三 白虹貫日


 都萬つま国の大きな竜船が、安波岐あわきの川港に到着した。

 目元に青黒い刺青を入れた武輝たけてる王と光照みつてる王子が、大勢の武人を引き連れて安波岐の宮へやって来た。

 我が物顔で歩く彼らに、安波岐の住人たちは慌てて道をあけ、王と王子に頭を下げる。


依利比古いりひこはいるか? 依利比古を呼べ!」


 武輝は迷いのない足取りで正面の高殿へ上がると、中央の高座に座り込んだ。高座のすぐ隣には光照が座り、二人を守るように、革の短甲をつけた武人たちが左右を固めた。


「父上、兄上、今日はまた急なお越しですね。私に何かご用ですか?」


 きざはしを上がって来た依利比古が、高殿の入口で優雅に頭を下げる。その後ろには、従者の月弓つきゆみと護衛の狭嶋さしまが左右に分かれて膝をついている。


「何か用だと? 父上に向かってよくもそんな口が利けるな!」


 立ち上がった光照が、居丈高いたけだかに怒鳴りつける。


「光照、座れ。依利比古もだ」


 武輝が仲裁するように口を挟むと、光照はしぶしぶ元の席に収まった。

 依利比古は二人に対面するように座ると、真っすぐ武輝の顔を見上げた。これまで恐怖と嫌悪の対象であった父王は、今はただの醜い老人にしか見えない。


伊那いな国が、胸形むなかたの領地に攻め入ったようだが、何か知っているか?」


 予想通りの質問に、依利比古は口端を吊り上げた。


「はい。ヒオク王子が伊那王を説得して、筑紫の胸形領へ侵攻したと聞いております。これで、北海沿岸諸国と金海の交易は頓挫とんざすることになります。西伯さいはくの姫に呪いをかけたりするよりも、ずっと効果的な手段でした」


 依利比古が微笑みを浮かべると、武輝の表情がみるみる険しくなった。


「なっ、生意気な口を利きおって……わしの情けで、王子の地位につけてやった事を忘れたのか!」


「忘れてなどおりません。私はずっと、あなたの息子であることを、何よりも厭っておりました」


「なっ、なっ……」


 怒りのあまり絶句する武輝の横で、光照が立ち上がった。


「父上、もう勘弁出来ません。どうか、こやつを斬る許可を!」


 光照が大剣に手をかける。

 依利比古が立ち上がって同じように剣に手をかけると、武輝の周りを囲んでいた武人たちが、さっと身構え剣の束を握りしめた。

 依利比古の後ろに控えていた月弓と狭嶋もすでに立ち上がり、身構えている。彼らの後ろには、安波岐の武人たちも集まってきていた。


「くっ……」


 手駒のひとつであった依利比古に背かれて、怒り心頭のはずの武輝は、それでもなかなか答えを出さない。じりじりと答えを待つ光照とは対照的に、依利比古は笑みを浮かべて武輝を見つめている。

 その依利比古の視線が、ふと、武輝のすぐ隣に立つ武人の上で止まった。その武人は狭嶋の兄で、西都さいとの警護頭の勇芹いさせりだった。

 勇芹を見つめたまま依利比古がそっと目を細めると、彼も緊張感を漲らせた目で依利比古を見返した。

 二人の視線が交差した刹那、


「ええいっ、構わん! 依利比古を殺せ!」


 武輝の号令が轟いた。

 自分を殺せと命じた父の言葉を嘆くように、依利比古は天井を仰いだ。

 スラリと剣を抜き放つ音がいくつも聞こえた────その瞬間、二つの悲鳴が上がった。

 護衛について来た武人たちの剣が、武輝と光照の体を貫いていた。

 串刺しになった父と兄が、口から血を吹き出し絶命しているのを確認すると、依利比古は勇芹に目を向けた。


「ご苦労だったね、勇芹。もちろん、狭嶋も」


 依利比古が背後に目を向けると、付き従っていた狭嶋が、はにかんだように頭を下げる。西都にいる兄を説得し、依利比古の味方に引き込んだこの計画の立役者は彼だった。

 勇芹以下、西都の武人たちが依利比古の前に跪く。


「これより我らは、依利比古さまにお仕えいたします。どうかご指示を、我が君」


 依利比古は、目の前に跪く男たちを見回した。数は少ないが、彼らはみな千人以上の兵を率いる将であり、各々が一騎当千の力を持つ武人たちだ。彼らの王と認められた誇らしさに、依利比古の胸は熱くなった。


「この筑紫は妻の愛良あいらと生まれてくる息子に託し、私は姫比へ向かう。筑紫に残る者、私と共に姫比へ向かう者、急ぎ兵を二つに分け、出航の準備にかかれ」


「は!」


 慌ただしく武人たちが入り乱れ、その隙間を縫うように、武輝と光照の亡骸が運ばれてゆく。その光景を、依利比古は何の感慨も無く見送った。



 〇     〇



 ────遠くから、叫び声に似た悲鳴が聞こえた。とても遠いのに、それが十世の声だと、アカルにはわかった。


「夢?」


 十世の悲鳴で目覚めたアカルは、宮の天井を見上げた。何時だろうか。開け放たれた戸から淡い光が差し込んでいる。

 しばらく考えても、どんな夢だか思い出せなかった。もしや夢ではなく、十世の悲鳴が泡間あわいを通って聞こえて来たのだろうか。そう思うと、嫌な予感が首をもたげてくる。


(まさか……何か、あったのか?)


