の命を犠牲にしても他国を手に入れたと思う?」


「それが必要だと思えば」


 水生比古は挑むような目でアカルを見下ろした。

 その瞬間、アカルの心は決まった。


「やはり断る」


「そうか。では、お前がうんと言うまで、宮に拘束するしかないな。夜玖!」


「はっ」


 素早く立ち上がった夜玖が、アカルを後ろから羽交い絞めにする。

 アカルは首に回った夜玖の腕を引きはがそうとするが、熊のような大男にアカルが太刀打ち出来るはずがない。


「……だから、外の人間は嫌なんだ!」


 アカルは岩の里を出たことを心底後悔した。

  

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