十四 導く者


 風の強い浜辺に、鷹弥はひとり立っていた。

 白い海鳥の群れが飛びかう、仮小屋しかない小さな入り江に、いくつもの船が停泊している。みな、潮の流れが変わるのを待っているのだ。


 鷹弥は、姫比きび国から島伝いに瀬戸内を渡り、蘇阿紗そあさ国の岸に沿って西へ進み、速吸はやすい海門を渡った。悪天候や潮の流れに阻まれて、逸る心とは裏腹に、航程は遅々として進まない。

 鷹弥は苛立っていた。アカルが姿を消してもう数十日が経つ。都萬つま国へ攫われた証拠は無かったが、あの白鴉が向かう先にいるのは間違いない。

 なのに、その白鴉の姿を、今朝はまだ見ていない。


(大丈夫だ)


 そう信じていなければ、とても待ってなど居られない。

 鷹弥が乗ってきた船は、姫比の公船だ。宇良うらに成り代わった姫比津彦きびつひこの情けで、都萬つま国へ宛てた親書を届ける使者の船に乗せてもらった。

 鷹弥以外の船員たちは、親書を届けるのが仕事だ。当然、確実に届けるために慎重に船を進めている。特に、この速吸海門付近は海の難所だ。どこの船もみな、潮の流れを見極めてからでなければ進まない。


「────あなたも、都萬国へ行くのですか?」


 声をかけられて振り返ると、人の良さそうな男が立っていた。年の頃は黒森とそう変わらない、三十代半ばくらいだろう。何処の者ともわからない風貌だが、たぶん胸形海人族の船に乗っていた男だろう。

 鷹弥は頷いた。


「あなたは交易で?」


「いえ、私は人を迎えに行くところです。午後になれば潮目が変わるそうですよ。もう少しの辛抱ですね」


 男はにこにこと柔和な顔で鷹弥に並び、同じように海を眺める。武人のようには見えないが、かと言って商人にも見えない。何者とも言い難い不思議な雰囲気が気になるし、都萬国へ人を迎えに行くという理由も気になった。

 鷹弥がじろじろ見ていると、男は鷹弥の方に顔を向けて、困ったような顔をした。


「実はですね……私はこの辺りで、誰かに会わなければならないと言われたんです」


「誰か、とは?」


「巫女の宣託なので、あくまでもなのですよ。それで、一人で海を見ているあなたに声を掛けました」


「はぁ」


 鷹弥は困ったように相槌を打つ。

 悪人には見えないが、可笑しな奴に声をかけられてしまったと、鷹弥がその場を離れようとした時だった。


 ガアァァ ガアァァ ガアァァ


 忽然と宙に現れた白鴉が、海鳥の声を蹴散らすような大きな鳴き声を上げていた。


「白鴉!」


 朝から姿を消していた白鴉が戻って来た。安堵のあまり、鷹弥は傍に居る男の事など忘れて、白鴉に駆け寄ろうとした。

 その時、バサッと風をはらんで、何かが宙から降ってきた。

 それが、浅葱あさぎ色の衣を纏った人だとわかった瞬間、鷹弥は慌てて両手を差し出した。

 腕に落ちてきた瞬間のずっしりとした重みは、すぐに腕に馴染んだ重みに変わる。

 最初に目に飛び込んで来たのは、紫色に変色した背中の衣だった。一括りにされた長い髪が、背中に広がった赤い血にべったりと張り付いている。

 鷹弥は動けなかった。ザァーっと体中から血の気が引いてゆき、まるで吹雪の中に居るように体が冷たくなった。


(これは、誰だ? アカル、なのか?)


 白鴉が連れて来たなら、アカルに決まっている。怪我をしているなら、早く手当てをしなければ。そう思うのに体が動かない。


「朱瑠さまっ!」


 見知らぬ男が、アカルの名を呼んだ。


(アカル……さま?)


 頭の芯が痺れて、頭が回らない。

 男は素早く自分の上衣を脱ぐと、それを風の来ない岩陰の砂地に敷いている。


「早く、ここへ!」


 呆然とする鷹弥を引っ張り、男は鷹弥の腕の中からアカルを引き取り、そっと上衣の上に横向きに寝かせる。

 血の気のなくなったアカルの顔が見えた瞬間、鷹弥は喘ぐように息を吸った。


「ア、アカル……」


「大丈夫です! まだ息はあります!」


 男は手早く自分の上衣にアカルを包むと、そっと抱き上げて歩き出す。


「待て! どこへ連れて行く!」


 鷹弥が追い縋ると、男は足を止めた。


「私の船へ。急いで手当てをします。あなたも一緒にどうぞ」


 そう言って、再び男は前を向き、足早に歩きはじめる。

 鷹弥は呆然としたまま男の後を追った。





「私は、疾風はやてと申します」


 船の中で、男はそう名乗った。

 鷹弥が思った通り、疾風は屈強な胸形海人族の船にアカルを運び込んだ。船の上には小さな屋形があり、中に居た白髭のおきなが、待っていたように手当てを始める。


「大丈夫だ。不思議なことじゃが、血は止まっておるぞ」


 心配そうに見ている鷹弥たちに、翁が言う。


「外で、話しましょう」


 疾風は、鷹弥を屋形の外に連れ出した。


「あなたが迎えに来たのは、アカルだったのか?」


 呆然としたまま問いかけた鷹弥に、疾風は静かに頷いた。


「何からお話すれば良いのか分かりませんが、事の起こりは、西伯さいはくの巫女の予言でした。私の仕える西伯王、青影さまは、恩のある朱瑠さまに災いがあるとの予言を聞き、すぐに助けを向かわせる事にしたのです。交流のある胸形海人族の船が港にいたのも幸いでした。私たちはすぐに船を出し、西伯の大巫女の言うとおりに航海しました」


「俺のことも、その大巫女が?」


「はい。白鴉が導く者を探せと」


 疾風が、波よけ板に止まっている白鴉を見つめる。


「そうでしたか……助かりました」

 鷹弥はようやく安堵の息をついた。


「俺ひとりでは、どうしていいかわからないまま、アカルを死なせてしまったかも知れません」


 あの時、呆然としたまま何も出来なかった自分を思い出し、鷹弥はゾッとした。


「西伯の姫を、治したという話は聞いていたが、こんな危急を救いに来てもらえるほど、アカルは慕われていたのですね……」


 岩の里では、いつも自分の後ろをついて回っていた小さな女の子が、今や他国の人々が、命を救いに来てくれるほどの存在になっている。自分の知らないアカルを知っている人がいるというのは、とても複雑な気持ちだった。


「もちろん、千代姫さまを助けて頂いたこともありますが、朱瑠さまは、私のかつての主、亡き八神やがみの里長さまの娘なのです。何を置いても助けに行かねばと思いました。だから、この船に乗せてくれと、青影さまに頼みました」


「えっ……」


 鷹弥は目を瞠った。穏やかな笑みを浮かべる疾風を、穴が開くほど見つめ続けた。


「アカルが、八神の?」


「はい。朱瑠さまは、あまり覚えておられないようでした。十年前まで、私は八神の里の門番をしておりました。小さかった朱瑠さまとは、門を通るたびにお話しさせて頂いておりました」


「アカルが……八神の……」


 同じ言葉しか出てこない。

 胸がドクンと脈打った。消えかけていた寒気が、再び鷹弥を襲ってくる。

 救いを求めるように、波よけ板に両手をつく。


(アカルが、八神の里長の娘。なんてことだ……俺は、最初から、アカルの傍に居る資格などなかったんだ────)


 煌めく水面みなもに移る自分の影を、鷹弥はじっと見つめた。


  

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