3. 安波岐の宮にて


 秋が深まる頃、十世とよたちは都萬つま国に帰国した。

 ほぼ一年ぶりの安波岐あわきの宮は、少しも変わっていなかった。


「十世。よく戻ってくれましたね。使鬼しきから聞いてはいましたが、まさか本当に長青ちょうせいを伴って帰って来るとは……どういう事なのか、話してくれるわよね?」


 内輪だけの簡単な宴が終わり、巫女や宇奈利うなりたち皆が自室に戻った頃、愛良あいらは十世を自室に招いた。

 彼女が疑問に思うのはもっともだが、十世自身、まだこの事態を呑み込めていない。


「実は……私にも彼の真意はわからないの。表向きは私の傍に居たいからと……」


 そう言いながら、十世は途方に暮れた。

 愛良とはまつりごとに関する事では同志と言える間柄だったが、個人的なことを話すほど親密ではなかった。そんな相手にどう説明すればいいのだろう。


「ほぉ、あの鉄面皮がねぇ」


 愛良は脇息に頬杖を突き、艶のある笑みを十世に向けた。


「それで? あなたはどう思っているの?」


「わからないわ。ただ……私の信頼する巫女が、彼の言葉に嘘偽りは感じないと言っていたから……しばらくは様子を見るつもりよ」


「そう。なら良いわ。もし彼がこちらに付くつもりなら、それは大歓迎よ。じゃあ、その件は任せるとして……夏以降、何だか巫女たちが騒がしいのは使鬼に連絡させた通りだけれど、あなたが戻ったのだから、彼女たちにきちんと説明してもらえないかしら?」


「わかりました」


 話題が事務的なものに戻って、十世はホッとした。

 巫女たちが騒がしいのは当然だった。山の守り手である宇奈利なら、当然山神の異変を察知しただろう。現場に居なかった自分がどこまで伝えられるかわからないが、彼女たちと共にこれからの事を考えるしかない。


 愛良の話はこれで終わりのようだった。十世は立ち上がり、静かに退出の礼をする。

 今は早く自室に戻って休みたかった。船旅の間はゆっくり休めなかったから、疲れが滓のように体の底に溜まっている。


「十世」


 廊下へ一歩踏み出した時、愛良から声がかかった。振り返ると、先ほどよりも硬い表情で十世を見つめている。


伊那いな国のヒオクが、南那なな国に休戦を申し出たようなの。密かに筑紫統一の打診をしているらしいわ」


「それは……」


「恐らく、八真都やまとの八洲統一が頓挫したことに関係しているのではないかしら?」


「……そうかもしれませんね」


 十世はため息をついた。

 ヒオクはきっと、南那国を懐柔して一気に筑紫統一を目指すつもりなのだろう。

八洲統一に失敗した依利比古いりひこが万が一筑紫に戻って来ても、筑紫の覇権を失わないようにと考えているのだろう。


 十世はもう一度、重いため息をついた。

 男たちの野心は、どうしてこうも止まることを知らぬのだろう。各国の巫女たちがあれほど力を合わせて禍を未然に防いだばかりだと言うのに。


「まぁ、筑紫から戦が無くなるのなら、それはそれで歓迎しますけどね」


 十世はそう言って、今度こそ愛良の部屋を後にした。




(明日は、巫女と宇奈利を集めて、朱瑠から聞いた山神の話をしましょう。長洲彦ながすひこさまの封印を解くためには、彼女たちの力を借りたいし、やることが山積みだわ)


 これからの事を考えていたせいか、回廊を歩く十世の足取りはとても遅かった。

幸い、今は手燭を持つ侍従もいない。十世は暗い回廊をゆっくりと歩いて自室へ向かった。

 建物に囲まれた中庭に目を向けると、庭を十字に横切る回廊の中央に大きな人影が見えた。すぐに長青だとわかった。


「何をしているの?」

「月を、見ていました」


 こちらに振り返った長青は、月光に照らされているせいか仄かに青い。


「そう」


 そのまま行こうとしたが、先ほどの愛良の言葉を思い出し、十世は長青のいる回廊へ足を向けた。


「あなたは知っていたの? ヒオク王子が南那国を取り込むつもりだって」

「いいえ。予想はしていましたが、確信は持てませんでした」


 長青はいつもの無表情で淡々と答える。その様子が癪に触って、十世は彼の前にたどり着くなり手を伸ばして胸倉をつかんだ。


「教えて。ヒオク王子はこの国も支配下に置くつもりなの? あなたはその為に私に近づいたの?」

「それは違います」


 長青の眉間がわずかに歪んだ。それは不快というよりは悲しげだったから、十世は彼の衣からパッと手を放した。

 問いただそうとしたのに、言った傍からもう後悔している。


(情けない)


 サッと身を翻して立ち去ろうとしたのに、実際に動いたのは十世の首だけだった。

 長青の手が、十世の両肩をしっかりつかんでその場に留めていたのだ。


「私を疑うのは仕方がない。長く伊那国に身を置いていましたからね。ですが、私が従うのは帯方郡の太守か、十世さま、あなただけです。ヒオク王子とは関係ないと、私の誇りにかけて誓います。どうか、私を信じてくれませんか?」


「信じたいわ……私も、出来る事なら信じたい」


 でも、今は難しい。


 十世が飲み込んだ言葉が伝わったように、長青がまた悲しそうに眉間を歪めた。


(この人は、本当に、私の事を想っているのかも知れない)


 ふいにそんなことを思ったけれど、自信はなかった。十世はずっと依利比古に想いを寄せていたし、誰かに想いを寄せられた事もなかったから。

 青白い月光の元、中庭の篝火の炎を映した長青の瞳を見つめていると、陰りを纏っていた瞳がふっと柔らいだ。


「あなたは本当に手強い方だ。どんなに口説いても揺るぎもしない。でも大丈夫です。私は待つのは得意ですから。あなたが私を受け入れてくれるまで、いつまででも待ちますよ」


「なら、あなたはいつまで経っても大陸には戻れないわね」


「もとより、帰るつもりはありません。あなたがいる限り、私の居場所はこの筑紫ですから」


 それこそ揺るぎのない長青の言葉を聞いているうちに、十世はなんだか可笑しくなって笑みをこぼした。

 鉄壁の無表情。感情のない大陸の石人間とさえ言われていた彼が、こんなこそばゆい言葉を吐くなんて。

 耐え切れずにクスクス笑いだすと、長青の胸に抱き寄せられた。


「この無礼は後ほど幾重にもお詫びしますから、しばしこのままで……」


 耳元でそんな囁き声がした。

 十世は笑いながら長青の胸に頭を預け、彼の温もりに包まれる幸せに身を委ねた。


                  了

 

 ──────────────────────────────────────

 〇思ったより苦戦しました(笑)

 筑紫の情勢はまだまだ不穏ではありますが、長青と十世の小話はこの辺で。

 ここまで読んで下さった皆様。本当にありがとうございました。

 また何かを書きたくなったら投稿させて頂こうと思っています。

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揺籃の国 滝野れお @reo-takino

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