 アカルは体を横たえたまま、泡間の扉へ意識を伸ばした。

 そのまま泡間へ飛ぼうと呼吸を整えようとした途端、胸が激しく痛んだ。


「ううっ……」


 アカルは胸を押さえて呻いた。呼吸をしているのに、胸を塞がれたように息が出来ない。


「朱瑠さま! 痛むのですか?」


 どこからか小波が駆けつけ、アカルの胸に手を当てる。柔らかな霊力が注がれるにつれ、胸の痛みは治まってきた。


「もう、大丈夫。ありがと」


 小波のお陰で生き永らえているのだと、改めて思い知る。今はもう、魂が離れてしまうほど深刻ではないが、油断をすれば、アカルの魂はすぐに生死の狭間を揺れ動くことになるだろう。自力で起き上がることも出来ず、ただ横になっているのがやっとなのだ。余計な事をすれば、小波の仕事を増やすことになる。


(十世……ごめん。いつでも呼べと言ったくせに、今は声を聞くことも出来ないや)


 天井を見上げて浅く息をする。なかなか息苦しさは取れず、息をする度に胸が痛んだ。ヒオクに刺された傷は癒えているというのに、どこからか息が漏れているのではないかと思うほど、息苦しさはなかなか取れない。


(じっとしていれば、そのうち良くなるのだろうか?)


 いつまでも寝てばかりはいられない。気懸りな事がたくさんある。岩の里へ帰り、ばば様の様子も知りたい。何よりも、早く姫比へ戻って鷹弥に会いたい。


(鷹弥……)


 体さえ元気なら、今すぐにでも駆け出したかった。けれど、今は自分の体を起こす事すら、小波の助けがなくては出来ない。

 気落ちして目を閉じると、耳元でカサカサと音がした。

 目を開けると、薄紫の藤の花をくわえた白鴉が枕元に現れていた。


「鴉の王、きれいな山藤だね」


『アカルに良い報せだ。シサムが岩の里へ帰ったよ。例の爺さんは亡くなったみたいだけど、小僧は元気だ』


「そうか、良かった。誰が送ってくれたの?」


 もしかしたら、鷹弥が岩の里に連れて戻ってくれたのではないか、そんな淡い期待が浮かんでくる。


『鷹弥の部下の男だよ。山の途中まで馬で連れて来た。その後はオレがちゃんと案内したからね』


「そうか、ありがとう────ねぇ、鴉の王、鷹弥は、どうしてる?」


 恐る恐る、訊いてみた。

 白鴉はくるっと首を傾げた。


都萬つま国の入り江で別れてからは知らないよ。姫比きび阿知宮あちみやは、結界があって入れないんだ』


「え?」


 予想もしなかった言葉を聞いて、アカルは固まった。


「都萬国に……鷹弥が?」


『何だ、疾風はやてから聞いてないのか? アイツは怪我をしたアカルを疾風に託して、姫比へ戻ったんだ』


「そうか、鷹弥が、来てくれたのか……」


 嬉しいような申し訳ないような気持が込み上げて、目頭が熱くなった。それと同時に、心の底には疑問が浮かんでいた。


『言っておくけど、アイツを連れて来たのはオレだからね。オレ!』


「わかってるよ、鴉の王には感謝してる」


『なのに、アイツったら、瀕死のアカルを疾風たちに預けて、さっさと戻って行っちまったんだ。オレはがっかりしたね!』


 アカルも、鴉の王と同じ気持ちだった。

 今までの鷹弥だったら、傷ついたアカルを他人に預けたりはしない。アカルが目覚めるまで、隣にいてくれた。


「鷹弥は……忙しいんだ。姫比王が、亡くなったばかりだからね」


 理由をこじつけて、それを信じようとしている。


「でも……それじゃ、鷹弥は、私が西伯へ行ったことを、知っているんだね。疾風から、聞いてるはずだよね?」


 本当は気づきたくなかった。鷹弥の中で何かが変わってしまったのだ。彼の一番大切なものは、他にある。疾風に自分を託したのは、そういうことだ。きっと鷹弥はもう、岩の里には戻って来ない。故郷である姫比国か、そこに住まう誰かのために、鷹弥はアカルから離れる決意を固めたのだ。


「ああ……何だか、胸が痛いな」


 アカルは横になったまま、両手で顔を覆った。

 もう、姫比へ行く理由はなくなってしまった。ようやく気づいた恋心も、打ち明ける機会を失くしてしまった。

 顔を覆ったままゆっくりと目を閉じると、指の隙間から涙の雫が流れ落ちた。

  

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